【オランダ生活雑記#1】リサイクル・ゴミ回収・自転車交通の仕組みがすごい!〜「自己責任」が導く、個人の自由と社会的合理性〜
自らの行動に責任を持つからこそ、自由に生きることができる
そういった個人が集まるからこそ、合理的な社会慣習が成立し得る
オランダで生活する中で、いろいろな場面で感じるのが、「自己責任」の文化である。
ルールに基づく快適な社会生活も送りたいけれど、一人一人の価値観に基づく自由なライフスタイルも実現したい。
そんな一見二律背反に見える願いを実現するキーワードが、まさに「自己責任」ではないか。
事例:ここがすごいぞオランダ
例①:リサイクルはデポジットで「やらなきゃ損」
「自己責任」の典型例として、リサイクルの仕組みは実に素晴らしい。
ペットボトルや缶の商品を購入する際、値札に表示されている金額に加えて、デポジットとして日本円で数十円が自動的に課金される。
デポジットで支払った額は、後日、スーパー等の中に設置されているリサイクルBOXに返却することで、全額が返ってくるのだ!
問答無用にデポジットを先取りされるので、リサイクルしなかった人は確実に損をする仕組み。
それでいて、専用の機械でラベルを読み取るシステムのため、ラベルが少し剥がれてしまったり、缶がちょっと潰れてしまったりしていたら、せっかく持って行っても返金してくれないという無慈悲さ。
日本だったら苦情の嵐になりそうなものだが。
まさに「自己責任」文化の国だからこそ、導入・成立している仕組みである。
ちなみに、私が最初にこの仕組みについて耳にしたとき思ったことは、
「現金で返却するとなると、オペレーションが大変だし金銭管理リスクがとても大きいのでは?」ということ。
でも、心配ご無用。デポジット額は、リサイクルしたスーパー等で利用できる金券として返ってくるのだ!
実に合理的。
導入時のハレーション然りコスト然り、日本でやるとなるとネゴシエーションだけで莫大な時間を使いそうではあるが。
本気でリサイクルをやるならば、これぐらい個人の「責任」の所在を明確化しないとなかなか実現しないよな…と、日本で生活していた頃の自分の意識の低さを省みる限りである。
例②:ゴミをいつでもどこでも捨てたい場合は回収BOXへGO!
では、生ごみや紙ごみ、リサイクルできない缶瓶等はどうするのか。
そういったゴミの回収ルールも、自己責任を軸に、実に合理的だ。
私が住むデン・ハーグでは、生ごみ等の家庭ごみについては、週に一度、自宅近所のごみ収集場所に回収に来てくれる。
ただ、週に一度だとごみが溜まりすぎてしまうし、段ボールや瓶等の資源ゴミを捨てることはできない。
そこで、回収日以外にも捨てたい場合や、段ボールや瓶等の資源ゴミを捨てたい場合は、地域内に点在する、24時間365日捨てられる共用のゴミ回収BOX(もちろん分別)へ、各自で捨てに行くのだ!
この回収BOXは、地下にゴミ箱が埋まっているので、横を通っても全く臭わないし、見た目もすっきり。
また、上記の回収BOXの他にも、街中至る所にレターボックスサイズの小さなゴミ箱が設置されているため、ポイ捨ては滅多に見かけない。
個人の「自己責任」のもとで捨てる「場」を用意することで、結果的に、個人も自由にゴミを捨てることができるし、ゴミ回収側も決まったルーティンで収集場所を回るだけなので、労働力の観点でも効率的。
なんて合理的でWin-Winな仕組みなのだろう!
