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37歳で患った髄膜炎について

今回は、テクノロジー関連でもトレーニング関連でもなく、髄膜炎という病気について書きたいと思います。
理由としては、さあブログを書いてアウトプットしていこうと思った矢先に髄膜炎で入院になってしまったこと、また髄膜炎についての記事がそれほど多くなく認知度も大きくはないと感じたためです。
髄膜炎の判断は普通のクリニックでも難しく、故に薬を飲んでも改善せず、普段と少し違う症状で不安の方も少なくないのではと思います。この記事では高熱・頭痛が治まらない~髄膜炎の判断までをメインに書きました。現時点で辛い謎の頭痛、高熱で苦しんでいる方のお役に立てれば幸いです。

髄膜炎について

髄膜炎についての説明はweb検索するとたくさん出てきますが、私の場合は細菌性髄膜炎という診断でした。髄膜炎は、脳の周りを覆っている髄膜に炎症がおこる病気です。私が髄膜炎と診断され入院に至るまで、そして入院後、原因について出来る限りまとめてみます。

初期症状(救急搬送まで)

11/28(水)
特にいつもと変わりなく家で仕事を終えると、夕方頃から急に悪寒と熱がでた。あぁ、やってしまったなぁと、最近の睡眠不足とマラソン大会前の追い込みを少し後悔しながら、妻が買ってきた市販の薬を飲んで就寝。この時はまだそれほど頭は痛くなかった。

11/29(木)
夜中寝てると頭に痛みがあったが、全く寝れないということもなかった。
朝起きて身体中だるい。間接も痛いので完全に風邪を引いてしまったと、仕方なく会社を休む。いつも行ってるクリニックは木曜休診だったので、初めて行くクリニックへ。クリニックで熱を計ると38.6℃ 久々の高熱だ。
ただし、鼻水や喉の痛み、咳は全くない。
初診の結果はウイルス性の風邪と診断されて、解熱鎮痛剤と炎症を抑える薬をもらう。念のためインフルの検査を行うも結果は陰性。
翌日も高熱が続くようであれば再度来てくださいと言われて、家に戻る。

妻がおじや、うどんを作ってくれるも、食欲がない。吐き気もでてきた。とりあえず薬を飲んで横になる。

夜、頭痛がひどくなる。解熱鎮痛もあまり効かないレベル。
それでもなんとか寝る。

11/30(金)
朝起きて熱を計ると39.3℃。さらにあがってる。
言われた通りもう一度、クリニックへ。タクシーを使う。
尿検査でも原因不明。インフルの検査をもう一度行うが、やはり陰性。血液を採取して総合病院へ送られる。
ここで初めて、『髄膜炎という病気もあるので、そこは注意が必要です』と言われる。抗生物質をもらい、解熱鎮痛剤も強いものにしてもらう。

高熱、激しい頭痛、吐き気。
この状態で何も出来ない、何も考えられない状態が続く。

解熱鎮痛を飲んだあとは少し和らぐが、鼻水、喉は全くといってよいほど問題なく、普通の風邪とは何か異なると認識し始める。

ご飯、果物を無理やり押し込む。
クリニックからTELがあり、血液検査の結果から、何らかの細菌感染の可能性があるとの連絡。引き続き抗生剤を飲んでと言われる。

夜、やはり強い頭痛が襲来。熱も39℃前後

12/1(土)
朝起きるも、高熱は続く。
クリニックにTELして再度行くべきかも聞くと、とりあえず来てくれとのこと。なんとか辿り着くと、昨日一昨日とは違う先生。血液検査の結果、CRP(炎症値)と白血球の数字が異常に高いと言われるが、今の抗生剤で週明けまで様子見しましょうと言われる。この辛い状態で様子見なんて出来るのかとイラつきを感じる。
また、首の硬直具合をみて、『髄膜炎ではなさそうだしなぁ』と言われる。この一言は一生忘れないだろう。もちろんクリニックを責める気はないが、事実このあと髄膜炎と診断される私としては、街角のクリニックの質、診療の限界について疑問を抱かざるを得ない。

帰って薬を飲み15時くらいまで眠れた。ここからが地獄だった。
酷い頭痛はやむことなく、ただただ解熱鎮痛(カロナール)を飲める6時間間隔を計算してた記憶がある。正確には守れず4時間くらいで再度解熱鎮痛を飲んでた。
風呂に入って少しリフレッシュして、ご飯を無理やり入れて横になる。
横になるも頭痛で全く寝れない。熱も高熱だったと思う。
目を閉じると様々な光景がものすごいスピードで入れ替わっていく。そういえば風呂場でもトイレでも壁の模様が顔やモンスターに見えたりしてた。
いま思えば幻覚症状だったのだろう。

