アメリカ人の字が汚い理由
結論
結論から先に言ってしまうと、日本をはじめとしたアジア圏と比べて文字数が圧倒的に少ないからです。忙しい方はここで読むのを止めて下さい。この先は私の与太話です。
アメリカの場合
ご存知の通りアメリカで使われている英語はアルファベットです。アルファベットは26文字から構成されており、大文字・小文字を含めると52文字から構成されています。
しかし、よく見ると大文字・小文字で文字の形がほぼ同じような文字がいくつかあります
C, c
O, o
S, s
V, v
W, w
X, x
Z, z
さらに大文字に飾りがちょろっとついたような小文字もいくつかあります。
I, i
J, j
K, k
P, p
T, t
U, u
さらによく見るとこれらの大文字・小文字もなんとなく似ていますね。これらの文字は筆記体で書くと、ほとんど同じような形をしています。
M, m
N, n
Y, y
これらを加味するとアメリカ人は36文字のアルファベットが区別できるように書けるだけでいいのです。
しかも、文章構成にもある程度決まりがあります。
文章の最初の文字は大文字で始めなければいけない
I(私)、人名、固有名詞の最初の文字は大文字にしなければいけない
その他は小文字
その他諸々の文章構成の決まりがあるので、文章のどの辺に大文字が来るのか、小文字が来るのか、がはっきりとしています。そのため、文章の中で「この辺には大文字が来るだろう」「この辺には小文字が来るだろう」というある程度の予想を立てることができます。
また、英語は日本語、中国語といったアジア圏の言語と異なり、単語をスペースで区切るので、区切りごとの単語が読めれば、なんとなく意思の疎通が出来てしまいます。
例えば、I の次に来るのは、am, was といった be 動詞、 can, will, could, should, would と言った助動詞が来ることが多いですし(shall の使用頻度はとても低い)、一般動詞も do とその過去形の did が来ることが多いです。文末にも for なんとかで目的や方向を示したり、前置詞 at, in, on の後に場所、日付・時間を表すことが多いです。
これらのルールが分かっていると、汚い36文字で構成された文章を読んで行くうちに、なんとなく
「この文字に続くのはこの文字だろう」
「この単語に続くのはこの単語だろう」
といった文字・単語の判別に始まり
「この人はこの文字をこんな風に書くんだな」
といったように、その人特有の文字のクセを見抜けるようになって来ます。
するとどうでしょう。今まで難解に見えていたミミズのダンスのような文字を解読できるようになっている自分に気づくはずです。
書き手は36文字のアルファベット、そして、単語を区切ることのできる強力な武器、スペースを使って読み手が解読できるくらいの文字を書ければ良いのです。
このように、文字の書き手は36文字のアルファベットを読み手が区別できるように書ければ良いので、それっぽい文字を書けばそれなりに理解してもらえるのです。従って、字が汚くても問題ないのです。
むしろ字が汚いのではなく、オレの字が読めないのはお前のせいぐらいの勢いです。
一方、日本では・・・
基本
一方の日本語は、ひらがなだけで46文字あります。旧字である「ゐ」「ゑ」を含めると48文字です。拗音・促音は「あ」「い」「う」「え」「お」「つ」「や」「ゆ」「よ」を小さくしただけなので考慮しないとしても、濁音・半濁音が存在するので、それらを考慮すると更に25文字加わります。結果として、合計で71文字のひらがなを区別できるように書けないと相手に意図を伝える事ができません。
ひらがなに加えてカタカナも書く必要があるので、この数は更に倍になります。
この時点で142の文字数を区別できるように書けないと、相手に伝わる文章が書けないのです。
もちろん日本語にもひらがなとカタカナで似たような文字があります
か、カ
き、キ
せ、セ
へ、ヘ
り、リ
これらの文字を考慮したとしても、ひらがな・カタカナを習う小学校1年生レベルで既に100文字以上の文字を区別できるような文字を書く必要があるのです。
しかも日本語の場合、似てるようで異なった文字があり、それらを区別できるように書けないといけません。私も小学生の頃にカタカナの「シ」と「ツ」、「ソ」と「ン」をなかなか区別できるように書くことができず苦労した思い出があります。
余談ですが、これらの文字もきちんと区別できるように書ける必要があるので、必然的に細かいところまで目が届く国民性になったりするのかな、と思ったりします。
追い打ち
