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『局所性ジストニアを見つめる』 6. 私と楽器との付き合い

今回から改めて、私の局所性ジストニア的症状に話を戻す。
「問題が起きている動作」の観察である。
これを私の経験に当てはめてみる。まず始めに私が楽器を持って受けたアレクサンダーテクニークのセッションでの出来事を紹介する。

気になること

2020年11月下旬、私はアイルランドに来て初めて楽器を持ってレッスンを受けた。トレーニングコースをスタートして1ヶ月ほど経った頃である。それまでは新しい環境に慣れるのと、アレクサンダーテクニークそのものを学ぶのにフォーカスしていたため、それが目的の1つではあったもののあまり「楽器!」という感じになっていなかった。

私の学校は週4日、1日4時間のクラスがある。1日は前半と後半に分かれ、前半は個人個人でのワーク、後半では全員で集まって何かしらの疑問やテーマに全員で取り組むのが通常である。その日はたまたまパフォーマンスがテーマだった。クラスに参加していた生徒が一人一人楽器演奏や歌、本の朗読などのパフォーマンスをして、それにアレクサンダーテクニークからどのようにアプローチをできるかを学んだ。

私はこの時、先生と生徒合わせて5−6名の前でクラリネットを演奏した。メモを残していないので、B♭管を持ったのか、A管を持ったのかも覚えていない。曲はモーツァルトの何かだったと思う。はじめに楽器演奏中の左手小指のコントロールに問題があることを説明し、それから演奏を始めた。一通り演奏が終わってから、その場にいる人たちが良い悪いは別にして気がついたことを言う、という流れだった。

結果から言うと、局所性ジストニア的な指の動きはちゃんと出た。「ちゃんと」と言うのもナンだが、曲を演奏する前のウォーミングアップの段階から出ていた。結構ナーバスになっていたのだ。
メモを見返すと、この時にもらった感想に書かれていることの1つ目は「演奏中に下を向いている」だったようだ。これは身に覚えがあった。ウォーミングアップの段階で左手小指が思ったように動かないので、気が滅入っていたからだ。

それから次に私の先生が言ったことが非常に興味深かった。自分は親指が気になる、と言って、左右両方の親指を順に指差したのだ。
私はかなり面食らった。左手の小指の話をしていたんだけど・・・という気持ちだった。そして、左右の親指が強く曲がって力が入っているから、親指を伸ばすようにして楽器を持ったらどうか、と言われた。
だが、その時はそこで終わり。次の週に改めて見てみることになった。
その週の残りの日のメモを見ても、依然として左手の小指ばかり気にしていて、親指のことはそこまで深く受け止めていなかった。

以下の写真は、次の週に撮影した楽器を構えている時の私の親指の様子である。

私がクラリネットを持っている様子①

右手の親指が筋立っているのがわかるだろうか?指摘をもらったのはこれだった。
次に、ここに力がすごく力が入っているけど、それを感じるか?と聞かれた。
私には全くわからなかった。「力が入っている」「ここにテンションがある」と言われても全くわからない。演奏中に自分の親指を見るのは大変なので、上の写真を見てようやく自分の手がどうなっているかに気がついたくらいだった。要するに、これが私の自分で気がついていない習慣の1つだったのだ。

それにしても、私は上手くコントロールできていない左手の小指のことばかりを気にしていて、それ以外の部分のことなんてほとんど考えていなかった。むしろ、他の部分は問題なく上手くいっていて、小指だけが問題だとすら思っていた。
だが、ここで全く新しい要素が出てきた。これが全体性ってことなのか、と思った記憶がある。

