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ほんとの「わたし」は光り輝いてる

急に実写画像キタ━━━(゚∀゚).━━━www
前回noteで記事を書いてからはや3ヶ月が経過しました∑(゜∀゜)コウインヤノゴトシ


ダッシュボードによると、記事を書くのも不定期で、ほぼずっと放置しているにも関わらず毎月500人前後の方(同じ方がもちろん含まれていると思いますが)が私の記事を覗きに訪問してくださっているようです(。ノД`)・゚・。ゥレシィョォ。・゚


訪問してくださる皆さま、いつもありがとうございますm(-人-)m✨
私が紡ぐこの拙い文章から、ほんの少しでも、



「私の記事に出会ってくれた誰か」が、何か閃きや喜びを得ることができればそんなに有難いことはありません。感謝の氣持ちでいっぱいです。.:*:・"☆

そして私もまたそんな氣持ちで「記事を書いてくれた誰か」からたくさんの閃きや喜びを日々いただいています。*.゜。(*-ω人).゜。*


今回は、出逢う色んな人やものに「ありがとう」の氣持ちを込めつつ、ドラゴンボールに出会う前の「はじまりの自分」にフォーカスを当てて記事を書いてみたいと思います。※なのでドラゴンボール色はほぼありません。DBファンで私の記事を読んでくださっている方、ご了承くださいませ^^;


さて、フォローさせていただいているTERUTERU5さん(以下テルッチさんと呼ばせていただきますw)の自我についての記事を数ヶ月前に読ませていただきました。



テルッチさんは、記事の中で自我について
「ヨーガ・スートラには役割的自分と本当の自分は違うと記されていた。この役割的自分が自我なのである。」と表現されており、またヌーソロジーでは、自我について「他者の自我が自分の自我に入り込んでしまっている」と解釈することができると教えていただきました。実際に記事はもっと奥深いので、詳しくは以下記事ぜひご拝読くださいませ↓↓↓

尚、テルッチさんは現在note冬眠中だそうで、春になったら活動し始めるそうですw
※ちなみに忙しさにかまけて、まだ全然ヌーソロージーお勉強できてません💦以下記事は日常から感じる私見です💦


テルッチさんの記事を読んで、私は自分が大学院生の時に哲学の授業で書いたレポートを思い出しました。そのレポートは”「自分」について自由にレポートを書いてくる”というものでした。


私は『おんぶオバケとわたし』というタイトルで自分の生い立ちを交えながら自我を「おんぶオバケ」と喩えてレポートを作成しました。


そのレポートを書いたのはもう20年以上も前の話で、原稿はフロッピーディスク(懐かし〜)に保存してあるので今は読むことができないのですが、


その中で私は、


人は「ほんとうの自分」に、いつの間にか「〜であるべき」、「〜でありたい」という様々なおんぶオバケを背負って生きている。そのおんぶオバケは、自分を向上させるものであるかもしれないし、その一方で背負いすぎて身動きが取れなくなってしまう荷物であるかもしれない


と論じた記憶があります。


おんぶオバケのレポートを書いてから20数年の月日を経て、現在私はさらに何重にもたくさんのおんぶオバケを背負って生きています笑


もう十二単とかのレベルではありません🤣✨
ガッチガチに着込んでますw┗(;´Д`)┛チョウオモテー💦
 

「いいお母さんでありたい自分」、「いい妻でありたい自分」、「いい先生でありたい自分」、「誰かに褒めもらいたい自分」、「若々しくいたいけどちゃんとした大人に見られたい自分(←ココダイジ笑)」


は、私の原動力であり、また足枷でもあるかもしれません。

おんぶオバケが重たくなりすぎて、ふと自分が何をしたいのかわからなくなった時、あるいは「〜したい」が執着になってしまっている恐れがある時は、



そっとおんぶオバケを下ろして「はじまりの自分」を思い浮かべます。


記事トップの満面の笑みを浮かべるお子さまを見て下さいw

あれは「はじまりの私です」


なんて幸せそうなお子さまでしょうw
ピッカピカでしょう?www✨✨✨
(大口開けて笑いすぎでちょっと泣いてるようにも見える??)


そう私は本当に幸せなお子さまだったんです、



みんなに祝福され、たくさんの光を受けて生まれ、たくさんの愛情とたくさんのおもちゃ、おいしい食べ物、かわいい動物たちに囲まれ私は育ちました。



この頃の私は不安なんてなかったし、ただただお父さんとお母さんが大好きで、お人形が大好きで、お家にいるわんこやうさちゃんが大好きで、、、
いつでも神さまが近くにいてくれていると感じることができました。
※両親は何も特定の信仰は持っていませんでしたし、そういう教育も受けていませんでしたが、なぜかそんなふうに思っていたんです


両親は毎日毎日私を褒めてくれていたので
私は自分が大好きで、自分はサイコーーだと思ってました笑


おんぶオバケは一匹も背負っていませんでした



だって自分はそのままでサイコーだし、こうあるべきとかこうありたいとかないですもん。私が幸せなんだからみんなも幸せに決まっている



と思っていたんですw


ロッキングホースにまたがりご満悦なわたしw


おんぶオバケのいない私は自由です。



けれども私はこの背負いすぎて重たくなってしまう自我に、

おんぶオバケというちょっぴりチャーミングな名を付けたのは、単に彼らを足枷ではなく、愛すべきものであると考えたから

なんです。


そのままの自由な私は最強です、でもせっかく今自分として生まれて自分として生きている以上、裸のままでは修行にならないから、


いっぱい背負ってきたおんぶオバケは自分が修行をした証として付き合ってやりたいわけですw


亀仙流では、重い亀の甲羅を背負って修行をします。甲羅の重さは、どんどん重たくなっていきます。また、天界での修行でも悟空は重い重い道着をきて修行をしています。その結果、それらを脱いだときは、まるで自分が羽になったようで、どこまでも飛んでいけそうに身軽だと悟空は表現しています。

『ドラゴンボール フルカラー』フリーザ編Vol.2 P.112より


おんぶオバケをいっぱい背負って、
重い重い自分になっているかもしれません。



亀の甲羅を下ろすように、
そっと時にはおんぶオバケを下ろしてみましょう。小さな頃のはじまりの自分に返ってみましょう。きっと羽のように軽い気持ちになるはずです。


ほんとのわたし(あなた)は十分に光り輝いています



おんぶオバケを纏いつつ、はじまりの自分を忘れないわたし(あなた)
は最強です



、、、、って

アレ?



結局ドラゴンボールに着地してる(?)wwwwwww


、、、ということで(無理やりまとめた?🤣✨)



今日も私は「褒められたい自分」「記事を読んでもらいたい自分」と向き合いながら、執着しすぎないように、願望を適度に手放しつつ本来のオラと対話しながら光る自分を忘れないように過ごして参りたい次第です(ヤヤコシイw)


改めてみなさま、
いつもありがとうございまっすーーーーーーーーーうm(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)mフカブカ✨


いや〜それにしても、こうして自分の氣持ちを文字に連ねることができる、

言葉は偉大だー✨

さあ、今日も自分の愛すべきおんぶオバケと向き合っていこうじゃないか!


Life goes on,,,✨

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