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生きていることを喜びに

2024年から二極化する…。


スピリチュアルな世界では、風の時代に入ったとかで??

二極化しているそう。

皆さんは、二極化しているのを感じている?

二極化しているなら、自分はどちら側なのだろうか?…

2024年に入ってから

2024年に入ってからは、自分自身のこともそうだけど、夫や子供も、とても良い方向へ変化した。

昨年までは、色々と暮らしも大変で、夫と喧嘩も多く、子供のことでは悩みがつきなかった。

ところが!…

今年に入ってからは、夫婦円満だし、夫は新しい就職先も順調で、子供も学校生活がそれなりに落ち着いてきて。

また、自分は自分で、アーティスト活動で受賞したり、ビックリするような嬉しい出来事が続いているし、小さくではあるが、宝くじなんかも毎回当たりが出ていて、そして編物教室も収入が増えてたり、嬉しいことが続いている。

本当に、色々と急展開で変化して、ありがたいな、嬉しいな…といった出来事が沢山。

もちろん、小さな喜びも、日々沢山あって。

あわじ花さじき…にて

先日は、病床が続いている父の具合が少し良くて、桜を見たいと言ったので、母が急遽、淡路島への旅行を提案してきた。

ちょうど、夫の仕事もお休みの日だったことと、子供も春休みだったので、久々に家族で旅行となった。

父は、母の3回目の結婚相手で、私とは血の繋がりが無く、2人は私が24歳の時に再婚したのだけど、今では親子のように意見を言い合う。

でも父は優しい性格もあって、私の意見に押されることもあるが…。

そもそも、子供に気を遣う親っているんだよな。

うちの母も父も、妹にはとても気を遣っている。

それも子供の頃から。

それは不思議に感じていたのだけど、その気を遣う行為が、あまり良い方向へ行っていないことを私はずっと思っていた。

親子だから、大喧嘩するくらいに、怒ったり、泣いたりなどもあっても良いのでは?!と思うのだけど…よその家ではどんなんだろう?

私とは、↑そんな感じ。

前の父とも、親子そのものだったし、私が2歳半ぐらいのときに再婚して、本当の父親であると育てられてきたもんだから、本当の親子だと思っていた…。

そんな話も、いつかここでできたら…。

あわじ花さじき…にて

今回の旅では、淡路島ということで、4/1、4/2 の一泊2日の旅だった。

父が車椅子で歩けないし、病床ということもあって、あちこちも行けないしで。

ところが、初日に連れていった兵庫県立淡路島公園の桜は、まだ半分も咲いていないような感じで。

兵庫県立淡路島公園…にて

お天気はたいへん良くて(私も母も、晴れ女)、気持ちの良いピクニックになったけど。

ゴジラ

お弁当を広げて、家族でこうやって食べるのも、夙川のお花見以来。

その時は、父は仕事が忙しくて、こんなことするの初めてだよね!と思った。

そう、父は自営業をずっとやってきて、休みがほとんど無かったから、こうやって家族でピクニックをしたのが、初めてだった。

パーキンソン病もあって、なかなか自由に動けない父は、「日向ぼっこ」と言って、暖かい陽射しに当たって、気持ち良さそうであった。

のんびり、ゆったりな時間。

私ものんびりと絵をスケッチでも…と持っては来たものの、描く時間は無かった…。

やはり、じっとしていられない子供と一緒だと、そんな時間が難しい。

宿泊先のホテルからの眺め

父は、パーキンソン病以外に、肺がんと間質性肺炎を患っており、どこまで生きられるか、もう病院は何もしてくれない状態で。

セカンドオピニオンを勧めたけれど、父は、もう家族でゆっくり過ごしたいし、あれこれしたくない…と言ってきた。

私自身も、実はあと3日の命だったのだよ…と言われたことがあるけど、私の場合はそのことを聞いたのが、症状を持ち直して、退院をするときだった。

父は、余命は長くはないようなことをお医者様から、ふんわり言われただけで、いつまでということをはっきりと言われていなくて。

そんな状態の中の不安とか、寂しさとかって、どんなのかなと思ったりもする。

本人にしか、完結できない思いがあると思う。

私も、余命わずかであったことを聞いた後、自分で人生を切り開くことへの決意や自分の生きた証を残すことなどへの強い思いは、アートの世界で沢山残してきている。

父のことがあるから、自分の二極化の判断は難しいけど、でも私や家族の喜びや幸せは、とても喜んでくれているので、自分はやっぱり、これからも自分のためにを一番で、家族のためにもハッピーに生きていくんだ!と、より強く思った。

他人の幸せを喜べない状態って、そもそも、私には子供の頃からずっと、理解ができなかった。

人を妬んだり、羨んだりしている人たちの表情は、私にはとてもわかりやすい。

露骨に表情に出ている人が多かった。

でも、それって結局は、自分で自分を幸せにできていない証拠なんだなというのが、色んな本を読んだり、様々な人を見てきたり、そして、私とは違う考えや生き方の人たちを見てきて、理解できるようになった。

そういうところで、人生が二極化というのは大変なことかもしれない。。。

とにかく、自分のこれまでの人生を振り返ると、誰にでも感謝できる前向きな心と、人のためにどれだけ自分の時間を捧げられるか…など、もちろん他にもあるとは思うが、それらも、その二極化のカギでもあるように感じている。

平凡でありきたりの日々の中に生きながらも、小さな幸せを見つけ、大袈裟にもささやかにも喜べる心。

それが私には常にあって。

ほんの少しの風景の瞬間も、写真に納めているし、そんな瞬間に出会えたことにも感謝している。

六甲山の雲海

それは、生きているからこそ、出会えた瞬間だから。

どうか…小さな喜び、幸せな瞬間を心の中でかみしめて。

生きていることを喜びに。


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