次の写真はその日のセッション中に試した別の持ち方である。

私がクラリネットを持っている様子②

右手の親指が真っ直ぐになり、いくらか手から力が抜けているように見えるだろうか。
楽器を持たなければ、右手の親指はそのまま真っ直ぐにできる。これはそこに楽器を載せただけという感じだった。
だが、とにかく不安定。楽器が重たく感じたし、楽器を保持するのも大変だった。これで演奏なんてできるのか?という感じである。
実際、演奏しようとすると元の状態にすぐ戻ってしまった。だが、この不安定さはそのまま手に以前ほどの力が入っていないことを意味していた。同時に腕の別の部分の筋肉が働いているのも感じた。少なくとも違いは明らかだったのだ。

こうして具体的な経験で、私は自分が気がついていなかった習慣の1つを自覚することになった。この時点での仮説はこうだった。


右手親指に力が入っている→
その張り(テンション)が右腕・右肩にも影響を与える→
左側へも影響を与える→
左手親指にも力が入る→
左手小指にもテンションが伝わりコントロールを失う。


その時はそんなこともあるかもしれないな、くらいで受け止めたと思う。
もちろん、どうなるかに確信はない。まだ、左手小指がどうにかなるとはこの時点ではあまり信じていなかった。
ともあれこれで1つ新たに試してみることができたのだ。ここまで来たのでこれに取り組んでみようという気持ちだった。

このセッションで教えてもらった取り組むプロセスはシンプルだ。


いつも通りに楽器を持とうとするところを一旦待ち、右手の親指が真っ直ぐになっているのを意識して、楽器を支える。


まずはこのプロセスに慣れることにした。

次の日、さらにショッキングなことが起こった。
鉛筆を持っている時にも、右手の親指が楽器を持っている時と同じようになっていると言われたのだ。
「こんなとこにも出てるのかーーー」という気持ちである。もう、驚きすぎて笑ってしまったくらいだ。これで気にすることがもう1つ増えた。
だが、言ってしまえば、2つは同じ習慣だ。
そう考えれば、気にすることは1つなわけである。

★ ★ ★ ★ ★ 

以上が、アイルランドに来て初めて行った楽器有りのセッションの顛末である。次に、ここからの現在までの2年半程で、私はどのように楽器と付き合ったのかをまとめる。

私と楽器との付き合い

私はトレーニングコースに入学した日から今日まで、その日のクラスで何をしたかをノートにつけてきた。その日記を改めてチェックし、私が自分の先生とコース内で楽器付きのセッションをした日を数えたところ、全部で12日あった。これはこれまで学校に行った日の約3.5%に当たる。以下が詳細な日付である。概ね3ヶ月に一度セッションを行なっていたことがわかる。


  1. 2020年11月26日

  2. 2020年12月1日

  3. 2021年2月23日

  4. 2021年6月18日

  5. 2021年11月18日

  6. 2021年12月1日

  7. 2022年3月9日

  8. 2022年9月23日

  9. 2022年11月11日

  10. 2023年3月16日

  11. 2023年4月27日

  12. 2023年6月15日


これだけ日にちに間が開いているのは、私がアレクサンダーテクニークを学ぶ方に夢中だったからである。その気があれば、毎日とか、週に1度セッションを持つことも可能だったはずだが、私はそうしなかった。

局所性ジストニア的な症状が出ている指が「もう大丈夫」と感じた瞬間を私は明確に覚えている。それは11回目である2023年4月27日のセッションの後に起こった。
その日のセッションでもクラスの前で演奏し、左手小指にジストニア的な振る舞いが出た。この頃には確信は無いものの自分一人で演奏している分にはジストニア的症状が大分出なくなっていて、実際1対1のセッションではそれが出なかった。だが、その後クラスの前で演奏する際には明らかにそれが出たのだ。私は、クラス全員の前で、ジストニア的な症状が出るフレーズを何度も演奏し、何度も同じように上手くいかなかった。

その2つの違いが腑に落ちなかった私は、クラスが終わってからも学校に残って何が起こったのかを検討していた。すると、ものの数分で「こうしたら大丈夫なのか!」という閃きがあったのだ。
確か楽器の持ち方を改めて確認していた時だった。今までと同じような構え方をしているように思えるのだけど、今までとは違うという不思議な感触があった。「うまくいく」「大丈夫」という感覚がわかるようになったのはこの日からである。

