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リモートワークで監視が必要? サボる社員への対処について。

コロナ禍により、否応なくリモートワークに移行してる企業の次の課題が、「監視」だという話があります。

働きぶりの「見える化」なんて、それっぽい言葉を使ってますが、要は「監視」です。

このシステムが酷いのはこの機能です。

さらに、このシステムでは、社員が「着席」のボタンを押して仕事をしている間の、パソコンの画面がランダムに撮影され、上司に送信される仕組みもあります。いつ画面が撮影されるか社員には分かりません。

これってまさにパノプティコンじゃないのと。フーコーを持ち出すまでもなく、規制権力というのは、近代国家や社会の一つの特徴みたいなものだけど、結局、現代の企業という組織体においても、相変わらずこういう手法でしか、統治が機能しない(と思ってる)のは、なんとも悲しいわけです。

さらに、こんなシステムを使う企業はよほど馬鹿で、そもそもサービスは成立しないではないかと思っていたところ、こんなツイートが流れてきて驚かされました。

まじかと.. いやいや、極々一部の特殊な企業だけなんじゃないのと思っていたら、また別の方から、こんなツイートも。

どうやら本当にあるみたいです。

さらに、リモートでの授業や講義での学習態度をAIが分析するとか。正直、技術をこういうしょーむないことに使うというのは悲しくなってくるわけです。

リモートワークもそんな楽じゃないはず

そもそもリモートワークは、ストレスフリーかというと、これはこれで、けっこうストレスがたまる仕事だと思うのです。特に、このコロナ禍でリモートワークを余儀なくされてる人達は、リモートワークの準備も大して出来てないでしょうし。

満員電車などの通勤のストレスから解放されるかもしれないけど、家でずっと作業するのは、気分転換も難しいです。仕事環境としては、職場のほうが仕事しやすい、捗る、って人も少なくはないと思います。

その場にいたら、すぐ確認できることが、チャットや電話経由になることで、スムーズに取り掛かれない仕事も増えるでしょう。

子供がいる家、ペットがいる家、他、同居人がいる家などで、リモートワークを前提として間取りや部屋が作られてないご自宅も多いはずです。

慣れない仕事環境で、慣れない方法で仕事に取り掛からなければなりません。これは相当ストレスです。

そんな中で、上記のようなシステム導入されたり、しょーむないルール強制されたりしたら、余計に仕事どころじゃなくなるんじゃないでしょうか。

サボる人にどう対処するかよりも大事なこと

多くの人が同じことを思ってるはずなのですが、そもそも、リモートワークでサボる人は、出勤してようが、外回りの営業してようがサボる、んじゃないかと言うことです。

リモートだと、見えないから余計にサボる、という話もありますが、いや、やもうサボらせとけばいいんじゃないと思います。

リモートワークに限らず、サボる人、ちゃんと働かない人をどうするか問題というのは、色々議論されてますが、監視や罰則で無理矢理サボらせないようにしたところで、パフォーマンスが上がるんでしょうか。

サボる人をサボらせないための仕組みやルールによって、何もしなくてもサボらなかったであろう大半の人が、ストレスを抱えたり、仕事しにくくなったり。どう考えても本末転倒だと思うんです。

成果だけで評価すればいいんじゃないか?

そもそも、プロセスじゃなくて、成果で評価すれば良いだけ。

というのが一番極端で分かりやすいかなと思います。でも、これはこれで乱暴かなとは思います。直接的な成果が見えにくい、分かりにくい仕事も沢山ありますし。

成果が全てになると、直接成果にはつながらないけど、誰かが成果を上げるために必要な色んなことは、誰もやりたがらなくなるんじゃないかな、と思ったりもします。

行き着くのは、成果に繋がるもの以外、全部、アウトソーシングみたいな。めちゃくちゃ効率的な組織に思えるけど、僕は個人的には、そんな組織で働きたくないなぁと思います。

成果に繋がりにくいことも含めて、色んな取り組みや試行錯誤の中から、新しいものが生まれることもあるし、そういうものも含めて仕事が面白いと思えたり、モチベーションが維持できるという人もいるんじゃないかとか。

成果で測ればいいというのが、究極の回答なら、ある時期に多くの企業がこぞって導入した成果型人事評価制度は、もっと幅を利かせて、もっと多くの企業が採り入れ、それが主流になっていたんじゃないかと思います。運用の仕方が悪いとか、徹底できてないとか、色々理由はあるにせよ、成果型人事評価制度で、うまくいってるのはごく一部だと思うんですね。

そのへんのことはこちらのnoteにも書いたので良ければ読んでみてください。

そもそもサボるのもしんどくないかな

リモートの時に限らずですけど、僕はそもそもサボるのもしんどい行為なんじゃないかと思うんです。

一応、人の目も気になるでしょうし、何か突っ込まれた時のアリバイだとか、言い訳みたいなものも用意しないといけないだろうし。

サボるほうが時間長く感じることもあるんじゃないでしょうか。確かに、ゲームしたり、遊びにいったり、自分のしたいことや快楽に身を任せてたら、仕事よりそっちの方が楽しい、時間過ぎるのも早い!ってなるかもしれないですが、でも、そういうのもサボってずっとそっちばかりやってたら、多分、しんどくなりますよね。罪悪感もあるでしょうし。それずっとやって罪悪感もなく、やり続けられる人だと、むしろ、そういう人を雇ってしまった会社の方にも問題があるかもしれないですね。

もちろん、仕事が楽しくて楽しくて仕方ない、みたいな状態を作り出すのは、すごく難しいことだとは思います。仕事ってやっぱり何もしないより大変だし、思うようにならないことも多いし、エネルギーを使うわけです。

楽(らく)=楽しいではない

でも、何が楽しいかというのは、けっこう哲学的な話で、何もしない=楽というのが楽しいということではないことは皆知ってます。遊びだって「楽(らく)」ではないと思います。

僕は、ゴルフが好きで、ゴルフしてると楽しいわけですが、でも「楽」ではありません。肉体的には腰も痛くなるし、色んな場面でプレッシャーかけられるし、スコア悪ければ精神的にも辛いし、ゴルフ時間の90%以上は、多分何かしらの苦しさと向き合ってるなと感じます。時々、なんで遊びで、こんなに神経すり減らしてるんだろうと、疑問に思うことさえあります。

それでも楽しいのは、今までできなかったことが少しづつ出来るようになったり、自分がイメージする球がたまーに打てたり、組み立てた戦略どおりの攻めで結果が得られたり、そういう小さな成功体験や、その成功に向けて進んでる実感みたいなものがあるからです。

そして、何より苦しさも含めて、すべて自分が選んで、自分が好きでやってるという自己決定や選択があるからだと思ってます。誰かに強制され、誰かに監視されてやらされてるわけではなく、自ら選んでるわけで、これが大きい要素かなと思います。

仕事にも同じようなことは言えないかなと思うのです。

仕事してる時間の大半は大変だけど、目標とか、「こうありたい」みたいな姿に向かって試行錯誤してる、それを自分の意思や選択でやってるんだという自己決定感がある。そうすると、サボるより、真剣に仕事したほうが面白いと思えるんじゃないかなと。

なかなか思い通りにいかないこと、失敗やトラブル、そういうものがありながら、少しづつ理想に向かっている実感。そういうものが、仕事の楽しさなんじゃないかと思うわけです。

なので、僕としては、監視とか罰則とかで強制的に働かせる、サボらせないようにするのではなく、サボるより、仕事してる方が面白いって、思えるような環境や文化を作っていく、提供していく、という方に力を注ぎたいなと思ってます。

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