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室町時代にすげーバンドが存在した~映画「犬王」感想~

アマプラで映画「犬王」を観た感想を語る記事です。

結論

とてもよき映画でした。


犬王とは? ざっくりあらすじ

時は南北朝時代。
琵琶法師の友魚と猿楽師の息子の犬王が、京の街で出会い、音楽バンドを結成し、庶民からライバル、果ては将軍まで、全日本を熱狂させていくミュージカルアニメ映画。

好きポイント


①和風の演出、視覚表現に魅せられる。
室町時代のお話なので、時代劇です。古き良き日本の風が感じられる。源平合戦のようす、南北朝時代の情勢が、絵巻物テイストで現代的な見せ方をしつつ展開されていきます。
主人公の1人・友魚は盲目です。友魚視点での世界のとらえ方の表現が斬新で面白かったですね。暗闇の中にクレヨンのような色と線で生き物たちを描き出す描写とか。牛車の中の米俵が、彼にとっては炊いた白米に見えており、そこから粒が零れれば雀がついばむ映像とか。観てて引き込まれた。

現代から過去に景色が移り変わっていくシーンもドキドキきましたね。冒頭、時代劇だから現代風景いる?と思いましたが、これが後々最高の味を引き出すんですよね・・

②現代風ライブシーン
この映画の目玉、ライブシーン。実際は能楽で、平家物語をテーマにした歌と踊りを披露します。
平家物語よく知らん!でも大丈夫です。歌から魂を感じ、現代風のライブパフォーマンスに目が釘付けになります。

ライブは現代のラップやバンド、ブレイクダンスを取り入れて非常に魅力的に描かれています。ギリギリ当時の技術でもいけそうな舞台装置、楽器、服装で攻めてくる。琵琶ってギターのように弾けるんだ。プロジェクションマッピングもやろうと思えばできんだ!すっげえ!

橋の上でお客さんが何百人も押し寄せて、スターたちと共に合唱、手拍子、踊る。終幕後の出待ちをくぐりぬけると、キスマークが全身ついたりとかする。青空ライブだけど、ちゃんとチケット代金とれているのか。心配だ。

③スター2人の物語
ライブシーンと相まって、語られるこの二人の物語も熱いんです。
それぞれが闇を抱えていて、それとどうやって付き合っていくのかが、美しく描かれる。この部分は別途語ります。

物語の感想考察

◎ライブ頑張れば呪いが解けて美しくなっていくシステム


犬王は奇形で生まれました。腕は足以上の長さがあり、片方の目は口の位置についている・・見るもおぞましい姿を着物と仮面で隠して生きています。
内面は明るくて屈託のない男性です。いい子に育ってくれて感謝。

そんな異形の彼ですが、彼が能の技術を磨き、舞って人々を感動させればあら不思議。少しずつ奇形が治っていきます。長すぎる腕は一揃いの逞しい二の腕に、ひょろひょろ、ガタガタだった体躯は、ひとたび脱げば筋肉がほどよくついた美しい胸板に。ライブをすればするほど美しくなっていく。最後には顔も・・・
劇中では「平家の亡霊を成仏させれば呪いが解ける」と説明された気がします。
努力して成長して、周りを喜ばせる活動に勤しめば、自分にも幸福がやってくる。いい話ですよね。これ。

足を伸ばして考察すると、最初は自分の容姿に自信が持てなかった彼だけど、能を高めていくことで、自分および周りの人々から「美しいもの」として受け入れられていく・・ということなのかな。

◎友魚はなぜ歌うのか


琵琶法師の友魚は犬王の相棒です。彼のライフワークは、「父を殺し、自身を盲目にした貴族を探すこと」とでした。しかし、犬王と出会ったことで彼は変わっていきます。
彼はいわゆる「視えてしまう人」で、幽霊の姿声を感知できます。犬王が大量の平家の亡霊にとり憑かれていることから、この亡霊たちの声を聞き、「まだ誰も知らない新しい平家物語を拾い、歌い広めることで霊を鎮める」ことに琵琶法師としての存在意義を見出し、のめりこんでいきました。

仇討なんかどうでもよくなった。犬王や平家の亡霊たちの声を聞き、存在、想いを叫ぶことが彼の生まれた使命だった。それを共に成し遂げてくれる最高の相棒が犬王。2人は高みへ上っていきます。