さて、先ほど書いた親指の話をしたのは1回目と2回目である。
その後のメモを見ると、1年後の5回目のセッションの際に「指の力が大分抜けている」というコメントがあったと書いてあり、そのさらにおよそ1年後の8回目のセッションでもう1度、親指についてコメントがあったようだ。ただ、この時は今までと違う感じがあったとメモしていて、1回目のセッションでの状態からはそれなりに変わっていたようである。それ以外の日は、姿勢や呼吸、表現や時間の使い方などの話をしていたと書いている。

つまり、どういうことか?
改めて見返して私も驚いたのだが、この12回の中には一度も、小指のためのセッション、局所性ジストニア的な症状に特化したセッションは無かったのである。
指の話をしても注目していたのは主に親指で、それ以外も全く別のことがセッションの主なテーマだったのだ。決して左手小指の話が全く無かったわけではない。セッションの度に私は左手小指の経過を話していた。
それにしても、振り返る機会を作ってよかった。完全に私だけのことだが、これを確認できたことで私自身もこのまとめを書いている意義があったなと強く思った。

ただ、そうなると、私の局所性ジストニア的症状は勝手に「大丈夫になった」ということになる。セッション毎に私は演奏が良くなる手応えは感じていた。左手小指でも、右手親指でもなく、「演奏が」である。
アレクサンダーは、アレクサンダーテクニークを「インダイレクト・メソッド (遠回りな方法)」だと説明していたのだが[1]、まさにそんなことが起こったわけだ。
セッションとしては上記の通りなのだが、この期間にしていたことはこれだけではない。次に私が個人で楽器とどう付き合っていたかを思い出せる限り書いていこうと思う。

★ ★ ★ ★ ★ 

私は以前の文章[2]で自分の局所的ジストニア的な症状の経過を4つのフェーズに分けた。それは、


・全く何もわからない期
・〈うまくいかない〉がわかる期
・「〈うまくいかない〉じゃない」がわかる期
・〈うまくいく〉がわかる期


である。
ここでは、それぞれのフェーズで私がどんな感じで楽器と付き合っていたかをまとめていく。

全く何もわからない期

この時期は本当に何もわからないので、かなり闇雲に練習して、上手くいかなくて凹む、ということを繰り返していた。徐々に楽器に触る頻度も減っていき、モチベーションも下がりっぱなし。週に2回楽器に触っていれば多い方で、一回の練習も30分すれば長いくらいだった。

先ほど書いた親指の話が出てからしばらくもこのフェーズにいた。
この時にしていたのは、気持ちを落ち着ける→右手の親指を真っ直ぐにするのを意識する→楽器を持つ、が基本動作のプロセスで、楽器が載っている右手の親指を何度も目で確認するようにしていた。真っ直ぐかどうかは全く感覚ではわからなかったので、とにかく見るしかなかった。
目でみて真っ直ぐなのを確認してから楽器を口元に持っていき、そこでまたストップして、そこで終わるを繰り返した。そして、いいかなと思った時にだけ音を出す。まずは指を動かさずにただ息を通す。めちゃくちゃ面白い練習というわけでは無い。15分もやればくたくたで、それで終わりにしていた。

その練習を数日から1週間ほどして飽きてしまった私は、上記の練習を早めに切り上げ、指を動かして練習をすることにした。この時はジストニア的な動きが出る左手小指の使用は避けた。それ以外の指で演奏できるフレーズを探し、これはいけるな、これはまだ早いなどとブツブツ言いながら練習していた記憶がある。
ただ、右手の親指の新しい方法で楽器を支えるのが第一だった。その方法は疲れるし、とても不安定。だから足で楽器を挟んだり、ちょっと音を出してすぐ止めるなど、工夫も色々した。長い時間の練習なんてできず、楽譜一段分演奏するのも一苦労という状態だった。

