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なんとなく生きる人生の処世術教材「ビッグ・リボウスキ」

特に深い意味などない段落

タスクに追われるのはキツイ。
最低限、人間の社会生活を営んでいく上で、やらなくてはいけないことってそこそこある。

ミニマリストって数年前に流行ったと思うんだけど、その生き方を一時期超否定していた。
モノを持たない自分に恍惚としてるだけで、側から見たら超みじめじゃん、「そんなにモノがいらねぇなら、かさばるだろうし小銭くれよ」とか思ってたし、物質的なモノも非物質的なモノも所有することでその人のモノになるとするなら、空っぽの瓶のような人間じゃねぇか!!
と、ドカドカとモノ捨ててるサイコパス・こんまりとかを見てて思ってたわけですわ。今でもそれあんま変わってはいないんだけどね。

だけど人間活動のタスクという点においては、どんどんこんまり化したほうがいいのかなとも最近思い始めた。なので、やることをランク付けして整理整頓しましょう!!

【S】絶対にやらないとダメなこと
睡眠、食事、歯磨き、排便、入浴、洗濯、最低限の掃除 etc

【A】やらなくて済むならやらないでイイこと
仕事(金稼ぎ)、運動、服を着る、移動、教育、勉強、暴力 etc

【B】なくても生きていけること
宗教、全ての娯楽 (映画、プロレス、音楽、SNS、芸術、オタク活動、旅行、本)、自分探しetc

【C】SとAとBの上位互換・装飾にしか過ぎないこと
皿の真ん中に少ししか盛り付けていない感じの食事、ホイップドカ盛り系パンケーキ、シアトル系コーヒー、最新家電、質の良い睡眠・歯磨き・排便、温泉、お掃除ロボット、良く動く手下、良く持ってくる貢ぎ、パーソナルトレーナー、OFF WHITE・Supreme・KENZO、アシッド、BMW、スニーカー etc

やっぱり無理っすわ、【S】〜【C】まで全部欲しいっすわ!ハイブランドゲットして、メルカリで転売したり高級車で煽り運転したいし、平日の朝からパチンコ屋に並んで、夜はえっちなパーソナルトレーナーに身体いじって欲しいっすわ!

計画なんてどうせうまくいかないゆえの理想の生き方とは

ジョークはここまで。
自分がなぜ、こんなにも「ビッグ・リボウスキ」に帰ってきてしまうのか。それはハッキリしてる。
デュードという人物が【S】にほんの少しだけ、必要最低限の【A】と【B】しか欲していないから、そしてそれでなんとなーく生きているから。
本作でデュードの人生観は、様々な影響を与えカルト化し、新たなカルチャー・世界で最も成長の遅い宗教「デューディズム」を作った。

「Just Take It Easy, Mankind」
気楽にいこうぜ、人類

マリファナを吸ってボケーっとし、気の合う仲間とボーリング。
ボーリング場の音をBGMに昼寝をし、喉が乾いたらホワイトルシアンを飲む。
結局のところ、人生なんて短くて単純なくせに、自分たちでやたらと複雑にしていて、それに対して自分たちが何をすべきかその答えを誰も知らない、無責任の極みみたいなモノだ。
誰にも未来はわからないし、すぐそこにある選択の一つ一つのどれがベターなのかはわからないし、他人の気持ちなんて本当のことはわからない。
いくらモノやことを知ったって、世の中は分からないことだらけだ。
だから、あらゆることについて何もしない
落ち着こうぜ、まぁどうにもならないし。自分が、最後勝つか負けるかなんて短い人生の一瞬のこと、あまり心配するのもやめようぜ。
友人たちとくつろぎなら、ストライクを取ってもガター出しても、自分自身・他人に少しでも誠実であるよう最善を尽くす、それだけでいい。

「流れに乗る」「気楽にやり過ごす」「富より単純な日常の繰り返し」「本質的なリラックス」
彼の生き方を倣う【デュードイズム】というものも爆誕した

そんな彼の生き方を見ていると心が安らぐ。
頑張ろうと思った時点で頑張れているんだから、それだけでいい。

自分の「幸せのなり方」を知っている人が、この世で一番幸せ

「ビッグ・リボウスキ」のストーリーは、人間違いから始まる。
リボウスキこと通称デュードは、町の大富豪ビッグ・リボウスキに間違われ、暴漢たちに「女房の借金を返せ」と襲われる、もちろん独身なのに。
しかも、そこそこ大切にしていた敷物に小便をかけられてしまう。
これは弁償してもらうべと、金持ちのリボウスキに会いに行くが、クソミソに嫌なジジイで追い返されてしまう。腹が立ったので、勝手にいい感じの敷物をパクって家に帰るが、娘とニヒリストたち一味に取り返されてしまう。
そして大富豪リボウスキから、「女房が誘拐された」と連絡があり、おそらく誘拐犯はデュードの家を襲った暴漢だからなんとかしろ、と無理難題を押し付けられるのであった。。。