その先について。出過ぎた杭は打たれます。時の権力者が「平家物語の公式本を出すね。それ以外の二次創作は認めないからね!」のおふれを出してバンドは強制解散になってしまいます。
犬王は権力に従いましたが、友魚は受け入れられませんでした。どうしても歌いたい想いがある。自分が彼らの気持ちを歌わなければ、彼らは亡き者となってしまう・・・命に代えても歌い続けたい、と。
禁止令が出ても歌をやめず、侍に連行されて河原で打ち首になりました。それだけに終わらず、彼は死後も橋の傍で何百年も、平家物語と犬王、自身の話を語り続けているのです。木造の橋がなくなり、道や風景が何度変わっても、聴き手がいなくても、ずっとずっと。

なぜ彼は歌い続けるのか。なぜ彼は死を超えて歌い続けるのか。

それは、彼は生来感受性が強く、他人の気持ちを自分事のように引き受けてしまうからだと考察しました。平家の亡霊たちの想いを受け継ぎ、形にすることが彼の強い想い、生き様、生きる喜びになっていました。自分の命と死者の叫びがイコールになってしまってたのかなと。自分が平家物語をやめたら、亡霊たちの存在が本当に「なかったこと」になってしまう。彼らと自分の存在を証明するために歌い続けてきた。それをやめたらまた死に元通りだ。優しい彼なので、亡霊たちを見殺しにすることがとてもできなかったのだ。

ちなみに、彼の名「友魚」(ともなり)、ひょっとして「共鳴り」(ともなり)から由来してるのかな。亡霊たちに「共鳴」する者としての友魚。

◎犬王パパ、呪いの悪魔に呆れられる


犬王パパは悪役です。悪魔的な存在(紫の怖い仮面)と契約を交わし、自己の能楽の成功と引き換えに犬王を犠牲にしました。犬王が奇形で生まれたのはパパのエゴのせいです。愛とかないです。

ついにパパが「犬王の成功が憎いからアイツ殺してくれ」と悪魔に頼んだところ、「犬王は一度捧げたものなんだから、それを今度は殺せなんてそりゃねーだろ」と言われて、悪魔に呪い返されてしまいました。ここのシーンがね・・かなり凄惨でした。私が観てきた数ある映画の中でもなかなかのグロさでした・・

まさか悪魔が呆れて、パパに報復するなんて。他の方の感想考察でもお見掛けしました。悪から善がでてきた、と。まさにそうです。びっくり。

そしてパパ、悪魔と契約しても、能楽成功してないんですよね。それとも悪魔の力があって現状なのか。どうなんでしょう。
犬王パパのように、人の幸せを奪うことをやっても大成なんかしない。のは世の真理ですよね。琵琶法師を殺し、息子を犠牲にし、弟子を怒鳴りつけても、能楽の芽は出ない。権力者の目に留まらない。だって正しい努力をせず、悲しみを生み出すことばっかりしてるから。前向きな努力があってこそ、いいものができるのではないか。人々を喜ばせられるのではないか。

通常の努力をしてどうにもならないから悪魔に頼ったんでしょうけど、せめて家族だけは大切にしてほしかったな、と思います。

◎犬王の最後の呪いは出生のひみつ


終盤のライブで、犬王たちは最後の呪いを解きにかかります。この最後の呪いというのは、彼の出生前の話に繋がっていました。母親の胎内にいる段階で父親が悪魔と契約したことで、犬王は健全な肉体を奪われ、奇形で生まれてきたのだと。

「最後の呪いは出生にまつわる」って奥が深い。人のコンプレックスって、だいたい育ってきた過程にあるといわれてますよね。幼い頃にどうやって育ってきて、何を学んだか。それが成人後に無意識下から効果を出してくる。
苦しい時、過去を振り返って、自身の闇を見つめる。それは幼い頃の悲しい思い出から来ていたりします。

犬王は自身の闇とその原因を友魚と一緒に探り当てて、傷を癒すことができたのかなと思いました。やみくもに苦しむより、傷の詳細を知っていた方が随分和らぐでしょうから。

そうして彼は呪いを完全に打ち破り、仮面をはぎ取って、惜しみなく美しい顔を晒しました。誰もが認める美しい顔です。めでたい。

◎桜の舞う中で、無音で

友魚の死後、犬王のその後の物語が語られるシーンが流れます。舞い散る桜の中、赤い衣装を着て静かに舞う犬王。この間、音声は流れません。PCのスピーカーちゃんと機能してる?と心配になるくらいの静けさ。
この静けさが神聖で美しい。そしてミステリアス・・・犬王、お前どう生きたんだよ・・分からないことが多すぎる。それが史実。どうして・・・

