見出し画像

ただただ感謝❤

試練は思いがけない時にやってくる。

先週の水曜日の午後、末っ子を図書館に連れて行こうと身支度をしていると、主人から電話がかかってきた。

次男が私たちの通う教会の前で車の事故に遭ったから現場に行け、とのこと。自分もダウンタウンから向かっているが、家からの方が近いからすぐに行くように言われた。

詳しい状況は主人も分からないが、車3台を巻き込んだ衝突事故。3人けが人がいるようだ、とだけ告げられ、一人で現場に向かう。

途中で主人からの電話がまた入り、次男だけが救急車で病院に運ばれたから現場ではなく、直接病院に向かえ、と言われた。

運転するようになったティーンエイジャーを持つ親としての心配が現実となったのだ。

病院に着くと、教会の友達がすでにいて、「彼女の子供も事故に巻き込まれたのか」という考えが真っ先に浮かんできたが、そうではなく、病院から2分離れたところに住む彼女は、病院から50分離れたところに住む私が到着するまで、次男に付き添ってあげようと来てくれたということが分かった。

私が到着した後に次男が救急車で到着し、次男の所に連れていかれた。どんな姿の次男を目にするかはまったく想像もできない。(というよりは、想像しないようにしていたのかもしれない)

次男の後ろ姿が見え、全身が見えた。血まみれの姿も覚悟していたが、右頬が異様に腫れている以外外傷は見当たらない。とりあえず、安堵した。

左から衝突されたのに右頬が腫れているのが不思議だったが、衝突の衝撃で右肩に顔が当たったのだろうと本人は言っていた。

右肩に顔が当たるくらいの衝撃なら、首もケガしているのでは?とすぐに心配になったが、頬の痛み以外どこにも痛みはないという。

診察を待っている間に主人が到着し、コロナの関係で付き添いが一人と限られているため、私と主人は入れ替わり、私は家に向かった。

事故現場を通った時はもう事故の跡形もなく、綺麗に片づけられていて、事故があったことも幻のように感じた。

幸いなことに、レントゲンからは骨折もひびも確認されなかったので、ひどい打撲ということで帰された。

翌日、翌々日と倍以上に顔が腫れ、目の周りが黒くなり、目が充血し、顔半分別人のようになったが、外傷よりもメンタルに打撃を受け、しょんぼりなってしまった次男の姿は見るからに痛々しかった。

でも、不幸中の幸いとはこのことだろう。

車3台、何人もの人が事故に巻き込まれたのにも関わらず、次男だけがけがをし、しかも顔の打撲程度ですんだことも奇跡である。翌日、この事故現場の写真を見た友人からも「守られたね」と言われた。

T-bone(ドライバー側から直撃衝突)された次男の運転する車(全損)

その通りだと思う。神の恩恵でしかないと信じている。

神の恩恵と言えば、主人から電話をもらって病院にかけつき、その後今日までに至る一週間、パニックに陥ることもなく、全てのことに落ち着いて対応できる平安に包まれていたのも、感謝せずにはいられない。

いつもは子供たちに厳しい夫も、次男を責めることなく、優しい態度で接し、次男を励まし、勇気づけ、このことで夫婦喧嘩になることもなく、一緒に乗り越えられたのも神の恵みと憐れみだと知っている。

でも、こんなふうに事故後、全てがスムーズに落ち着いたのも教会の兄弟姉妹のおかげでもある。

事故現場にすぐに駆けつけてくれ、対応してくれた人、私よりも早く病院に駆けつけてくれた人、車にいた子供たち、後ろの車から、教会の敷地から事故を目撃した子供たちにハグしてあげ、慰めてくれた人も数えきれないほどである。

祈ってくれた人達、電話で次男を励ましてくれた人、兵営からわざわざ次男を見舞いに来てくれた息子たちの友人、あげればきりがないほどの優しさと愛が私たちを包んでくれたから、困難の時をこんなにもスムーズに乗り越えることができたのだ。

こんなにもたくさんの愛に囲まれていたことに初めて気づいた。「なんて幸せ者なんだ、私たち」、そう思い、胸が熱くなった。

溢れるほどの愛を注がれた次男は、事故から4日後、周りが黒くなり充血した目と腫れた顔で、教会の日曜礼拝でドラムを叩けるまでに心身とも回復した。

顔半分ケガしたボクサーのような姿でドラムを叩く次男の姿に涙腺の緩い私の目から涙が溢れだした。

自分のことよりも礼拝チームの一員としての責任を優先し、スケジュール通りドラムを叩いている次男を誇りに思った。

事故直後 → 事故翌日 → 翌々日

子どもと大人の間にいる17歳の次男。
逞しいと思う姿もあれば、この子はまだ子供だと思うときもある。

救急室で私を見た瞬間、我慢していた感情が溢れだし声を殺して泣いた次男。

「他に誰もケガしなくてよかった。友達がけがしたらと思うと…」とかすれる声で呟いていた次男。

もともと痩せているのに、さらに抜け殻のようにしぼんでしまった次男。

人生に過ち、間違いはつきもの。
大事なのは、どのように困難の中にあっても折れずに乗り越えられるか、
どのようにつまずいたところから起き上がり、諦めずに負けずに突き進むか。

子供が辛い経験を経過しているときにどのように寄り添ってあげるか、
子供の過ちをどのように受け止め、導いてあげるか、
親としてもとても貴重な体験となった。

事故に巻き込まれた人みなが守られたこと、事故直後の溢れるほどの愛とサポートにただただ感謝。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?