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逃げ方について、経験からいろいろ考えたこと

1.逃げ方について

逃げ方って、あまり言語化されていることを見ないなぁと思ったので、自分の体験から思ったことを書いていく。

半分は未来の自分に向けて、「次はもうちょっとまともな壊れ方をしてくれ」ということで書いている。あくまで一個人の体験から書いたもので、医学的根拠や信頼性は乏しいということは念のため書いておく。

2.自分を守る力(たたかう力)があるうちに逃げる

逃げる必要があるというのは、今いる環境、働き方、生き方、かかわりなど、何かからダメージを受けている状態だ。
そこから逃げ出す時には、ただ逃げるだけじゃなく、自分を守りながら、場合によっては守るためにたたかいながら逃げる必要がある。だから、全力を使い果たしてしまったら、逃げるときにエネルギーが足らなくなりどうにも動けなくなる。

軍隊を考えてみると多少わかりやすい。
武器を全部使い果たすまで戦ってみて勝てなければ、逃げるしかないが、武器を使い果たしているので逃げる際に相手から攻撃されてボコボコになってしまう。

逃げるときには逃げるときに武器で反撃しながら、自軍を守りながら逃げる必要がある。

3.逃げ時について

自分を守る力がある状態で逃げる。と書いたが、逃げ時はいつがいいのか。
自分の体験から、「あの時逃げとけばよかったなぁ」というタイミングをいくつか書いてみる。

①「あ、だめだ」という感覚が出た時

普段から感覚を研ぎ澄ましておく(あるいは調子を崩すと感覚が研ぎ澄まされてくるかもしれない)。
無理しながら生きていると、あるタイミングで「あーだめだ」という感覚が出てくる時があった。
自分のタイミングは2020年の2月くらいで、そこから1年ちょっと引っ張ってみたがどうにもならずボコボコになった。

感覚的にダメだというのならダメなことが多い。

ただ、「なげたい」「もうどうにでもなれ」という投げたい自分の意志と区別する必要はあるけど。

②回復がしにくい(元気になるはずのことで、以前より元気にならない)と感じた時

自分がボコボコになる前に、自分が回復できるようなこと(誰かと会って話すとか、趣味をやるとか、寝るとか)が「一応できるけど大して回復しないな。楽しいはずなのに充実感が足らず何か欠落している」という感じになった。一時期は「疲れがひどいから」と思いもしたけど、正直あまり忙しい時期ではなかったので、疲れはひどくなかったはずだ。

この状態の後に「回復できること」自体が疲労、苦痛になってしまい、回復があまり回復でなくなった。

「楽しいはずなのに充実感が足らず何か欠落している」感覚は周りには伝わりにくいので、周りに何か言われはしないと思うけど、この時点でとっとと自分に合わない場所から逃げた方がよさそうだ。

③自分由来のやる気が明らかに下がっているとき

モチベーションのうち、自分由来のやる気(楽しさや充実感など)は調子が悪くなってくれば減る。
しかし、それ以外の「他人」「世間」「一般的な生活」「メディア」などに合わせないといけないところからくるやる気、復讐心や恨みなどの過去の自分からくるやる気は調子が悪くなってもあまり変わらない(下図)


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④世間のノイズを一回消してみる

世間はいろいろなことをいう、仕事しろだの痩せろだの毛をそれだのはげるなだの投資しろだのめんどくさい人間になるなだの暗いだの明るいだの見栄を張れだの…

きりがないからこれくらいにしておくが、世間のノイズは思ったより無意識に自分に入って、自分の価値観を侵す。侵された自分の価値観は、本来の自分の価値観とずれてしまう。そのずれた価値観で行動すると無理につながる。

たとえば、「世間とかより自分のペースで生きたい」人が、「正社員じゃないと終わり」という価値観に知らないうちに侵されて無理して自分を偽って働き調子を崩すとか。

そういった世間のノイズからなるべく離れてみて「なんか無茶しているな」と思う場合、いったん逃げた方が良いのだろう。

⑤元気なうちに自分を知ってがっかりする

元気なうちに自分にがっかりするは大事だな。と思った。
自分自身の受け入れが遅れると、「自分の思っている自分」と「自分そのもの」のずれが大きくなり、無理をしやすくなる。

成長や経験をしていくと嫌でも自分自身のがっかりポイントが出てくる。
しかし元気がないとこの自分自身を受け入れるのが難しくなる。

元気な時なら、愕然としても泣いたり怒ったりわめいたり悲しんだり唖然としたりするだけで済む。元気じゃなくなったタイミングでこうなると、自分自身が崩壊する、あるいは自分自身の数少ない砦が壊れるような感覚となり、なかなかしんどいように思える。

自分を振り返っても、適度にがっかりしていた時期は大きくボコボコになってしまう時はなかったし、逆にずっとうまくいっている、逆に、適度にがっかりすることがうまくいかないといけないときはしばらくして調子を大きく崩すことが多い気がする。

4.おわりに

4-1.逃げ場、次の居場所をどうやってさがす

どうすればいいのか、という気もするけど。個人的には、「いつまでもいることのできる逃げ場をすぐ探すのは大変だから、とりあえず1日、1週間とか、3か月とか、2年とか逃げられる場所、そこに逃げておく時期、を見つけて、そこで立て直しながらだんだんいい逃げ場所を探す」という形が現実的じゃないかと思う。

いきなりいい逃げ場は見つけようとすると、なかなか見つからずにきつい気がする。何かから逃げるのに必死だったり、ボコボコになったりした状態ではなおさらである。

また、あまりにもボコボコになった状態では、「元の場所に戻るために自分自身を元に戻す」よりも、「自分自身の生きるあり方をもう一回作り直す」方がうまくいくこともあるはずだ。そういう時は最初に完全な居場所を見つけるというより、自分の今の状態に合わせて「今の自分がいることができる居場所」をさがして、また自分が変化したら次の居場所へと、ある程度移動していく方がしっくりくる気がする。

4-2.壊れることを舐めている人は放っておけるなら放っておいたほうがいいけど、まぁなかなか無視はできないよなぁ

壊れるきっかけ(あるいはそこから死に至ってしまう)というのは、道端に落ちている石ころにうっかりつまずくように、ついうっかり踏んで転んでしまうような性質もある気がする。
用心したり、回避しようとしたりしていると回避できるものでもある気がするが、完全な回避はできるか、というと、疑問が残る。

このような性質のものを自己の責任だなどなんだの呼ぶのはあまりにも見当違いすぎる、と思う。そういう意見は放っておいてよいと思う。

…が、まぁなかなかそう簡単にはいかないよなぁ。ほっとけないよなぁ。気になるよなぁ...

ほっとけないときは「ほっとけないんだなぁ…」でいいと思う。無理に偽る必要はない。

ただ、そういう意見に対し自分が「どのくらいダメージを受けるのか」「どのくらい耐えられるのか」を見つめてみて、壊れてしまいそうなら逃げ場所を探すというのがいいと思う。

むろん、あまりにも余裕がない、逃げられないのなら自分のキャパを超えないようにするため、一時的に偽る必要もあるかもしれない。あとでその気持ちには向き合う時が来るのだろうけど。

ただ、逃げ場が分からない人にとにかく逃げろとは言えない。むやみ逃げても被害が大きくなる場合もあるからだ。

なんだかまとまりがなくなってしまったが、まぁ、とりあえず、これを読んでくれた皆さんも、未来の自分も、みんな、壊れないでくれ、と祈って、この文を終えることにする。