12/2(日)
全く寝れないまま5時くらい、リフレッシュしようと風呂に入る。入ってる間は少し楽だった気がする。本当はこの日、フルマラソンの大会だったのだが、頭痛が酷いので断念していた。
それでも仲間の応援をしようとスマホでナビをみようとしてた朝8時頃、突如、凄まじい寒気と強烈な頭痛が襲ってきた。
ヒートテック、フリース、パーカーと着込んでも全身から熱が逃げていく感じ。はじめて、死を意識する。クリニックにもう一度行ってる余裕も体力も精神力もない。妻に伝えると、救急車呼ぼうとのこと。一瞬、頭痛と高熱で救急車?と考えたが、もうこれしかなかった。

救急搬送

救急車に乗り込み、いろいろ詳しく聞かれる。正直しんどい。
受け入れ先が決まって移動。病院に救急搬送され、そこでも『インフルじゃないのかなぁ』と言う声が聞こえてくる。インフルなら望むところだ、コンチクショー。熱は39.9℃
とりあえず座薬の解熱剤を入れられるが効果はなし。
頭が割れるように痛い。
眠そうな勤務医が、熱もすごいし、この頭痛からは髄膜炎の可能性がゼロではないと言われる。ここでも首の硬直具合を診られるが、そこまで硬直はしていない。そう、私のケースでは首の硬直はそれほど顕著ではなかったのだ。ただし、顎を胸に近付けるように首を前にする動きは、回復した後と比べるとやはり硬かったと思う。

髄膜炎の場合は治療は早い方がよいということで、髄液検査をしたいが、この病院では、この日、専門医が不在だったため、髄液検査をすぐに出来る病院を改めて探してくれる。
違う救急車にまたのせられ、違う病院へ救急搬送。
ラン仲間がフルマラソン走ってるなか、私は救急車を乗り継いで病院から病院へと走る。こんなことも人生あるのかと思ってると、次の病院へ到着した。
到着すると直ぐに髄液検査(腰椎穿刺・ルンバール)が行われた。背中の腰あたりに局所麻酔の注射をして、針を脊髄腔(骨髄と硬膜の間の空間)へ進めて脳脊髄液を採取する。
1度でうまくいかず、何度かトライしていた。何回か背中に痛み、そして神経に触れたのか右足が一瞬痺れた。もうやりたくない。
髄液が採れはじめて、医師から『少し濁ってるから、やはり髄膜炎ぽいね』と言われる。
あぁ、やはりそうだったんだ。と、ショックよりも原因に近付いたことで安堵の気持ちの方が強かった。
また、髄液を採取してる時点で、それまであった強烈な頭痛が嘘のようになくなった。これは、炎症で脳に圧力がかかってたのが、髄液を抜くことで圧力がさがったためとのこと。(頭蓋内圧亢進)
一時的であるにせよ、頭痛から解放された時は最高だった。
のも束の間、医師から『とりあえず即入院、最低1週間』と言われる。入院生活が始まった。

入院

緊急病棟の一室に運ばれてきた私は、まだ高熱状態。
これから詳しい原因の検査、および治療が進められていく。

髄液検査の結果は、細菌性髄膜炎。菌の詳細、侵入経路は不明。
最初の治療は治療のポイントを外すことが出来ないので、広く確実に効くという二種類の抗生物質(1つはメロペネム、もう1つはセフトリアキソンNa) + 生理食塩水。

まだ39℃前後と熱も高いので不定期に解熱鎮痛剤を使う。
少しずつではあるが、日に日に熱は下がってきた。
MRIやCT検査を重ねるが、原因は見つからない。口腔内科で歯の検査もしてもらうが、異常なし。
MRIで撮った脳の輪切り写真では、特に左側の脳に炎症が強く出ていたようだ。白く写っていた。
また、虫歯を放置してたり、中耳炎、副鼻腔炎、扁桃腺炎等によって脳へその菌が侵入して、髄膜炎が起きることがあるらしい。
私の場合は、どの病気も虫歯も該当しない。なぜ髄膜炎になったのだろうか。。?
医師によると髄液の培養結果では本来生えてくる菌が隠れている?ようだ。どうも初期にクリニックで使用した抗生物質によって菌が隠れてしまったということなのだが、それでは殆どのケースでは菌は出てこないのではないか。。
結局のところ、最後まで細菌の詳細、髄膜炎の原因は分からなかった。原因と対策がとれない、これからの生活に不安が残るが、これも現在の医療の限界かのかもしれない。

