人だろ、人。

愛だろ、愛。

コミュニティや会社において、
なによりも優先されるべきは人だと思います。

だって人がいるから、そういうものがある。

人をないがしろにして、面白いことも楽しいこともできない、と思う。

たとえば、おもしろい作品がめちゃくちゃ作れる人がいる、とする。
片方で、そうはいかないけど、がんばりたい人がいる。

もちろん利益を出すためには前者を優先して打ち出していきたい。
でも、ここで立ち止まって考えてほしい。

後者の人はもういなくていいのか。
それならば、その人たちはどこに所属すればよいのか。
弱きものが去り、強きものだけが生き残る。

それは世の常。よくわかる。

しかしながら、強い弱いというのは相対的なものさしではないのか。

結局、弱いものが強いものをたてているのでは?

そこから離れてしまっては本末転倒ではないのか。

仕事ができない人は仕事をやめればいい、というのか。

何を糧にして生きていけばいいのか。

少数精鋭にしろ、また同じことが起こると思う。

中小企業から大企業まで、規模の問題で、それぞれ役割がある。

たとえば、事務にいるけど実は違う部署での仕事の方が圧倒的に才能を発揮できる人がいたとする。
でも上の人がそれをわからないと何も起こらない。
最悪そのまま、船が沈没することもあるかもしれない。

俺はよくて、あいつはだめ。

俺は口出せて、こいつは口出せない。

そんな環境下でいいループがうまれるわけがない。

そんなことが起こっていても、口出せない人はずっと口を出せない。役割が違うらしいから。

そんなつまらないこと、あってはならないんだけど、現状は変わらない。

まず耳があって、言葉が生まれ、口に出せるわけで、聞いてあげる耳もなければ、すくい上げる言葉もないまま、いわゆる、「できる」人たちだけで成り立っているかのようなコミュニティは成長しえない、と思う。

楽しくいきたい。
そう思うなら楽しくさせてあげて。

おもしろくしたい。
ならば、おもしろくさせてあげて。

だれも現状をわるくしたいと思っている人はいないはずだよ。そのコミュニティにいるかぎり。

楽しく、すくい取りの精神が大切なのではないでしょうか。

人をわかってあげないで、そこにいさせるっていうのは一種のいじめだよ。

手を挙げさせてあげて欲しい。
弱きものの小さき声に。

知らないふりや、言わない優しさなんてものはない、と思う。

知ってあげる、言ってあげる、ことこそ真のコミュニティ経営かと。


アナタのちからを僕に分けてください。