他者の理解って、どゆこと??➇後半

※このシリーズは、他者の理解について、メンヘラ気味のオバさんが、世の中でうまく生きられるようにと、考えを深めていく記事です
※➇記事は、前半後半に分かれます。
この記事は、➇後半です

傾聴との繋がり……書けなくて、すみません
他者とのコミュニケーションで、すごく大事な部分だと思うのですが、……中身がまだ書けませんでした(TдT)
いつか、文字起こししたい!!
とりあえず、
ホラ吹きメンヘラオバさんに、改名でしょうか···(汗)

「(ダッシュ20本走ったから)もう太ももが上がらない。」

「棚に、手が届いたわ。」

「晴れて気持ちがいい。公園まで、歩こう。」

「おなかが、空いた。」

「雨音が聴こえる。」

「寒い。」

➇前半で上げた、身体の(知覚を表現した)言葉の例でしたね

身体の知覚を表し、意思(欲求)や、意図(情動)が含まれていない文章と、わたしは思います

しかし、1文だけ、意思(欲求)意図(情動)しか考えられない(p_―)と思うものがあります

どの文章だと思いますか?


















「棚に、手が届いわ。」

わたしは、この文は9割9分くらい、意思、情動の言葉に思いました

(7月4日追記
以下に、いろいろ書いてしまいましたが、大事なことを書いていませんでした...( ゚д゚)ハッ!
【知覚が入っていない】文、ということでした

下記の説明は、削除してもいいかもしれません(◎-◎;;;)
よ、読まないでスルーして、だ、大丈夫です(゚∀゚;;;))


もしも、棚ではなく、健康ぶら下がり機(^_^;)や、公園にたまにある、ぶら下がる棒(?)であれば、3割くらい意思や、情動の割合は減るように、思います

わたしは【偶然】ということを、判断の一つにしています

例えば「階段を上る。」を考えてみましょう

「偶然、階段を上る。」

あれ?と思われたかもしれません
階段を上るには、意思がありそうだ……

初めて通る散歩道に、階段しか無ければ、偶然階段を上るという言葉にもなるかもしれません
しかし、家の中や学校、職場、営業さんの外回りなど、初めてでも、“その道を通らなければ、辿り着けない”ことはあると思います。そのとき「階段を上る。」目的がそこに生まれます
【偶然】階段を上ったのではなく、【階段を上らなければならない】という、【意図】が生じています

話を戻しましょう

「棚に、手が届いたわ。」

例えば、おもいっきり背伸びをして、偶然棚に手が届いたとします
すると、ぐーーーっと伸びることの方をしたかったので、棚に手を伸ばすのがねらいでは無かったので、身体の知覚の表現として、100%意思や意図は無かったと言えると思います

しかし、日常では、偶然棚に手を伸ばすことは、どうでしょうか

可能性としては、“棚にある何かを取りたくて”、手を伸ばすことが、ほとんどではないでしょうか
どっちが棚に手が届くか、子どもと比べっこをしたり、などでしょうか
(「お父さんの勝ち〜。」子どもが拗ねるのを見越して、「お父さん、今日は肩上がんないなー。」と腕を下げ気味に、「やった!今日ぼく勝ったよ!」という、駆け引きが繰り広げられたり……(^_^;;;)ハナシ ソレタ)


「公園まで歩こう。」は、公園までという距離の設定をすることで、その“距離”を歩く、つまり健康のために歩くという意図を、文章から想像されるかもしれません
また、日光浴の心地良さを味わう為という、意思、意図があるじゃないかと思われるかもしれません

ここで、表現していることに、戻ってみましょう
それは、身体の知覚の表現でしたね
日光浴の心地良さを味わう。とりたてて意味も無いが、とりあえず公園辺りまで行って、その間、心地良さを味わう
身体の望み以外の、何ものでもない、日光浴の科学的論理に基づいて散歩するのでは無い、
そもそもの人間らしさを、文章から読み取ることが出来る……かもしれない……けどこじつけかな??
身体の知覚には、まず一番に意思、意識ではない、それよりも先に感覚的に求めているものが、あるんじゃないかとわたしは思います。形而上学かな


「晴れた空の下を歩いて、なんだか気持ちがいい。」にすれば、長い説明は要らなかったと、反省しています。ポイントとなる言葉の書き方に、もっと気をつけようと思いました(ΦωΦ)

長文、すみません!
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。