Uターンのキッカケの5年前
宮崎にUターンして、宮崎でも転職?経験をした僕にとっての5年前と今を振り返りつつ、なんでUターンしたかを思い出して、軽く5年後を想像してみた件。
よくあるFacebookの何年前の今日はなにしてたか?ってのが、2018年2月12日昼前、表示されたのがこれ。
同級生が市長に立候補するってことで、まだカヤックにいた(気がする)けど週末や休みを使っていろんなことを企画したりしてた。隣に座ってるのは、TABI LABOのびんちゃんとマーケなたじー。
この経験があったから、地元に帰るのは今だろうし、自分ができる社会への関わりや貢献のカタチは東京だけじゃない。そもそもwebの世界だけじゃないって感情的に判断した。
都会が嫌いなわけじゃない、住んでた代々木上原、西日暮里、鎌倉。職場の青山、渋谷、汐留、新宿、鎌倉、横浜も大好きだ。都会もサイコーである。
移住とかのキッカケって、最終的には楽観的に自分の精神的にも経済的にも可能性を信じることができれば、それがそのタイミング。
収入って、今をキープというカタチでのキャリアチェンジは存在しないって思ってたし、学生の頃からチャンスであれば収入半分でもゼロ近くでもチャンスを掴みにいかないとモノにはならないって、感じながら選択してた。
そして、金銭的な条件での交渉ではなく、希少性のある体験ができるか、その体験の先に自分が見たい世界を感じられるか。
なにより、その体験を自ら創り出すことできそうかって自分に問いかけて、最後は勢いで決定する。いつもキャリアについてはこんな感じ。(ビジネスの進め方はぜんぜん違う)
いつからこんな価値観だったのか?と思えば
たぶん、その時その時で一緒にいた刺激になっていた周りの方の影響が多いと思う。
5年前で言えば、カヤックの経営陣や5年前に立候補した同級生とか。新しい世界へ飛び込むこと、創ることは当たり前だって思わせてくれた。
誰と一緒にいるかは結構大事な判断への影響があると思う。
どんな判断をしたいという自分なりの価値観があるけど、決め切らないのであれば、違うコミュニティに入ってみるがいいと思う。
(運気がいい人達とつながるっていうのもあり)
僕のUターン当時は、宮崎の実家に会社をおきながら、古巣の会社や都内のスタートアップのコンサルという業務委託のお仕事をカヤック退職後はしてて、宮崎と東京を行ったりきたりしてた。
そして、宮崎のECを強みしてるベンチャーにお世話になる。
そのベンチャー企業も仲間と楽しくも事業立ち上げや全体の収益性改善をチャレンジしつつ、母校の大学院で客員教授で講義をもったり、地元でワチャワチャやってたら、地元大学で新学部設立で経営系教員募集を知り、応募して今に到る。
この流れにおいても安全に安全にっていう判断はなくて、現に今の大学教員なんてみんな5年間契約(有期雇用)で、5年毎に更新です。
収入だって、なかなかのマイナススタート。
マーケットにおいての自らの価値を創り続けないといけないという緊張感は継続です。これだけは、どの業界・どの職種・どの組織においても変わらない。
さて、あの宮崎に戻ろうって判断してから5年間。まったく違う分野の組織・職業についている自分。やはり、5年後も今と違う世界にいるのだろうか。
今の社会での役割と仕事の内容めっちゃ面白いので、続ける気はマンマンなんですけど。
ま、5年後なんてわからないので、しっかりともっと先の世界を想像しながら、目の前のお仕事を頑張らせていただくだけ。
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