酒と病と俺

みっかっちゃった。

「頭痛」でかかった脳神経内科の医師に「念の為、」といわれてとったMRI。
くだされた診断は、「隠れ脳硬塞」。

「のーこーそく」
それを聞いて、逆に頭の血管がどん詰まりそうになった。

ちなみに「頭痛」はソレとは無関係の模様。
隠れていたソレがたまたま検査で「みっかっちゃった」というわけだ。

のーこーそく。
それって、ガチでマジで死んだりするバイヤーなやつやん?

んじゃなんで俺生きてんの?
なんで割と今元気なの?
手足の麻痺とか、そゆのもないよ?

聞けば、「隠れ脳硬塞」は、特段それによって死ぬわけでもなく、身体症状が出るわけでもない、「ラッキーなやつ」らしい。
なんでも、重要な神経細胞が少ない脳部位に知らない間に起こるものだとか。

そして、これはMRIをとらないと、無症状のままわからない。
だから、割と実は気づかずに「隠れている」こともあるらしい。

ほっ、さほど珍しいことじゃないのね。よかた。

「いやいや、安心してんじゃね~よ。この年で出るのは割とハエ~し、結構デケ~のがデキてんだよ。のーこーそくナメんな。このスットコドッコイのオタンコナス」と、医者。

除去したりする方法はないが、将来他の部位の疾患の引き金になったりするおそれもあり、経過観察、悪化させないよう生活習慣の改善等が必要とのこと。

して、その考えられる原因について、根掘り葉掘り医者の問診。
ツめツめ、キツめの詰問。

いやいや、いいよ、もう。
そんな詰めないで。責めないで。
大体わかってるから。アレでしょ。どーせ。

「まあ、呑みすぎ、でしょうね。」

あい、きた~、出た~、やっぱりね。ぱりやつね。

さらにそれだけじゃない。
今は簡単な「アル中診断テスト」がスマホで手軽にできる。
すると、実はなんと、依存度が相当高い俺。

いや、それもやらんでもわかってたわ。
俺のキャリアを見ろ。

30歳:通風 → 禁酒 → 飲酒(再)
 → 禁酒(再1) → 飲酒(再2)
 → 禁酒(再2) → 飲酒(再3)
 → 禁酒(再3) → 飲酒(再4)
 → 禁酒(再4) → 飲酒(再5)
 → 禁酒(再5) → 飲酒(再6)
37歳くらい:逆流性食道炎 → 禁酒(再6) → 即飲酒(再7) 
39歳:脂肪肝 → 禁酒(再7) → 即飲酒(再8)
 ※(再)の回数は不正確な可能性アリ

幾度となく困難(病)にあいながらも挫けず腐らず、ブレずに果敢に飲み続けたこの10年余りのキャリア。

自叙伝『酒と病と俺』として出版しよう。

出版前に「39歳:隠れ脳梗塞 → ビビる」を加筆する必要があるが。

出版社のオファーを待つ。
キンドル?ふざけるな、本は、紙を指でめくって読むものだろう。

いやはや、「のーこーそく」とは。
「漢字が書けないのに、読めるしよく耳にする」という一番アレな、こわいやつだ。

隠れ働かないおじさん

30台になってから、仕事もコナレてきた。

ただコナレてきたのは「仕事そのもの」以上に、「仕事そのものがこないようにすること」にである。

具体的には、「サボっているともギリギリ言えない絶妙な速度とタイミング」で各作業を上げ、「常にそれなりに案件をたくさん抱えていて滞っている感」を出すことに全集中し、「追加の仕事を振れない雰囲気」を全身から力の限り醸し出すこと、である。

今、話題、社会問題の「働かないおじさん」のなかでも、俺は最も見えにくい「隠れ働かないおじさん」だ。MRIですら見破れまい。

というわけで、現状、日々の業務の劇的な「減量」に成功し続けている。
「リバウンド」は今のところ、ない。

「量」を抑えるのは大事である。
そこさえきちんとすれば、スーパー省エネモードでもなんとなく成り立ってしまう。

よって、仕事で疲れやストレスを感じることは俺はほとんどない。
日々、割とマーヒー。
よく言えば、ゆとりがある。
薄給だけど。

したがって、本件の要因に「ストレス」がある線は消え、その主因はやはり「酒」である可能性がさらに強まる。

一方、コロナ禍からの、テレワの継続である。
俺がやっているようなさほど機密も扱わないイージーな事務仕事は、基本出社せずとも全然、全っ然っ、可能。だから薄給。
それがコロナで明らかになってしまった。くっくっくっ。

