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やっぱり福袋に詰まってるものを忘れられないってわけ

福袋というものは昔から大好きだ。予期せぬ出会いが詰まっていて、普通に買うよりお手頃で、中身の見えないワクワク感がある。毎年おせちを食べて初詣に行ったらお年玉を握ってパルコに行き、五千円分は絶対ここの、あとはどこのやつにしようかと頭の中でロマンとソロバンをバチバチさせるのがたまらなく好きだった。

しかししばらくの間、福袋と距離を置こうと心に決めた時期があった。年齢で言うと10代後半から26くらいだろうか。
鬱袋、なる言葉が出始めた頃かもしれない。その頃の福袋は言ってしまえば「売れ残りの集まり」で、あまりに派手な色のキャミソールとか、変な柄のニットとか、短すぎるスカートとか、雑貨で言うと妙にデカいぬいぐるみのキーホルダーとか、いや〜…買わないよね…となってしまうものを引き当てる機会がたまたま続いたのだ。どんなに好きなお店でも、自分で選んで買ったとしても、新年早々ちょっぴり残念に思ってしまうあの感じ。

そして、私の消費傾向として新たな出会いやワクワクよりも「確実に似合う」「確実に欲しい」が勝つようになり、福袋にかけるお金でセールに臨む方が好きになったのだ。物を多く買ったり持ったりすることをそんなに望まなくなってきたのもあるのかもしれない。そんなこんなで福袋の概念を若干敬遠気味に思っていた時期もあった。

ところが、である。
最近、中身が見える福袋、とか、選べる福袋、みたいなやつが出始めてからかなりイケて感じるのだ。恐らくもう、鬱袋は懲り懲り!なひと、少なくなかったのかもしれない。もしくは、売れ残り一掃システムだった福袋の概念をよりポジティブにしよう的なお店の皆様の努力も大きいのだろう。おかげさまで再び、福袋に対する喜びを感じることのできたお正月が帰ってきたように思う。あと変わったこととして体感してるのは、年内に売り始めるところが出てきたことである。福袋といえばお正月という感じがしないでもないが、たしかにその概念の中で激戦を勝ち抜くより年内にお正月気分を先取りしつつ福袋で手に入らなかったものや、福袋に入っててよかったものの買い足しに年始のセールを利用するみたいなお財布の動きはあった。うーむ、なるほど。

今年はふたつ、お洋服と紅茶の福袋を購入したのだがどちらも素晴らしくよかった。お洋服の方は、定番人気商品であるニットワンピースは必ず入っていてしかも色を選べる、みたいなやつである。しかもニットワンピ一着分よりお手頃に福袋が手に入るとあり、喜びと共にポチった。すると届いた中身はめちゃくちゃ良くて、何が良かったかというと全体的にベーシックな色味で構成されておりとにかく使いやすいのだ。着回しが効く。

恐らくはニットワンピの色によって中身のカラーバリエーションも変えているのかもしれない。私はグレーや白の服が多いためニットワンピもその手の色を選んだのだが、そういう嗜好の顧客向けにはベーシックカラー、割と派手な色のニットワンピを選んだ方にはポップな色合わせ、とか?みたいな推測をした(実態はわからず…)。
さておき、使いやすくちゃんと普通に可愛いお洋服が入っているとブランドへのイメージも上がるし、正直定価でも買っちゃおうかなみたいな気持ちになる。現行の定番商品を入れて下さっているのでその気になればマジに買い足しができるしなんならしたいから、はっきり言ってかなり有効なプロモと言って差し支えないとすら思った。恐るべし戦略的福袋…良い商品をありがとうございます。

紅茶の方もすごく良くて、こちらはいわゆる定番商品とちょっとオススメのフレーバーティーの詰め合わせ的な感じだった。とにかくいろんな種類が入っててどれも素晴らしく美味しい。これ飲んだことなかったけどとびきり好きだ、なくなったらまた買おう、が6種類のうち3つもあった。元々良い製品をお取り扱いだからこそできるし、そこに自信があるからこそプレゼンのように忍ばせてくださるんだなぁと茶を啜りながら思った。
どちらも良いお買い物をさせていただき、まさに福袋だった。

考えたら、人間の愛しいところ全てを突いてくる。掘り出し物に会いたい気持ちとか、中が見えないワクワク(またの名を射倖心とも)とか、お得を喜ぶ気持ちとか、でもスペシャルな雰囲気が好きな感じとか!福袋に全部詰まってて、私はそういう心の動きを忘れられないのである。

ア〜、効く!
年末年始に楽しみをくださる全てのお店に感謝。今年もたくさん働いて、たくさん買い物するぞ!

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