〈うまくいかない〉がわかる期

そんなことを断続的に練習していると、少しずつ右手の親指の新しい使い方に慣れてきた。楽器を以前よりも少し長い時間支えられるようになってきたのだ。
そうなってからも、左手小指の使用は基本的に避けるようにしていた。ちょっと長めに演奏して、右手の親指が同じように支えていられるかをまずモニターするようにしていたのだ。ちょっと長めに楽器を演奏して、右手の親指の状態を目で確認するの繰り返しである。
まだ時間が進んで疲れてくると右手の親指は元に戻ってしまっていた。そうなったら、その日の練習をおしまいにしていた。
この時も楽器に触っていたのは多くて週に2回くらい。何もしない週もかなりあった。

また、この中でたまに左手小指を使ってみていた。それを何度か繰り返していると、左手小指がうまく動かなかった時にはいつも、右手の親指が元の状態に戻っていた、ということに気がついた。これが〈うまくいかない〉がわかる期の始まりだ。

ここで気がついたのだが、私は自分の局所性ジストニア的症状の詳細を書いていなかった。私の左手小指の症状はHキーというのか、左手小指で触るキーのうち一番管体に近いキーを使うときだけ出ていた。
多くの場合、このキーを使う音は右手の小指側にあるキーで(前後の音の組み合わせにもよりますが)代替えが可能である。そのため、右手の親指が安定するようになってきてからは、右手の小指を使うことで左手小指をいかに避けるかをより真面目に検討するようになった。これは単純にその方が演奏できる曲やフレーズの幅が広がり、練習が楽しくなるからだ。そして、このプロセスで、左でとる必然性が特に無いのに左を使っていたケースが結構あったことに気がついた。これは私にとって結構大きな発見で、必要のないところでまで苦しんでいたのかと呆れてしまった。
だが、左手の小指に関しては相変わらず、うまく使えないという感覚は残り続けていた。

まとめてみて気がついたのだが、この時期は楽器の持ち方や演奏の仕方(姿勢、呼吸など)を確認しながら、できることを数えていっていたようだ。

「〈うまくいかない〉じゃない」がわかる期

こうして右手の親指が安定してきたのを実感するようになってから、今度はゆっくり指を動かして、左手の小指がうまく動くパターンがあるのか、を調べるようになった。
これが大体、2020年11月の最初のセッションから半年後くらいだったと思う。こう書くと結構熱心にやっているように思うかもしれないが、この頃になるとむしろ楽器に触る機会がかなり減り、思い出した時にたまーに取り組むくらいになっていた。取り組む時期とそうで無い時期に結構ムラがあった感じある。この期間の終わりが先ほど述べた2023年4月下旬なので、このフェーズがかなり長かった。

やっていたのは、いろんな音から左手小指を使う音へ移り、「これなら大丈夫」「これはまだできない」というパターンをリストアップしていった。「ゆっくりなら大丈夫」とか、「速いともうダメ」とか、「左手の親指が入るとダメ」とか、そんなことも見ていた。疲れると止めるようにしていたので、このプロセスもすごくゆっくり進めることになった。
かなり長い間できないパターンがほとんどという状態だった。
当時、左手小指以外で特に気にしていたのは右手の薬指の位置だった。ひょっとしたら多巣性ジストニアに足を突っ込んでいたのかもしれないと今振り返って思った。特にダメだったのが音階練習だった。速いテンポはもちろん、ゆっくりした店舗も基本的にはうまくいかない。あまりにモチベーションが下がるので早い段階で音階練習は完全に封印することにした。