世界一かっこいい便器の座り方

大前提として、コーエン兄弟特有のシュールな世界観に、デュードのチルな雰囲気が映画を支配しているので、この作品はよく噛まないと味がしない。
しかし、身の回りの変人たちに振り回されどんどんおかしな方向に進んでいくストーリーは、まさに予定不調和・行き当たりばったりな乗り物のようで見ていて心地よい。
インヒアレント・ヴァイス」やここ最近だと、「アンダー・ザ・シルバー・レイク」の中盤までのよう。逸脱した人が逸脱した方向にどんどんそれていく。これは嫌な人は嫌だろう。「これ、何の話だったの?」ってなるに違いない。
でも一度、深呼吸して排便でもしながら考えてみてほしい。実際にこの話が何だったかなんて、さして重要ではないのではないか?
たとえ重要であったとして、それがいったい何になるのだろうか?

デュードは「自分」の幸せの在り方をよく知っている。
いいこともあるし、嫌なこともあるけれど、「流れに乗り」「気楽にやり過ごす」そして、ホワイトルシアンを飲み、ボーリングをする。
自分の好きなことで自分の機嫌を取れる立派な人だ。

彼はきっと、クソツイを見てクソ引リツなんかしない。
ニュースも見ないし、滝沢ガレソはブロック。そもそもSNSとかやらない。自分にとっての負はやり過ごし、正の部分で気持ちよくなることに集中しているのだ。

本作で一番好きなシーンが、デュードが警官に問い詰められ説教されるシーン。彼を口汚く罵る警官に対するリアクションを見ていただきたい。

素晴らしくないか?
いろいろ文句言いたい人・誰かを言葉で攻撃したい人に対する一番の有効打は「ごめん、なんも聞いていなかった」だ。
ぜひ、今日から皆さんも
胡散臭い営業電話、宗教のしつこい勧誘、旦那・嫁の口うるさい文句、会社上司の圧力、友達の自慢話・・・そのすべて、
「I'm sorry I wasn't listening」
で解決できる、これはあなたにとっての最高の有効打です。
ぜひ実践していただきたい。(自己責任でお願いします)
結局、意味なんてないって思うことも思わせることもそれは我々にとって、自分をよい方向に肯定する上で、最も必要なピースの一つなのだ。

生きているうちは答え合わせなんてできない

そもそも、あらゆることに意味を求めすぎている気がする。
「もうワタシなんて生きる意味がないわ、ぴえん」みたいな世界中のありとあらゆる不幸を自分だけが背負ってるようなお姫様もいるけれど、私はやっと気づけて良かったね!超ラクに慣れてよかったじゃんって思う。
そもそも意味などないんだから、自分探しなんてする必要ない。
あなたの周りに自分探し!とか言ってる人がいたら、鏡でも見てろと言ってあげるか、この作品を見せて救ってあげてください。
ブッダの教えにも「生きることに意味などない」あるんだから。

イイ音(ボールがピンを弾く音)を聴きながら
ダラ〜っととするのって最高

長期的な計画は確かに人生において大切な役割を果たすとは思う。
そこに向かって、細かい夢や願望を積み上げていくんだから。
だけど、自分の人生に価値や意味があるのか?という、あまりにもストロークの長い話は、今日とか明日の快楽や楽しみを矮小化するだけだからやめた方が良い。どっかの誰かが「人生をフルコースで深く味わうため」とか歌っていたが、そんな幾つものスパイスはいらない。
節目節目で、でたらめに美味いものを食べるくらいでちょうどいい
生きる意味...そんなもんは死んだ後の結果でしかわからないし、死んだらそれがどうであれ死んだんだから意味がない。誰からも「いやぁ、いい人生だったね!」と直接言ってもらえないんだよ。

そんなことよりも
単純な日常の繰り返しの中で、いかに自分を慈しみ許せるかに時間を割きたい。
家族・恋人・友達、全てが独立し依存のない関係で付き合いたい。
行き当たりばったりでも「今日もまずまずだったな」と眠りに落ちたい。
いいニュースは聞いて、悪いニュースはすぐに忘れていきたい。
面倒なことは聞き流して、楽しいことでリラックスしたい。
なるべく【S】と【A】と少しの【B】で、人生を構成したい。
私なりのナイスな毎日を送れればそれでいい。
成長も後退も甘んじて受け入れるさ。(生え際の後退は除く)

そんで、死んだら粉々にしてどっかに撒いてくれると嬉しい。
できれば風の強い日に。

お前の顔面に吹きかかってやるから、けけけ。

大切な友達の、散骨失敗シーン

ビッグ・リボウスキ』(原題:「The Big Lebowski」)
監督・脚本 ジョエル・コーエンイーサン・コーエン
出演 ジェフ・ブリッジス
ジョン・グッドマン
スティーブ・ブシェミ
ジュリアン・ムーア

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