この神聖さを無音の舞で表現しているのだ。彼は確かに生き延びて、権力者に愛されて散っていった。彼の輝きと不可思議さがこれなのだ。

◎歌い続けた友魚、そして今につながり、天に昇る終幕


最後のシーン。死後もなお歌い続ける友魚のもとに犬王がやってくる。お互いを確認した後、かつて初めて会った少年時代の思い出を再現して、2人で名を呼びあって天に昇り、成仏する。め、めちゃいい~~~

友魚が語り続けた物語は、私達現代人の観客を通して犬王に伝わって、友魚成仏に繋がったのだ。いつも他人(父親や犬王、亡霊)優先の友魚が、ついに救われた。もう彼は誰のことも背負わなくていいんだ。彼らがいたということは、私たちが証明する。2人は天国で幸せになってほしい。いい話・・

友魚と犬王(演者)と、私たち(観客)。3者揃って完成する物語。まさにライブですね。すごい。

◎亡霊、飼っていませんか。赤い蝶々です。


「平家の亡霊たちの無念を伝え、届けること」がこの作品のポイントでした。赤いアゲハ蝶のような亡霊たちが桜のように散り散りに舞ってましたね。
この亡霊、私も生み出して飼ってたりなんかしてるわな。と思ったり。人生の中で辛いこと、悲しいことはたくさんあります。選んでもらえなかった、勝てなかった、叶わなかった。自分の力ではどうにもならなかった。その気持ちが形になって、自分を縛って苦しめてはいないか。声を聞いてほしいって訴えていないか。
仮にそうであるなら、犬王たちのように話を聞いてあげる。そして人の幸せに繋がるような形にしてあげる。そうすれば亡霊は救われて、自身も身が軽くなる。呪いが解けていく。
犬王たちは歌と踊りですが、現代ではいろんな方法があります。想いをnoteに書く、小説に昇華する、絵を描く、その話を動画配信する・・などなど。始まりは悲しみでも、めぐってそれが人々のささやかな幸せに繋がるのだとしたら、犬王と同じようなことが私にもできるような気がしてきます。
辛い思い出って小説のいいネタなんです。自分にしかない輝きなので。

つまり犬王は、平家物語の二次創作をしてみんなを救っていたのだ。
だから私も二次創作楽しむぞ。それが世界平和につながる(?

◎犬王、どこにいったの?

世阿弥と比較して、犬王は残された情報が少なすぎます。彼の舞も伝わってません。現代の人間としては寂しいです。

劇中、あんだけ人々を魅了したのに、なんにも伝わってないなんて。あんまりすぎる。
庶民も、ライバルの猿楽者も、将軍も、悪魔も、平家の亡霊たちも、全員ファンになっていたじゃないか。全員のヒーローだったじゃないか。なぜなの?
いかに人気があって、人々を幸せにしても、ついには忘れ去られてしまう。素敵で最高の思い出は、過去になったら、箪笥の肥やしとして埋もれていく。災害とか悲しい事件は今後のために記録されるけれども、反対の、良い思い出は、その時味わいつくしたら天に昇って消え去っていってしまうものなのかなと思いました。喜びの尊さと儚さというか。それを感じた。
平家の無念はいくら時間が経っても語られ続け残存しますが、犬王の舞はひとときの極楽を見せたら役目を終えて去ってしまう。た、対比が・・

たぶん、芸を後世に伝えていくスキルと、歴史に名を残す活躍をするスキルって別物なんだと思います。犬王が大スターなのは間違いない。しかし、彼の技はマニュアル化して子々孫々に伝わるには至らなかった。本人にその気がなかったのか、やってみたけど難しかったのか。いずれにせよ結果は今ということ。世阿弥はその点は成し遂げた。

みんなを救って楽しませ喜ばせた犬王。大スターという以外に詳細が分からない犬王。天女のようですね。逆に興味をそそる。

おわりに

長文になったけど後悔はしていません。
久しぶりに余韻が残る素敵な映画に出会いました。楽しかったーまだ魂が室町時代の橋の上にいます。いぬおーう!
ライブパート知識足りなくてよくわかんない部分もあるけど、魂伝わったよ!

私も友魚のようにずっと魂を叫び続ける人生かもしれません。私の蝶が尽きるまで。

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