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いつかの出来小言

先日、吉本ばなな氏のトークショーに馳せ参じた。
(申込みがギリギリセーフ)

本物のスターが登壇して居酒屋トークの如くテンポが良く
「あー、ばななさんて、こんな風に相槌を入れるんだ」
「あー、ばななさんが会話する時の声って少し高い声なんだ」
とのめり込んで聞いていましたが、
会場の皆さんもとてもキラキラしておりました。

勇気ある私は最後の質疑応答で手を上げ質問しました。
心臓はバクバクしていましたが
マイクを通る自分の声っていい感じ、って思ってました。

聞いたことは、
「私は看護師をしているのですが、人と接すると、もらいやすいというか
呑まれやすく、患者ならず人の悲しみや怒りみたいなものに呑み込まれて、モヤモヤしたり落ち込むことが多い、どう対応すればいいかアドバイスをください」的なことを言ったと思います。

これは自慢ですが、その時のばなな氏は私の方を向いて、
目を合わせて真剣に答えてくださったのです。
一生宝物の思い出です。

その時に勧めてくださった本が、
綿矢りさ氏「パッキパキ北京」。

読んでいた時は、自分は主人公のように豪快ではないけれど
「私ってこういうところちょっとあったよな」と。
あるよな、ではなく、あった・よな。

また経過して思い出したことは、
この数年の私は、自分の評価を他人に任せてしまっていたようだと、
色々と思う当たることが浮上。

もらいやすい、呑み込まれやすいと関係あるかは明確でないけれど、
呑まれる、もっていかれる、って自分を預けてしまうこと、
もしくは自分を奪われていることかもしれない。

ある日、仲里依紗のYouTubeを見ていると、
仲里依紗ってミラノにいてもパリにいてもアメリカにいても、
外国にいる感じがしない。
ミラノの広いホテルのベランダで
素晴らしい景色を背景にパンを食べていた画像、
いつもと変わらない。
仲里依紗はパリにいてもパリっぽくないし、
ミラノにいてもミラノっぽくなく、
常に仲里依紗全開!同じくなすちゃんも!

これだわ。

北京の主人公も仲里依紗も、どこにいても自分全開なのだ。
仲里依紗となすちゃんを見ていたら、
あの人たちが他人に呑まれるわけは絶対にない、と思うのだ。

そしてばなな氏はこうも言っていました。
「自分を育てていくこと」
自分を育てる、考えたこともなかった。

このモヤモヤに関しては主治医の精神科医から教えてもらった
ポリべーガル理論やバウンダリーを意識して日々健闘(風)していたけど、
ばなな氏の言葉が加わり、
自分をもっていかれない自分を育てる、という目的ができたのでした。

発見。




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