今も、平日の半分は自宅で、このnoteを書いたりしつつ、ゆっるぅぅぅく、仕事している。
薄給なのも仕方ない。

そして、夜な夜な音楽の現場に出かけていく。
すると、現場は楽しい。
当たり前だ、音楽は絶対に楽しい。

おまけに、次の日が、「大したことない」。

となれば、そりゃ、もう。
やっちゃうよね。

ということで30台、とりわけここ数年は、20台の頃にもまして呑むに呑んだ。呑み貫いた。
20台に比べて体の機能は落ちてきているにもかかわらず、だ。

そんなふうにして、自叙伝『酒と病と俺』が、自然と綴られていった次第である。

出版社、オファー求む。
テレビ局、ドラマ化、していいよ。

ペラい死生観

でも、呑みに呑み貫いた理由は、「ゴトシーにコナレてマーヒー」なだけじゃない。
否、もっとずっと根深い理由がある。

それは、「さも何かを悟ったかのようなカン違い死生観」である。

よく俺は、酒に酔いながら、こういうことを言い続けてきた。
「我慢して生きてても、しょーがないしね。」
だから、呑むのだ、と。

それはそれで間違っていない。少なくとも論理的には。

個人の「生きる意味」なんぞは、他人への不当な権利侵害などがない限り、基本的に本人が自由に勝手に決めていい。
当然だ。

なので、

「生きていること、なるべく長く健康で生き続けることそのことよりも、生きている間だけは酒を呑めるだけ呑んで楽しみ続けることのほうが自分の人生にとって意味深い。」

そう本当に腹の底から言い切れるならば、それでいいし、誰かにとやかく言われる筋合いもない。

自分で、自分はそうだと思っていた。

でも、全然違った。
そんなものは、医者の診断一つで、MRIの画像一つで、いとも簡単にひっくり返ってしまった。

俺は、診察室を出たときにはすでにこう強く思っていた。

「死にたくない。生きたい。なるべく長く、健康で。」

この思い、感じは、今までの「通風」や「脂肪肝」とかの時とは質がまるで違った。

直接に、リアルに、しかし静かに深いところで「命」に脅威が迫る感じ。
そしてその脅威からの逃避を切に願う感情。
俺のなかの「生物の本能」の部分が「死」への恐怖を感じ、「生=自己保存」をめがけている感覚。

脳神経内科での検査結果の説明・診断はものの10分程度だった。
本当に「我慢して生きていても、しょーがない」と思っているのならば、診断が下ってもなお「ふーん、でも我慢して生き…(略)」と思い続けられるはずだ。

結局、俺の死生観なんぞ、その程度のものだった。

「39歳:隠れ脳梗塞 → ビビる → 断酒」

もとより、医者は「呑むな」とは言っていない。
「控えろ」言っているだけだ。

つまり、程度の問題。
程度を弁えるならば呑んでもいい、ということだ。

なるほど、どうやらこの医者は、俺様の自叙伝を読んでいないらしい。
まあ、まだ出版されていないからね。

これだけは胸を張って断言しよう。

もし「控える」などという中途半端なことができるなら、俺の「のー」は今「こーそく」していない。「ノーのーこーそく」である。

しかも医者のいう摂取していいアルコール量の上限は、ビールでいうと「大ビン1本」分。
そんなもの「秒」で飲み終わり、物足りなくなるに決まっている。
そうなると、「ペラい死生観」から抜け切れていないクズな俺は、「のーこーそく、だけど、ま、いっか」とまた深酒の日々に舞い戻るに決まっている。
自分の体と生活で、幾度となく実証してきたことだ。

よって、すっぱりやめる。
これしかないのだ。

否、もしかしたらもしかすると、だが、『どこかで、ずっと、やめたかった』のかもしれない。
今、そんな風にも思わないでもない。

音楽仲間はじめ周囲の元来呑兵衛のなかには、突然倒れたとか救急車に運ばれたとかで、重たい病気が判明し、結果、全く呑ま(め)なくなったヤツらも何人かいる。

①そういうヤツらの現場での姿は、まっすぐにひたむきに音楽自体を楽しんでいるように見える。カッケー。

ただ、もちろん、酒そのものに罪はない。
ダメなのは酒との適度な距離での付き合いができない俺の方だ。

だから、
②自分の健康や生活を崩さない程度をちゃんと弁えつつ、呑んで楽しくなっているヤツらもまた、当然、カッケー。
尤も、ほとんどの大人はこれができて当たり前なのかもしれないが。

ともかく、そんなお前らをリスペクト。うらやましいぜ。
だから、俺もちょっとくらいカッケく、マシになりたい。

そんなことを、どこかでずっと思っていた気がするのだ。
30歳で通風を発症したあたりから、本当はずっと。

して、俺が目指せるカッケさは、言わずもがな①の方向だけ。
それ以外にない。

①のヤツらのどこかふっきれたような凛とした、でも明るい態度。
どことなく感じる、まじりっけのない優しさと穏やかさを讃えた空気感。

そういう風に、前からずっとなりたかったのだと思う。

俺なんぞは、症状もなければ倒れたわけでもなく、たまたま「みっかっちゃった」だけなので、なかなか同じ境地にはすぐにはいけそうにない。
一回ぶっ倒れて救急車にでも運ばれてみるか。

それに、現場には酒が溢れている。誘惑は多い。またついつい「隠れているアイツ」のことを忘れて、酒を口にしてしまうこともあるかもしれない。

でも、少しずつ。
呑まなくったって、今まで通り楽しくバカでいよう。
そういられるように、努力しよう。
頑張るのは嫌いだけど、そこだけは頑張るのだ。

「病気だから仕方なく【禁酒】」という消極性・外発性。
ではなく、
「よりよく生き続けるための【断酒】」という積極的・内発的な意志。

それをもって、なるべく健康で長く生き続けたい。
そんなんが、少なくとも今の俺にとっては、尊く美しい生き方だ。

知らんけど。

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