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「肩が凝る」のか?          「私が肩を凝らせている」のか?

3月も半ばになりましたね。私の通っている学校は今週で冬学期が終わります。

しかもアイルランドは木曜日と金曜日で連休で、そのうち木曜日はセントパトリックデイという祝日です。なんでも、パレードをした後、パブに行って緑色のお酒を飲むそうで、私もちゃんと祝っているところを見たことがないのでどんな感じか楽しみにしています。天気が良ければパレードも見に行ってみようかと思っているところです。

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さて、アレクサンダーの残した格言集 Teaching Aphorismsをパラパラとめくっていたら、以下を見つけたので、今回はそれを紹介します。

人間は、それが身体的なことであれ、精神的なことであれ全てを筋肉の緊張に転換してしまう。

[1, p.202]

アレクサンダーテクニークのレッスンで向き合っているものの1つが筋肉の緊張です。過度の緊張、の方が適切かな。
 筋肉の緊張は日々の生活の中で少しずつ知らない間に積み重なっています。その大きな原因となっているのが、私たちが持っている習慣や癖のうち、体に良くない影響を与えている習慣や癖です。

 アレクサンダーテクニークのレッスンではこれに気がつき、変える手助けをしています。
 煎じつめると、これまであった体に良くない影響を与えている習慣を、筋肉の緊張を最小限にしながら実行するにはどうしたら良いのかを知るお手伝いをしています。(もちろん、そのやり方を知ったからといって、常にそれをやりなさい!と言ったりはしません。そこから先は習った方がどのようにあ考えるか、です。)

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これと同時に、「体に蓄積した筋肉の過度の緊張をリリースすること」もレッスンの重要なテーマです。

 例えば、「肩が凝る」「肩が凝った」と私たちは言います。すごく一般的な言い方です。

 では、肩はなぜ凝るのでしょうか?
 何が原因で肩が凝るのでしょう?

 肩が自分の意志を持っていて、「よしっ!凝ろう!」と思うことでそうなっている、なんてことはないはずです。なんでそんなことを言っているんだと思うかもしれませんが、肩が自分から凝るわけではありません。

 じゃあ?と考えます。事は自分の体の話です。
 つまり「私が」肩を凝らせているのかもしれない。

 こういう言い方は日本語としては奇妙に響きます。

 肩がガチガチになっているのを感じて、「あー、私が肩を凝らせちゃったなぁー」などという人はいないでしょう。でも、そういう風に言わないのと、それが実際にそうであるかはまた別の話です。


 アレクサンダーが上で述べているのはまさにこのことを指しています。

 慢性的な肩こりの原因と言っても、長時間のデスクワーク、重い荷物の運搬、精神的なこわばりやストレスなど様々でしょう。
 ただ、どのような要因であっても、多くの場合、そこで自分がしてしまっていることの結果が筋肉の緊張として最終的に体に表れている。
身体的なことのみならず、精神的なことでも同じです。心に起こったことに体が反応し、体の部分を凝らせてしまう。面接の前に緊張で手が冷たくなったり、不安でトイレが近くなったりするのも同じだと思います。
 なので、現象としてはまさしく「私が肩を凝らせている」なのです。

【余談】
アレクサンダーテクニークでは、心・体と個別に見るのではなく、これらを切り分けることのできない全体として考えます。[2, (i.e.) p.46]
アレクサンダーの著書には『The Use of the Self』というタイトルの本がありますが、私の理解ではアレクサンダーの言う《the Self》というのはこの全体のことを指しています。

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 さて、「私が」肩を凝らせているのであれば、それを止めることができるのもまた「私」です。しかし、多くの場合、そもそもこの「私が肩を凝らせている」という視点は見過ごされてしまっています。

過度の緊張のリリースはこう認識するところから始まります。そして、気がついたならば、それを止めること。
 あまりにシンプルすぎることを言っているように思われるかもしれませんが、まずはこのように考え方を変えてみるのはどうでしょうか。


参考文献 

[1] F. M. Alexander: “Articles and Lectures”, Mouritz, (1995)
[2] F. M. Alexander: "Constructive Conscious Control of the Individual", Mouritz, (2004) (originally published in 1923)


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