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5分でわかる科学と宗教の違い! 実体構造と観念妄想

科学とは実体に基づき、宗教とは観念に基づくものである。

科学とは、実体を観察し、そこから論理的な結論を得る手段である。
技術とは、科学によって得られた知見を基にして、実体を応用して結果を得る手法のこと。
実体を認知して行動を選択する人間の意思決定は、実は科学技術そのものであると言える。

宗教とは、実体に基づかない結論を先に用意し、それを正当化するために、屁理屈の空論を積み重ね、実体を歪めて認知するものである。
観念というものは、実体に基づかない情報を示す言葉である。
宗教は人間の実体認知能力と行動選択能力を破壊し、権威が指定する通りに考えて動くだけのロボットを製造する。

実体基づかない結論=観念の例

「神は絶対に正しい」
「神に絶対服従しなければ地獄に落ちる」
(地獄が実体として存在するかどうかはともかく、絶対服従を要求する専制主義者は、絶対的な正しさから外れるため、実はこれは上の観念と論理的なレベルで矛盾している)
「神を疑う者は殺してもいい」

実は、神を親と言い換えることで、キリスト教から儒教への変化が起こる。
儒教の教義は「全てのものには序列あり」
実際に江戸時代の林羅山はこれによって、天の地の序列がない丸型の地球は間違えだと唱えた。
江戸時代の身分制度も、箱形の地球観も、この教義に基づいたものです。
下は上に絶対服従。「慶安の御触書」

宗教には、教義が存在しているという定義があり、教義が存在しないものは宗教のように見えても、宗教ではないとされる。
教義とは何か?→権威が恣意的に決める結論=実体に基づかない観念

多くの宗教がなぜ実体を無視するかというと、そもそも宗教の定義として、宗教は実体を無視した結論を持つものであると定義されているからだ。

神道は宗教か?
No
神道は教義を持っていない。
観念を実体であると断言していない。
寧ろ、主神が軟弱な引きこもりであると断言されている。
これは、上を疑えと説いている教訓話であって、つまりは宗教ではない。
もっと言うならば、大体の多神教は宗教ではない。

哲学は宗教か?
イギリス経験論は宗教ではないが、ドイツ観念論は宗教である。
「もののあはれ」を尊ぶ国学は、宗教ではない。
これについては、また別の機会に解説させてもらいます。

イギリスが産業革命を起こした原因はイギリス経験論であり、ドイツがナチス政権を打ち立てた理由はドイツ観念論なのだ。
ゲルマン民族が優秀という彼等の教義は、観念そのものである。

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