入院4日目くらいからは、抗生物質に加えて、グリセレブという頭蓋内圧亢進を治療するための点滴も定期的に投与され始めた。
これくらいから、かなり楽になり、熱も平熱近くまでさがり、解熱鎮痛も要らなくなった。

入院5日以降はのんびりと過ごした。日々お見舞いに来てくださる方々と会話させてもらい入院患者ながら、日々楽しく過ごした。お見舞いに来たいとメールをもらった方にも本当に感謝している。ただ、お子さんが小さかったり、家族で共に移動してまでとなると、これは大変なことなので有りがたくもお断りさせていただいた。

これまでに見たかった映画、漫画、本にかなり時間を割くことができた。これもインターネットの恩恵によるもので、自分の仕事が少し世の中のためになっていると感じ得たりもした。

入院から10日くらいして、点滴は抗生物質のみとなった。
さらに、もう一度、髄液の採取を行った。色はかなり透明に近くなっていた。髄液検査(腰椎穿刺・ルンバール)は嫌だが、今回は1度で成功した。足の神経に触れることもなかったようだ。
 このあと、なんだかんだで入院は19日間続いた。最後の5日間くらいはは抗生物質も投与されず、経過観察の入院生活だったので、3食付きの怠惰なネット三昧な生活だった。これはこれでなかなか味わえるものではないので、じっくりと堪能させてもらった。

退院して

やっと退院出来たものの、体力は衰えていて、子供の相手をするだけで精一杯。買い物や、外にお出かけして帰ってくるとそれだけで疲れ果ててしまう。また、頭の痛みは無いが、左耳付近がじんわりしたり、頭が重かったりと、未だ脳の腫れが続いているのだろうか。また、激しい炎症の名残なのか、左膝が痛む。後遺症といったら大袈裟なのかもしれないが、完全復帰はまだ先になりそうだ。トレーニングは再開できるのか、、仕事は100%で挑めるのか、不安が続く日々でもあるが、「生きてるだけで丸儲け」なので、あまり考えすぎずにゆったりと過ごそうとおもう。
 退院してすぐに家族と食事をしたが、やはりみんなで食べるご飯は美味しいし、妻、子供の側にいれることは幸せだと心から感じる。
あと、驚くほど良く眠れる。。髄膜炎になる前の生活を思い返すと、仕事、勉強、子育て、早朝トレーニング、と知らず知らずのうちに無理することに慣れてしまっていたように思える。無意識に緊張していたのか、寝てもすぐに起きたりしていた。しかし、今は8時間続けて寝たりしていて、子供が起しにくる(笑) 妻とも話合ったが、やはり基本的には睡眠、食事に気を付けて、仕事、トレーニングなど、あまり無理しないということを念頭に生活していこうと思う。30代後半、もう無理は効かない。そう、それを身をもって体験しただけでも価値はあったものと、今ではそう思う。

最後に

一時的にだが、仕事を離れてみて、社会から離れてみて、意外に大したことはないと感じた。死ぬことに比べれば、家族と健康になんとか生きていれば、それはそれで十分に幸せなのかもしれない。
自分の家族との絆はもちろん、親、兄弟、義妹たちとの繋がりも改めて感じることができた。そして、医療に関わるたくさんの方々の献身的な仕事姿にも感動した。救急車で運ばれてから退院まで、本当に多くの方に助けられた。真剣に、誠実に、人に寄り添う医療が行われていることを身をもって感じた。

一方、エンジニアとしては、医療の現場はテクノロジーがまだ十分に普及してはいないとも感じた。救急車で聞かれたことが関係者とはシェアされてなかったり、シェアするテクノロジーがなかったり、院内は旧態依然とし、電子カルテくらいしかテクノロジーと言えるものはなかった。ただ、テクノロジーを使えばよいというのではなく、問題解決のためのツールとしてもっと活用する余地はあるものと認識している。

最後に、今回、救急車で運ばれる直前、正直一瞬だがもう駄目なんじゃないかと思った。走馬灯なんて流れなかったので、そんなレベルではなかったのかもしれないが、自分としては間違いなくボーダーラインにいた。
あの時、一瞬死を意識したのだが、『あぁ、人生こうしておけば良かった』『もう終わりか』などの悔いは一切無かった。日々、1日1日を大切に生きてきた自負はある。後悔の無いように生きてきた、それがある意味証明された感はあった。もちろん子供の成長を見れないといった悔いはあるけれど、運命というものを受け入れる強さみたいなものは、自分の人生で培ってこれたのかもしれない。死は必ず来る。しかしそれがどのような形であっても、自分の人生が善きものであったと思えるようにこれからも毎日を大切に生きていきたいと強く思う。

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