ただ、そんな風にのんべんだらりと過ごしているうちに、ある時から「ゆっくりならいけるな」というパターンが出てき始めた。
これは本当に気がついたらという感じだった。「あれ、いけた・・・」と自分でも驚くことが多かった。もう一回繰り返したら今度は上手くいかないなんてことも多々あった。
私の場合はとりわけ、上の音から降りてくるならなんとかできることが増えてきた。記譜音で書くが、ド→シが段々大丈夫になってきて、ラ→シは未だ見込みなしが続いた。
やっていたことはこれまで書いたような練習である。特別な練習をしていたわけでも、たくさん練習していたわけでもない。
そのため、この変化の理由で思いつくのは、学校に週に4日行っていることくらいしか無かった。その時には既に楽器とは全く無関係に身体の変化も大きく感じていたので、それで納得していた。
この辺りが「〈うまくいかない〉じゃない」がわかる期の本格的な始まりである。100%精度ではないけれど、「〈うまくいかない〉じゃない」パターンや感じを識別できるようになってきたのだ。

どうしてもうまくいかないパターンというのはずっと残り続けた。その時のうまくいかなさというか、モヤモヤは今もよく覚えている。どうにもできないんだよなナァという感じである。これができれば改善したと言えるんだろうと思っていた。最終指標だと受け止めていた。
一方、このくらいの頃になると上手く動かなくても「そうだよね」というメンタルになっていて、あまりガッカリはしなくなってはいた。どちらかと言えば「ああ、まだなのか」と感じである。私の場合は、右手の小指という迂回路があったからまだよかったように思う。そちらを使えば、なんとかできることも多かったからだ。


〈うまくいく〉がわかる期

で、突然、〈うまくいく〉がわかる期が始まる。私にとってもまさに青天の霹靂だった。先ほど書いたように、その直前までジストニア的な不調がバンバン出ていた。しかし、ちょっとだけ上を向いた時にふと「こう構えればいいのか」とわかった感じがあった。
すると、この日から「今日は大丈夫」「今日はあやしい」というのが感覚的にわかるようになり、その感覚が実際に的中するようになった。それまでも「今日もダメかな」→「あ、いけた」ということはあった。しかし、そこまで。これに比べると前提がガラッと変わったことになる。

大丈夫な日にもジストニア的な不調が出ることもまだまだある。だが、それももう一度試した時に修正できるようになってきた。その時に何が起こっていたか、こういう力が入っている、がわかるようになってきたのである。最近は左手小指を使うこと自体が選択肢として脳内に浮かぶようになってきた。これまではできる限り使わないようにしていたので、これも大きな変化である。
私は現在もこのフェーズである。オーディエンスの前で演奏したらどうなるのかはわからない。だからまだ完璧とは言えない。だが、精度はかなり高まっていると感じている。

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と、ここまで文字にしてみたのだが、各フェーズの移り変わりまでに自分に何が起こっているのかがさっぱりわからない、と自分でも思った。思い出してみても、いつの間にかそうなっていたということがあまりに多い。「これをしたから、これができた」が少なくて、「できるようになっていた」ばかりなのである。結果だけ見れば、楽器を使った練習はその経過をモニターしていたことになるだろう。
この期間で「これをしたから、これができた」と言えるのは(より正確に言うならば「あれをやめたら、こうなった」なのだが)、右手親指で楽器を支える訓練と右手小指を使った運指への切り替えくらいかもしれない。これらは、私の局所性ジストニア的症状そのものではなく、その周辺にあったものである。

では、ここに書いた楽器に関連した時間以外の時間に私が経験していたことは何か?このフェーズとフェーズのあまりにも「なんとなく」な変化は、そこに由来しているのかもしれない。つまり、アレクサンダーテクニークで私がしていたことは何か?である。
次の章では、アレクサンダーテクニークの学びと経験についてまとめる。

参考文献

[1] 例えば F. M. Alexander: "The Universal Constant in Linving", Mouritz (1946), Chapter 1
[2] https://note.com/ytatlab/n/ne460ab10872a


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