『精神科治療学』「特集:なぜ精神科医を志し、その分野を自らの専門としたのか」を読んだ

先日勉強のために大学近くの医学書専門店まで『Clinical Neuroscience』(中外医学社)という雑誌の2022年4月号を買いに行った。ビルの1階におさまるから小さな規模の書店だと思うが品揃えがよく、目当ての雑誌も雑誌コーナーにこちらを向いて顔を出していた。手に取ると横には精神科関係の雑誌が並んでいて、『精神科治療学』(星和書店)の3月号があった。

精神科の領域の雑誌がいくつかあるなかでこの『精神科治療学』は今一番広く読まれているかもしれない。毎月実践的で教育的な特集を組んでいる中で、最新号は「なぜ精神科医を志し、その分野を自らの専門としたのか」という内容をもってきたことで先月から話題になっていた。今回の主たる編集委員が松本俊彦先生で、曰く、コロナ禍で宴席での交流が減り若手がロールモデルを見つけにくくなっていることを危惧して組んだ特集だという。最初見たときに精神科治療学にしてはずいぶん軟派な企画だなと思ってあまり気に留めていなかったのだけれど、書店で見たら自然と手が伸びた。

そこからしばらく寝かせていたが、昨日手にとった。香山リカ氏の記事が凄かった。「息をするように精神科医になり、息を止める」という題で、精神科医としての自らの仕事とペンネームでの物書きの意義に疑問を抱くようになり、悩んだ末に北海道むかわ町の地域医療を担う施設で内科医を始めることにした、という内容なのだが、語りは重苦しく、懊悩が冷気のように読者の心中に入り込む。ペンネームでの仕事の「”有害性”が明らかになった」(266頁)と言い切り、「精神医療の当事者にも迷惑を与え続けてきた」(同)とする自己批判は苛烈だ。氏は「なんとかして「私も少しは誰かの役に立っている」という自己有用感を手に入れ、自己回復を図らなければならないだろう」(同)と考え、2017年から母校の総合診療科勉強を始めた。「4年ほどがたったが、はっきり言ってあまり進歩がない」(同)という感覚と年齢的な焦りの綱引きの末、自分でもできそうな条件の場所をネットで探して北海道むかわ町国民健康保険穂別診療所の医師に応募した。「私にとって精神科医であることは、息をするのと同じだったのだ」(267頁)と語る氏は最後にこう述べる。

 いや、そうは言っても後の祭りだ。私は老いを感じるからだに鞭打って国保診療所で働き、2日に一回の当直もこなし、「自分なりにがんばっている」という手ごたえを感じなければならないのだ。「なんだ、地域の人のために尽力するのではなくて、自己回復の手段として行くだけではないか」という批判があるのは百も承知している。
 ただ、ひとつだけ心配がある。先ほど、「私にとって精神科医であることは息をするのと同じ」と書いた。だとしたら私はこれから息をするのを止めることになる。それで果たして生きていけるのか。「やっぱり無理だった」とすごすごと私にとってのホーム、つまり精神医療の場に戻ってくることになりはすまいか。これは私にとってはじめての ”家出” だ。うまく出立を遂げられるかどうかわからないが、とりあえず一歩を踏み出してみるしかない。

精神科治療学, 31巻, 267頁

私は香山先生のよい読者ではなかっただろうから著書について論評する能力はないけれど、『ぷちナショナリズム症候群 若者たちのニッポン主義』(中公新書ラクレ, 2002)はおもしろく読んだ。毀誉褒貶あるのは知っているが、常に正直な人なのだろうという印象を抱いており、最近以前ほど文筆活動をされていないのも何か思うところがあるのだろうと感じていて、僭越ながら少し心配していた。ある種の精神的危機といってもいい状況にあったことがわかるが、香山先生は思い切った「出立」を果たすことで乗り切ろうとしている。

医学部に行くなら精神科に進むのだろうなとなんの屈託もなく思い、実際に大した葛藤もなくやっぱり精神科が合ってるわ、と楽に収拾をつけたあたりは、私も香山先生と大差がない。だからこれは自分の話でもあった。私もいつか精神科医として行き詰まるかもしれないと真剣に思ったし、行き詰まるとしたらこういう形なのかもしれないと寒気がした。中井久夫の言う「個人=環界の調和の破綻」の行末として、「個人症候群」的な回復を辿るのか、病の有徴性を得るに至るのか、うつ病をやっている身としては病の側にまた回付されたくはない。中年が見えてきて思うのは人生の先行きの暗さ、足元の不確かさである。記事の最後を精一杯明るく書いてくれたのがかすかな希望だ。少し気持ちを引き締めた。

今回の『精神科治療学』は圧倒的に香山先生の回になったと個人的には思うけれど、他の先生方のも(玉石混交とは思うが)おもしろかった。成り行きで精神科に進んだという話が意外とというか案の定というか多く、しかし、そこに至るまでの経緯、生まれや境遇といった一種の偶然的なものと結びついたときにその選択は必然のように現れてくる。渡邉博幸先生のお父様が大工さんだったというのは、その人柄の描写も含めてなんだかとても納得してしまった。尾久守侑先生は常々「適応」の人だと思っていたので、文中に「適応」という言葉が出てきてああそうだよなと思った。

精神科医は日常的に患者さんの生活史(生活歴)を聞き取っている職業だと思うけれど、それはやはり治療という枠組みの中でのことで、その生活史は特定の目的のもとに組織されたストーリーであるから一種の作為性を免れない。この特集はその点で直接的な利用価値を狙って書かれたものではない(というかそう書かれたものこそが意義深い)から、人の話を聞くということの別のモードが喚起されて身軽になったような感覚がある。この「話を聞く」ということを方法論としても洗練させたものがたとえば岸政彦さんらの『東京の生活史』(筑摩書店, 2021年)で、ある社会的背景のもとでその人なりの選択を重ねてきた人がたしかに存在するということを、聞き手は語られる物語に潜り込み、追体験するように聞く。聞き手は話し手とそのように人生が交わってしまったことで、「その上での」人生を送ることになる。聞く前とは違った人生になる。

結局、編集委員の松本俊彦先生の狙い通りに私は読んでいた。

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