日本の場合、ゴミ収集は自治体が主体となり厳密にルール化・仕組化しているが、なかなか各世帯で守られていなかったり。
リスク回避のために、街中やインフラ機関からもゴミ箱がどんどん消えていった結果、ポイ捨てが増加して余計な清掃コストがかさんだり。
そんな日本の実情と比較して、対照的なオランダである。
例③:大型自転車がすいすい走れる秘訣は一人一人の行動責任
続いて、オランダの自転車ルールも示唆深い。
オランダは自転車大国。
有名なのは、自転車の前方に大きな子供用の籠が付いた、"Bakfiets"という自転車。1歳ぐらいから10歳ぐらいまで、子持ち家庭の多くがBakfietsで保育園や幼稚園、学校等への送迎をしている。
そんなわけで、とりわけ朝夕はBakfitsが多数往来を行き来するわけだが。
Bakfietsに限らず、大きな自転車やバイクがたくさん街中をハイスピードで走れるのも、一人一人が責任をもって交通ルールを守っているからこそ。
仕組みとして、
主要道路では、車道、自転車道、歩道が分けて整備されている個人として、
自転車ユーザーがルールを守り、マナーを徹底している
これらは、オランダの交通ルールでとても良いなと思ったところ。
日本でいた頃、双子ベビーカー連れで歩行していて何が怖かったかというと、歩道を歩いていても、前方からも後方からも自転車がハイスピードでやってくること!
歩行者がいても避けてくれず、逆に避けろとばかりに突っ込んでこられることもしばしば。。。
自転車は本来歩道を走っちゃダメなんだよ…と、何度心の中で呟いたことか。
オランダは、自転車道が整備されているだけでなく、ユーザー自身も、右側通行・曲がる時は手旗信号を出す等の交通ルールや歩行者(特に身体が不自由な人や子連れ)への配慮というマナーをしっかり守られているのがとても好印象。
一方で、歩道上の障害物を避けようと自転車道にはみ出しながらぼけっと歩いていると、警笛を鳴らしながら自転車がハイスピードで迫ってくるので、うかうかしてはいられないのもこれまた一興。
(ルールを守らなかった私の責任ということね・・・)
ちなみに。
オランダにはトラム(路面電車)も走っているので、歩行者も自転車も、トラムが来ていないか確認して、来ていなければ自由に渡るのが当たり前。
また、横断歩道は、基本的に歩行者が自分でボタンを押さなければ青にならないし、青の時間もすごく短い(双子ベビーカーを押しながらだと初動が遅れるので、たいてい渡りきるのにぎりぎり)。従って、滑り込みで渡ることが難しい。
そんな合理的な交通ルールのもとでは、自転車ユーザーも歩行者も、ハイレベルな状況判断と行動責任が求められるのである。
私見:Responsibilityの世界観
「守るべきことは守る、あとは自己責任のもとご自由にどうぞ」
オランダ生活において全般的に感じるのは、そんな風潮だ。
オランダでは、大麻も合法だし、公的手続きも自ら主体的に動かなければ全然進まない。
だからこそ、個々人が自分のやるべきことをきちんと理解し、自律的に行動することが求められるし、その行動に伴う結果も自ら引き受ける必要がある。
まさに、Responsibilityの世界観である。
一方、日本において「責任」という言葉は、「責任をとって辞職する」等、発生した問題に対して非難したり責め苦を負うような、Blameのニュアンスでネガティブに語られることも多い。「責任」という言葉だけで、及び腰になる傾向もある。
しかし、自らの責任(Responsibility)を果たせるということは、自律的に自らの行動を創造できるということである。
すなわち、「自由」と責任は表裏一体である。
また、実は、「合理性」というものも、一律のルールのもとで整流化したり型に当てはめたりすることではなく、守るべきことは守りつつも、自己責任のもとでの自由な行動によって、真に成立し得るのではないか。
日本でコンサルをしていた時、組織の課題にや人事制度のあり方ついて議論する際、自由と合理性が一緒に語られることはあまりなかった。
むしろ、二律背反のように捉えられがちではないだろうか。
しかし、オランダに来て、この二者はとても関係深いことなのではないかと思う今日この頃。
引き続き考えていきたいテーマである。
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