さらに文部科学省の学習指導要領によると、小学校1年生時点で80字の漢字を習い、小学校2年生ではさらにその倍の160字、小学校3年生、4年生で一年間に200字を習うというピークを迎え、その後は5年生で185字、6年生で181字と言ったように学習曲線がなだらかになっていく形になります。
そして中学校を卒業するまでに常用漢字2,136字を習うことが文部科学省より推奨されており、中学校卒業までに小学校で習った1,026字に加えて新たに1,110字を習うことになっているそうです。
1,110字を3年間で習うのですから、平均すると1年間に370字の新しい漢字を習うことになります。小学校6年生で習った漢字の数の倍以上の数の漢字を毎年習うことになるのですから、中学生は大変ですね。
そして、文部科学省の学習指導要領を見ると
と記載されています。
そうです。日本では、ひらがな・カタカナの142文字、常用漢字の2,136文字を区別できるように書ける、少なくとも読めるようにならないと生きていけないのです。怖い。😱
日本で暮らし、日本語を読み書きする学生・社会人になるためには、これらの2,278字を区別して書けるようになり、そして読めるような能力がないと生活もできないし、生き残っていけないのです。
これらの文字を使って相手に自分の意思・意図を伝えるためには、文字をある程度読み手が判別できるように書く、つまり文字をきれいに書く必要があるのです。
話はアメリカに戻り・・・
一方のアメリカでは、最大に見積もっても52文字、似たような文字を省くと36文字、その他文章構成を省くと特定の場合を除いて小文字を区別できればいいので大体26文字、さらに q、x、z といったようなあまり使われない小文字もあるので、それらを考慮すると大体20文字くらいの文字が判別できればいいのです。読み手が20文字を判別できる程度に文字が書ければいいので、結果として字が汚くなるのです。
私が体験したアメリカ人の字の汚さのエピソードとしては、普段からアメリカ人の書いた字を読むのに苦労しているのもそうですが、私の名前は日本で生まれた時につけられ、且つ、特に海外で生活することを考慮してつけられた名前ではありませんので、アメリカ人からするととても特殊な名前になります。綴りもアメリカ人が見たことがないようなアルファベットが並びます。
ある時、私に一通の手紙が届きました。
名前のスペルが間違っています。
おまけに住所のスペルも違います。
それでも手紙は私の手元に届きました。
「スゲェーな、これでよく自分のところに届いたな・・・」と思いましたが、字が汚いこと、間違っていることを前提に社会が回っているので、差出人から宛先人に手紙を届けるという目的が達成されていればそれで良いのです。目的が達成されたのであれば字が汚いことなんてどうでもいいですよね。そういう訳でアメリカ人の字はもっと汚くなると言う PDCA サイクルが発生するのです。
字が汚くて社会が回るならそれでいいじゃん
字が汚くて社会が回るなら字をきれいに書く必要なんてないよね
そうそう。キレイに字を書く努力をする必要もないよね
アメリカではこのような正のフィードバック(?)が働き、アメリカ人の字はさらに汚くなっていくのです。
そしてアメリカ人の字が汚くなり、20数文字の文字の判別も難しくなった時点でアメリカ人はタイプライターを発明しました(この文章には著者の創作が含まれています)。タイプライター、そして、コンピューターが発明され、文字や手紙はコンピューターがプリントアウトするもの、むしろプリントアウトする必要すらなく、文字のやり取りは電子メール、ウェブサイトを通じてやり取りをすればいいじゃん、ということになりました。
結果として文字を書く必要すらなくなり、文字を書く必要がないので、文字を書く練習する機会がなくなり、文字を書く機会すらないのでアメリカ人の字はますます汚くなっていくのです。
実際に私も日々の生活で英語を使っていて、英語でメモを取るときもあります。あとで読めればいいので、必然的に字は汚くなります。英語につられ日本語の文字もだんだんと汚くなってきました。
ある時、数日前に書いた自分の文字が読めなくなっている自分に気づき、「ぁぁ、オレもアメリカ人ぽくなったなぁ・・・」としみじみと思ったものでした。
まとめ
以上アメリカ人の字が汚い理由について私なりの考えを述べてみました。アメリカ人の字が汚いのは、「使っている文字数が少ないから」「少ない文字数の文字だけ判別できるように書ければ良いから」というのが私の答えでした。
私の考えとは異なった皆さんなりの考えがありましたら是非教えて下さい。よろしくお願いします。
おしまい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?