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2024/03/20(水)の日記「過去が邪魔してた」

「ついに認めたんだね」

「く…。認めざるを得ない…。」

さきほど、夫に敗北宣言をした。


ここ何年も、月に1、2回、風邪をひいたように喉が痛くなり鼻づまりになっている。

そしてすぐに副鼻腔炎になり、年がら年中、具合が悪い。

つらい。

なんでなんだろう。


その答えが、ついに今日、出たようだ。


夫がずっと言っていたのだ。

「それって花粉症?」

「なにかのアレルギーじゃない??」


それに対し、私はずっと否定をしていた。

「花粉症とかアレルギーってこんなもんじゃないよ。」

「くしゃみと鼻水が止まらないんだから。」



私の症状は、あまりくしゃみは出ない。

喉の痛みや鼻づまりが主な症状だ。


「でも、喉が痛くなったりする人もいるらしいよ。熱が出たり、頭痛とか。」

「悪化すると黄色い鼻水もでたりするんだって。風邪みたいだよね。」

夫から何度も言われた。
特に花粉の季節は。

私の返事はいつもこう。

「そうかなぁ?違うと思うんだよなぁ。」



私は認めることが出来なかったのだ。




私は田舎の小学校に通っていた。

校舎の裏には細い川が流れ、川の向こうは崖となっていて、いわゆる裏山があった。

周りにコンビニなんてなく、あるのは「カドヤ」という個人商店と、タバコ屋さんと駄菓子屋さん。

少し歩けば田んぼや畑。
 

通学風景を思い出す。

私は年長の歳にこの田舎の地に引越してきた。
家は出来たばかりの新興住宅地にあり、周りはまだ空き地ばかりだった。

家を出てその空き地をぬけると、見渡す限り一面に田んぼが広がる。
用水路にはウシガエルやザリガニ、夏には蛍もいた。
学校へ向かう通学路は、この広い田園風景を背にして、新興住宅地から、昔ながらの家や畑が並ぶ狭い小道を入っていく。

畑の脇の草花を詰んで遊んだり、四葉のクローバーを探したり、レンゲソウの花かんむりを作ったり、生垣の隙間の秘密の抜け道から友だちの家の庭に入ったり、道草の宝庫だった。

赤とんぼやオニヤンマ、シオカラトンボ、トノサマバッタにオンブバッタ、モンシロチョウにアゲハ蝶、カマキリ、カナヘビ、アマガエル、ミツバチにクマンバチ、ヘビの抜け殻、女郎蜘蛛、春には苦手なアイツが地面を歩く。

野良猫、飼い猫、野鳥、キジ、サギ、タヌキ。

田舎の道では色んなものと遭遇する。

小道を抜けると、小川にかかる小さな橋を渡り、建設会社の前の道に出る。
砂利の駐車場にはいつもトラックが並んでいた。

少し行くと、30分から1時間に1回しか閉まらない踏切だ。
たまに赤茶色の貨物列車が通り、何両編成か数えて待った。
運が悪いと反対からも貨物列車が来て、これが結構長いのだ。


踏切を渡ってさらに進む。

友だちの家のねじ工場(多分もうやってなかった)の壁際には、不思議な螺旋状の鉄くずがたくさんドラム缶に入っていた。
こっそり触って服に機械油がついてしまったことがあったっけ。

旧道の信号脇の材木屋さんはいつもいろんな板が立てかけてあって、木材の香りがした。

信号を渡ってさらに行くと、今度はペンキの匂いのする看板屋さんがあった。
看板犬の大きな優しい犬がいて、通学する子どもたちをいつもしっぽを振って待っていた。

杉と竹の生い茂る小山が見えてくる。
奥に石段があり、神社へと続く。
盆踊り会場となるのは、この石段の向かい。公民館の駐車場だ。
通学路はこの横を通り抜けていく。

学校の裏を流れる川にかかる、コンクリの橋を渡ると、もうゴールは近い。
ここでランドセルを家に忘れたことに気がついた時は絶望した。

少し大きな道に出て、駄菓子屋さんやタバコ屋さん、カドヤさんの前を通って行くと、学校の畑とプールが見えてくる。

畑ではじゃがいもやさつまいもを育てた。
プール脇には、夏はひまわり、秋はコスモスが咲いていた。
ひまわりの種を食べてみたり、校庭のさつきやサルビアの蜜を吸ってみたり。

通学はここまでなのだが。

小学校を過ぎてさらに進むと、山間の田んぼが広がる。
道路沿いには木が植えられていて、秋はそこに稲を干したりするのだ。

道は濃い、緑の深い山へと続く。

秋には紅葉が美しく、いろんな種類のどんぐりがたくさん落ちている遊歩道があり、さらに進めば小さな滝がある。

のどかな、緑豊かな、田舎の学校。



何が言いたいかって。


私は小学校の間6年間、鼻炎に悩まされていた。

くしゃみに鼻水。

アレルギー性鼻炎。花粉症だ。


常に鼻水が流れてくるので、ポケットティッシュでは間に合わず、箱を持ち歩いていた。

ほぼ年間を通してなので、あらゆる植物の花粉や、砂ぼこりなどに反応していたのではなかろうか。

耳鼻科にも通年通っていたし、心配した母もヨーグルトや身体にいいと言われたものを色々試してくれた。
何をしてもいっこうに良くならなかった。


ところが、だ。
中学に入った途端に、この症状はとまるのだ。



中学は都会の海の近くにあった。

1時間に1、2本しか電車の来ない田舎の駅から、35分ほど揺られる。

車窓の風景は、主に田んぼ。

終点が近づくにつれ、だんだん住宅が増えていき、ビルの立ち並ぶ大きな街の駅に着く。

街の駅からはバスでまた20分ほど海方面へ向かう。

学校の周りは住宅が多かった。

学校から街側とは反対に少し歩くと、小高い丘があり、松林が広がる。

その先は砂浜と、海だ。

中学の部活で走る時はこの小高い丘の松林の中を走る。

植物は無くはないが、明らかに種類と量が減った。

私が反応する植物の花粉が少なくなったのか、常に流れていた鼻水は元栓を閉めたかのように止まった。

常に仲良しだったティッシュとはたまに仲良しくらいになった。


私はここで、結論づけた。

私の花粉症は、治った!!!




だから、小学生の頃と全く違う今の症状が、花粉症だとはどうしても思えなかったのだ。

花粉じゃなくてハウスダストとかのアレルギーかもしれない。

どっちでも、認めたくなかった。


私がまた、アレルギー性鼻炎になっているということを。


夫は自他ともに認める花粉症。
レーダーのごとく、「今日は飛んでる」と教えてくれる。



そして今日、アレグラを飲んで思う。


なんて、快適…。


あぁ、私、花粉症だったのかも。



「もっと早く気がついていれば、この薬(アレグラ)で早く楽になれたのに…。悔しい…。」

「僕、ずっと言ってましたけど」


夫、ありがとう。

今日は快適に過ごせた1日だった。

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