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松井宏彰さんへのお返事 その2

https://note.com/msfactory_21/n/n0c3d3b667e38
への返信の記事となります。

松井宏彰様は、アルミ加工会社を経営している方ですが、人文学にもかなり詳しく、大変に頭脳明晰な人物です。
彼のような優秀な方々が、日本の国力を支えてくださっているのであって、私は頭が上がらない思いであります。
ピエール・ブルデューは、1990年に来日した時には、理系の工場長が人文学の本を読んでいることに大変感銘を受け、「フランス人に比べて遥かに日本人は知的である」と述べましたが、日本人の知的好奇心こそが日本の経済成長と民主主義の礎となります。

科学技術は国力の基幹であって、「ものづくり」を軽視する国は、何も残りません。
武器を自分で創ることが出来ない国は、メンテナンスが碌にできるわけもなく、近代戦を戦うことは出来ません。
ウクライナの敢闘も、ウクライナが武器輸出大国であったということが重要な点なのです。



私有財産の話について&私の返信

>社会主義は、国家(行政機関)が財産を管理する。
という基本原則を持っていることです。
行政機関がOKとするものは、私有財産と出来ます。
行政機関がNOとするものは、私有財産と出来ません。


残念ながら、現代の日本でも政府による徴用の権限は存在しており、我々の財産もその気になれば、政府が取り上げることは可能です…
立ち退き問題などは、この権限の典型的な例でしょう。
実際に、少し前のドイツでは、難民を受け入れる際に政府がアパートを徴用した話もございました。

徴用の際には、対価を払わなければならないことになっておりますが、どの程度の金を払うかは、政府の一存で決まってしまいます。
戦時中や被災中ならば、殆ど払われることはないという可能性も存在します。

>社会主義(国が決める) ⇔ 民主主義(民の総意で決める)
共産主義(まず共有財産)  ⇔ 資本主義(ずっと私有財産)
要は、社会主義も共産主義も「主権者が許す範囲で」私有財産を持つことが出来るということです。


社会主義国家のスウェーデンでは、議会制選挙があるので、社会主義であっても、一応は国民(主権者)の総意ということになります。
それがないのは選挙が存在しない一党独裁制の共産主義ということになります。

仮に、資本主義国家であっても、一党独裁制ならば国の管理(国が決める)を徹底できます。
代表例はシンガポールですが、私有財産は存在していますが、政治批判はかなり制限されていたはずです。(とはいえ、その気になれば財産も取り上げることは出来ると思います。)

そういえば、先日にロシアで、プーチンを批判した資産家が財産を取り上げたという話がありましたね。
あれでも一応はロシアは資本主義で、民主制選挙を持った議会制の国となるはずです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220503/k10013609921000.html
つまり、政治的意思決定と私有財産の問題は、完全にはリンクしていないということになります。

そもそも、資本主義国家であっても、税制度などの問題によって、私有財産権は一定に制限されています。
そうした制限は、選挙によってえらばれた政党が民意によって決めるのか、あるいは、特権階級が恣意的に決めるのか、その差異が重要なことです。

これは学校では教えていませんが、民主主義(≠民主制選挙)の反対は、社会主義ではなくて、権威主義や全体主義なのです。
資本主義でも権威主義体制や全体主義体制を造ることは可能である。

https://note.com/yrloki/n/n463f2ac22ad8?magazine_key=m5bc3cabf9837

>啓蒙専制君主以前の中世ヨーロッパの国家群は、特権階級が連帯してそれぞれの利権を守る社会状態であって、これは社団国家と呼ばれている。言うまでもなく、この状態は特権階級である「上級国民」ならぬ社団が、民衆を専制的に支配する人治主義社会であった。大部分の社団国家は、国力の増強を考えることもなく、政争のための政争と中抜きによる搾取を繰り返す様であったことは説明不要のことだ。啓蒙専制君主とは、その文字とは裏腹に専制を志向した王ではなく、彼等の政治は、手段としての専制であったとしても、その目的は民主主義に存在していた。つまり、啓蒙専制君主とは民主制権威主義の対極の存在であると言えよう。
啓蒙専制君主達は、集権的な政府を作ることには失敗したが、貴族やギルドなどの特権階級の力を一定に削減して、その代わりに平民にある程度の政治参加を保障するという権力の再配置には成功した。アメリカはともかく、ヨーロッパにおいてはこうして権力に双方向性が発生したため、中央集権化された政府が国民に上命下服を強制する形にはならず、民主主義の基盤が形成されていったわけだ。
近代における国民の誕生とは、ある意味において平民の貴族化であり、平民は徴兵の義務を負うと同時に、表裏一体の参政権を獲得していくという流れに繋がった。近代啓蒙思想というものも、平民に貴族的な思考を体得させるものであって、これは単に無条件で参政権を保障する類のものではなかったわけだ。

追記
究極的には、誰が決めるかではなくて、総合的な国力を高める意思決定が何よりも重要です。
とはいえ、一党独裁制においては、意思決定に批判が出ないため、意思決定能力が弱体化することは事実でしょう。

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