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責任という言葉をネガティブに使わない

一般的には、会社内では「責任」という言葉はどちらかというとネガティブな意味で使われることが多いのではないか。

「責任を負う」という言葉には、何か問題が起きたら、それはあなたの責任ですよ、あなたがそれを何とかするんですよ、何とかできなかったら、あなたは何かしらでその償いが必要になるんですよ、みたいなニュアンスが含まれてる。「責任を取る」という時は、何かしらの当人にマイナスが生じるような償いを負うという意味になっている。

僕は会社内で、過剰に「責任」という言葉が飛び交うことは良くないと思ってる。また、「責任」という言葉が使われる時、その言葉の意味が、上記のようなネガティブな意味を含んで使われないようにしたいと思ってる。

それは、責任という言葉が飛び交う会社では、新しいことへのチャレンジが阻害されるんじゃないかと思うからだ。もちろん、だから「責任」を感じないで何でもかんでも軽く決定や判断をしていいというものではないけれど、「責任」という言葉ばかりが先立てば、チャレンジした人は損、手をあげた人が損みたいな雰囲気にもなりかねない。なにせ、新しいことやチャレンジは、何かしら問題が起きたり当初の思惑通りにいかないことが「普通」だから。そんな困難さを引き受けるのに、チャレンジ前から「責任」なんて言葉が出てきた日にゃ、なんでそんな役を引き受けないといけないのか、と思う人も少なくないはずだ。責任には報酬が伴うので、そことのバランスだと言う考えもあるだろうけど、こういうネガティブな意味での「責任」を報酬を餌に釣っても、その取り組みへのモチベーションが上がるわけがない。そもそも責任を報酬とかで買う/釣るみたいな考え方は僕は嫌いだ。

僕はたびたび社内でも言うのだけど、うちの会社で「責任」という時、たとえば「責任を取る」ということはどういうことかというと、それは、自身で決断したこと判断したことについて最後まで見届ける、投げ出さない、という意味だよ、と言ってる。

一番ダメなのは、「投げ出すこと」「他人や環境のせい等にして逃げ出すこと」だ。「いやぁ、本当はこんなことしたくなかったんだよ、俺は(私は)...」なんて具合に、他人とか会社とか外部のせいにして、自身は保身に走って逃げる。こういうのが一番ダメだ。何か失敗することや、問題が起きること、うまくいかない、これらがダメなことでもないし、そういうことで当人の信用が失われたり、評価が下がったりということはない。

他人事にしたり、投げ出したりせず、最後までその問題や失敗に向き合い、それを見届ける、きちと最後まで始末する。それだけで、その人は、そもそも評価されるべきだと思うし、周囲からの信頼も高まる。
重要なのは、最後まで自分事化する覚悟を持ってられるかだ。そこが中途半端にならなければ、失敗なんてことは大した問題でもないし、むしろそれは次に繋がる貴重な知識や経験みたいなものだ。

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