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ベンゾジアゼピン減断薬 - 抗生物質との相互作用

割引あり

今回のお題は「抗生物質を服用するとベンゾジアゼピンの離脱症状が悪化する」。一部の当事者がネット上に拡散し、拡大再生産され続けている言説のひとつだ。風説といった方がしっくりくる。

界隈の言説が常に非科学的・反医学的であるというわけでは必ずしもない。根拠となる学説はあることが多い。
しかし科学的・医学的バックボーンを有さない人達が科学的・医学的バックボーンを有さない人達に知識を行き渡らせようとした結果、その内容は極度にデフォルメされ、「わかりやすいが厳密な意味では正しくない」お題目に変容してしまうことは少なくない。「抗生物質を服用するとベンゾジアゼピンの離脱症状が悪化する」も同様だ。
おそらく根拠は、界隈で聖典の様に扱われることもある通称「アシュトン・マニュアル」のこの一節だろう。

何らかの理由で抗生物質は、時に離脱症状を悪化させることがあるようです。しかしながら、抗菌剤の一種であるキノロン剤は、実際にベンゾジアゼピンをGABA受容体の結合部位から外します。これらはベンゾジアゼピンを使用中あるいは減薬中の人に、激しい離脱を引き起こす可能性があります。ベンゾジアゼピン離脱中に抗生物質を摂取する必要があるかもしれませんが、可能ならキノロン剤は避けるべきです。

アシュトン教授からの大切なメッセージ 2007年1月

ここでアシュトン教授は抗生物質、特にその中でも「キノロン剤」=「キノロン系の抗生物質」がベンゾジアゼピンの離脱症状を悪化させる可能性に言及している。
一部の抗生物質がベンゾジアゼピンを競合的に阻害することは科学的事実である。
※1980年代以降、キノロン骨格にフッ素を導入したノルフロキサシン系抗生物質(いわゆるニューキノロン=フルオロキノロン)がキノロン系抗生物質の主流となっているため、以下特に断りがないかぎりキノロン系抗生物質≒ニューキノロン系抗生物質と見做して話を進める。

フルオロキノロン系抗生物質とベンゾジアゼピン-GABAA受容体複合体との相互作用について検討された。オフロキサシンは、中枢神経系に対して刺激効果を示し、この効果はフルマゼニルによって増強されるが、ミダゾラムによって逆転することが観察された。これらの結果から、フルオロキノロンの中枢神経系に対する副作用は、ベンゾジアゼピン-GABAA受容体複合体との相互作用を介して少なくとも部分的に媒介される可能性があると結論付けられる。したがって、フルオロキノロン誘発性の神経毒性イベントに対して、ベンゾジアゼピン系アゴニストの使用が有効である可能性が示唆される。

Unseld, E., Ziegler, G., Gemeinhardt, A., Janssen, U., & Klotz, U. (1990). Possible interaction of fluoroquinolones with the benzodiazepine-GABAA-receptor complex. British Journal of Clinical Pharmacology, 30, 63-70.

しかしこのことがベンゾジアゼピン減断薬の臨床においてどの程度の意味を持つのかは判然としない。臨床研究は限られていて、僕が検索しえた限りベンゾジアゼピンの離脱症状とニューキノロン系抗生物質使用との関係を直接的に対象とした研究は以下の短報しかみつけられなかった。

ジョン・ギルバン・マッコネルは、ベンゾジアゼピンに依存し、またはその離脱中の患者において、フルオロキノロン系抗生物質への副作用の発生率が異常に高いことを報告している。この調査は、ベンゾジアゼピン離脱支援グループの参加者を対象に行われた。副作用は、フルオロキノロンの使用停止後1ヶ月以内に解消される場合が多かったが、症状が数ヶ月間続くケースもあった。参加者は、うつ病、不安、精神病、妄想、重度の不眠症など、急性ベンゾジアゼピン離脱に似た副作用を報告している。この研究は、ベンゾジアゼピン依存の患者におけるフルオロキノロン使用のリスクに関する警告であり、可能な限りその使用を避けるべきであると結論づけている。

McConnell, J. G. (2008). Benzodiazepine tolerance, dependency, and withdrawal syndromes and interactions with fluoroquinolone antimicrobials. British Journal of General Practice, 58(550), 365-366. https://doi.org/10.3399/bjgp08X280317

この短報が「online benzodiazepine withdrawal support group (www.thetrap.org.uk)」を対象にした、その母数があまり大きくない(論文中に記載されていない)サーベイに基づくものであることは研究としての大きなlimitationと見做されるだろう。ちなみに上記サポートグループのURLは現在アクセスが確認できない。

ベンゾジアゼピンを服用している患者さんがニューキノロン系抗生物質を過剰に警戒する必要は無いというのが僕の個人的なスタンスだ。
ベンゾジアゼピンもニューキノロンも広く処方されている医薬品なので、知らぬ間に併用している患者さんは相当な数になるはずである。にもかかわらずベンゾジアゼピンとニューキノロンの相互作用に関する研究報告がほとんどなされていない事実自体が、「ニューキノロン系抗生物質がベンゾジアゼピンをGABA受容体の結合部位から『外す』ことによって起こる激しい離脱症状」が(起きるのだとしても)ごくごく稀な事象であることの証左ではないだろうか。
SNSで「ベンゾジアゼピンを服用していると告げたのに無知な医者にニューキノロンを出された」とか「薬剤師も何も知らなかった」と綴る憤りのポストを観測することがあるが、界隈で取り扱われるようなベンゾジアゼピンの離脱症状とニューキノロン使用の関係については、少なくとも臨床レベルではあまりエビデンスレベルが高くない医学的事象であると心得た方がよい。

もちろん「ごく稀だとしてもそれが起きた人にとっては100%」式の反論はもっともだと思うし、ニューキノロンがベンゾジアゼピンの離脱症状を悪化させる可能性を無視するべきでもないだろう。だから僕もアシュトン教授と全く同じように「ベンゾジアゼピン離脱中に抗生物質を摂取する必要がある場合は可能ならニューキノロンは避けるべき」だと考える。

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