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叱らないと、成長しないのは本当か?

ユーシロです。

世間で話題のBIGMOTOR社の幹部や上司の、社員へのすさまじい叱責ぶりが問題になっています。BIGMOTOR社だけでなく、JTCの大部分も似たようなことが令和になっても起きています。

この裏には、

「厳しく言わなければ、相手はわからない」
「叱らないと、人は甘やかされる」
「人は叱られないと育たない」

といった先入観があるように感じます。

あそこまでひどい物言いはしないものの、そんな認識を持っている人は意外と少なくありませんが、「叱る」ことは正義なのでしょうか

「叱る」というこの言葉の意味を辞書で調べると、「(目下の者に対して)声をあらだてて欠点をとがめる。とがめ戒める」とあります。

さらに、「とがめる」の意味は、「あやまちや罪を指摘し、非難する。なじる」。つまり、「厳しい口調で、欠点や過ちを非難する」ということです。

パワハラ体質の人たちと接すると、普段会う人たちや日ごろの少々の苦労が、「あの嫌な連中よりはマシ」「あんなつらい日々よりはマシ」と思える部分は確かにあります。

しかし、そのパワハラ経験から、「自分を変えよう」とか「もっと頑張ろう」というモチベーションが生まれたかといえば、それはありません。「とにかくその場を切り抜けよう」という気持ちだけです。

とはいえ、命に関わる大事な場面では、厳しく叱る必要がある、という意見もあります。

しかし、例えば、「手術室で執刀する先輩医師が、ミスを犯した後輩医師を目の前で叱る」「飛行機のコックピットの中で、副機長の間違いを機長が厳しく叱る」ことも、昔は当たり前だったのが、今はどちらもアウトというのが、定説になっています。

こうした叱責は後に、間違いを犯した人が、それを隠蔽しようとするリスクを高めたり、上長の間違いも指摘できなくなったりしてしまいます。

あなたの叱責、批判が図星だったとしても、状況がどんなに危機的だったとしても、声を荒らげて叱りつけることは逆効果になります。

「叱る」ことは相手の行動を変える力が無いばかりか、「嫌な奴だ」という記憶を相手に植え付けるだけで終わります。

なぜ「叱る」に効果がないのでしょうか?

なぜなら、否定的な言葉は相手に恐怖心を覚えさせてしまうからです。


人は他人から批判されることを、極端に嫌がる生き物です。


人類は何万年もの間、群れをつくって生きてきたわけですが、批判される、糾弾されるということは、「その群れから追放され、常に生命が危機にさらされるかもしれない」ことを意味します。

人から拒絶されること、叱られることは暴力級のダメージであり、恐怖感を植え付けられ、そこから逃げようとするのです。

さらに「叱責」は、相手からも抵抗されてしまいます。


人は、変わることに抵抗するのではなく、変えられることに抵抗する生き物でもあります。


誰かに「こうしろ」「~しなければならないんだ」と強制されることを極端に嫌がります。自由を制限された際に、それに必死で抗おうとする心理状態に陥ってしまうのです。

相手への「批判・攻撃」は自らへの攻撃としてブーメランのように戻ってきてしまい、叱りつけることは、相手の反抗心に火をつけ、逆の行動をとらせるだけの結果になります。

ただ、正直にいえば、相手に恐怖を覚えさせるような言葉で、叱りつけることは一時的に相手をコントロールすることには効果を発揮します。

恐怖で相手を支配し、操る、これはヒトラーやスターリンなどの独裁者が使う手法ですが、部下や子供に使うことは絶対にオススメしません。

命令に従っているうちに自分で判断や行動をしなくなり、先ほどの「叱責」による支配は部下や子供の考える力、自主性や成長の機会を奪う手方です。

では、どうすればいいのでしょうか?

叱るときは「事実」「理由」を盛り込み、「解決策」を提示させる。「主観」というのは、相手を主語に「お前は~なんだ」と非難するのではなく、自分を主語にして、「思い」を伝えるようにするのです。例えば・・・

上司:「今日、大切な会議の報告がなかったね(事実)。報告がないと、全体の業務が大きく遅れてしまうんだ(理由)。私としては報告しなかったことが残念だったね(主観)
部下:「忙しくて、報告を忘れてしまいました。すみません」
上司:「時々あるけど、どうすれば、忘れないだろうか?(解決策の提示)
部下:「これからはスケジュールで通知が出るようにセットしておきます。申し訳ございませんでした」

「褒める」ことはもちろん大切ですが、例のように上手に叱ることで、相手のやる気や、信頼度も高めることが出来ます。

部下や子供を持つ方は試してみてはいかがでしょうか?

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