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ランニングにおける筋肉痛と故障

走ったりしない人は、たまに走ると翌日に酷い筋肉痛になったりして「身体がボロボロや」と嘆く。ものすごく走る人は関節や腱などに慢性的な痛みを抱えてたりして、これを故障と呼ぶ。しかし、筋肉痛と故障は根本的に異なる性質のものだ。

強い負荷を与えると筋肉はところどころ破壊されてそこが炎症を起こす。これが筋肉痛。どのくらいの負荷でどのくらいの筋肉痛を起こすかは人それぞれ。過去にどんな負荷を経験したか、どのくらいの頻度で負荷を与えているかによる。そしてほとんどの筋肉痛は72時間以内にほぼ治る。(専門家ではないけどたぶん生理的に) かつ治った時にはそれ以前より強い筋肉に再生する。これを超回復と呼ぶ。

だとすれば筋肉痛は嘆くものではなく、祝福すべきものだろう。一度にものすごく強くすることはできないが、段階的に破壊と再生を繰り返していけば誰でも強くなれる。自分もそうやって脚力を得て100kmでも200kmでも走れるようになった。


脚力が強いからと言って故障しないわけじゃない。関節炎、足底筋膜炎、疲労骨折、肉離れなどなど数多い。だけどこれは負荷の掛け方の問題。つまり走り方の問題。人間には本能としての走り方というのがあってそれは裸足を前提に進化してきたことは間違いない。履き物の歴史など人類の歴史に比べたら一瞬に過ぎない。運動靴なるものはさらに歴史が短い。運動というのは、身体を動かすことがない生活習慣から生まれたのだから近代とか現代の概念に過ぎない。近頃はクッション性やバネ弾性の強いランニングシューズが脚光を浴びているが、本能の走り方とは別物だろう。裸足を起点に考えるなら「最新のランニングシューズを履くと速く走れる」というのと「自転車に乗ると速く走れる」というのは大差無い。どちらも道具なのだから。本能の走り方が身についていて道具を使うのならいいが、そうでない場合、道具の使い方次第で脚を壊す。つまり故障する。

裸足なら故障しないのかというとそういうわけではない。そもそも本能の走り方を忘れてるのに裸足で、急激に速くとか長く走ったりするとやっぱり故障する。

距離と速さを同時ではなく交互に、ゆっくりと時間を掛けて身体を慣らしていく。そうすると忘れてた本能が目覚める。アスリートではなく誰もが持つ能力。「走れない」はなくて「走ら
ない」だけ。(もちろん身体に障害を持つ場合は除く)

原始の時代は食糧を得るために走り、食糧にされないために走ったのだから。

こんなことに興味がある人はこの本を読んでみて下さい。

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