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数をこなすことって大事なんだなぁと。

以下、センシティブなワードあり。元気なときに読んでね。

以前にnoteで紹介したことのある、「生きるのが嫌になって自殺未遂を毎日している職場の元上司」と1年ぶりくらいに会ってご飯を食べた。

彼の見た目は変わっておらず、相変わらずやつれていたが(ベルトで閉めたジーンズのウエストに手が入るくらい)、思ったよりも元気になっていて驚いた。以前がMP-500なら 今は-20くらいまで来た感じ。マイナスであることには変わりないけれど、以前(1年前)に比べれば、各段に元気になっていることがわかる。それは会ってものの1分もしないうちにわかった。

話しを聞くと、あれから毎日のように自殺未遂をして、でも結局死ぬのは無理だったことがわかったらしく。もう自殺を行うのはあきらめたそう(ちゃんと、実行すればできるかもしれないが、自分にはその勇気が無いと言っていた)。 結局死ねないことがわかって、でも今も生きることが楽しい訳ではないが死ねないんだから、しょうがないから生きるしかないよね・・?  そんな感じのことを言っていた。

以前から時間潰しのために、過去のドラマを見潰したり、youtubeを見たりしていたのは知っていたが、そのあとはゲームに興味が移ったらしい。空いた時間でドラクエ9に熱中し、1週目はclear。何なら2週目の縛りプレイまでやったと言っていた。以前は生きていることがいかに辛いかをとても饒舌に話してくれたが、今回はドラクエ9というゲームが、いかに楽しいかの話を事細かにしてくれた。

まずはひと山超えたように見えてとてもよかった。まだ、いつでも底なし沼に落ちる可能性は秘めているけれど、以前比べれば格段に健康度は増している。この調子で行けば少しずつ階段は昇っていける。そんな気がした。

そして人間どんな状況からでも変われるのだろうし、この人もそれなりに人生をやってきた(乗り越えてきたの意)んだなぁというのが伝わってきたが、それと同時に話を聞いていて思った事は「数をこなすことの大切さ」でもあった。

彼は現在も無職のため、24時間365日ずっと自由な時間がある。
その無職は意図したものでは無いだろうし、無職というものはそもそも暇だ。やることが無ければ単につらい。だが、彼は空いた時間を1日中ゲームに費やした結果、「人生がグレー色に見えて毎日が味気ない。楽しくない。生きたくない。つらい。死にたい。だから毎日自殺企図をする」からの脱出を通り越して、なんなら「他人に対してドラクエ9のプレイ経験を意気揚々と話すことが出来る」という、ある種の"武器"を手に入れてしまった。

別に彼は他人に対して何か語れるものが欲しくて、ドラクエ9を500時間もプレイしたのではない。仕事には行けない。満足に社会生活を送れない(彼は完璧主義なのでなおさら、自責の念が強かった)。フジテレビオンデマンドを契約して動画を見ても何も面白さを感じない。その中で、たまたまゲーム(それもドラクエシリーズでなぜか9だけ)が彼の中の何かにヒットした。

恐らくはこのドラクエ9にたどり着くまでの間に、療養の結果もあり、少しづつではあるけれどうつ症状が回復していったのだと思われる。そこでたまたまタイミングよくドラクエ9と出会ったんじゃないだろうか。以前の彼にドラクエ9を突き付けても、プレイはおろか興味すら示してくれなかったと思う。

ただ、毎日のようにドラクエ9を続けた結果ドラクエ9に関しては、ストーリーはおろか「なぜ面白いのか?」「ほかのドラクエシリーズとどのような点が違うのか?」「裏ボスをLV99まで育てる方法(ドラクエ9は裏ボスを「育てる」という概念があるらしい)」などを自分の言葉で完璧に話せるまでになってしまっていた。

そして何より"自殺"だ。

「どうせ死ねないんだから、生きるしかないよね」

その境地にたどり着くまでに、いったいどれだけの"失敗”を重ねたのだろうと思う。インターネットの情報の海を泳ぎながら、自ら死に至る方法を調べに調べつくし、そのうえで自分で頭をひねり「自分なりに楽に死ぬ手法」を編み出して、試してみるもなぜかうまくいかない日々が続き、改善に改善を重ねて毎日何とか死のうとし続けた彼。

それも彼の場合は失敗したとしても笑って許されるようなものではなく、”挑戦”のひとつひとつが一歩間違えれば命を絶つレベルの試行であった。

前回の記事でも書いたけれど、今回そもそも自分の目の前に現れない可能性だってあった。ただ、失敗に失敗を重ねた結果「自分で自分の命を絶つのは無理」という結果に、しっかり至ったのだと思う。とっても不謹慎だとは思うが語弊を恐れずに言えば、とても凄いと思う。しっかりバッターボックスに立ってバットを振り続けた結果、”ちゃんと諦められた”んだろう。

ドラクエ9にしろ、自殺企図にしろ、愚直に数を重ねた結果今の彼は、その分野においては、そこいらの人よりかは、圧倒的に経験値の高いただの面白い人になってしまったのかもしれない。

これが中途半端な”チャレンジ"だったんだとしたら、諦められずに今もやり続けていたのかもしれないなとふと思った。

何であれ数をこなすこと。それがいい影響か悪い影響かは別として、自分にしっかりとフィードバックされてくるんだなと思った一件でした。

余談ですが、人間「環境が大事」、「周りの人間関係が大事」とよく言うけれど、それもつまるところある事柄を自分対してどれだけの時間、長く、濃く影響を与え続けることが出来るか。ということなんだろうなぁと思ったりもしました。

とりあえず生きていてえらい。またお寿司行きましょう。

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