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本棚の整理をしたら昔の自分を見た

久々に紙の辞書を使う機会が増えて、作業机近くの本棚を軽く整理した。半年以上前に断捨離をした以来だからそんなに時間経ってないはずだけど、あれ、ここにあったんか、、という本がちらほらあった。

つい先日ツイッターで引用文を見かけた文月悠光さんの本もあった。「わたしたちの猫」という詩集。
当時本屋で働いていたので色々な本を読み齧っていたなかでこの人のエッセイを読んで知った。同世代ということもあってか「分かる〜」の連続だったので、じゃあ作品も読んでみようとちょうどすぐ発売予定だったこの詩集を入荷と同時に確保した。
でもなんでかこれはぴんとこなくて、途中までなんとか読んだけど諦めて本棚にしまったまま、今にいたる。

恋愛にまつわる詩集をまとめている「わたしたちの猫」を、私は何も考えずに選んだ。そして当時私は自分がアロマンティックであることをよく分かっていなかった。いや、心の底では知っていたけど認めていなかったし、言葉の存在も他にもこういう人たちがいることも知らなかった。
だから読めないのは当然で、まったくおろかな、、とウン年たった今は思う。
ただ、根っからの負けん気が功を奏してか、誰かに譲ることも捨てることもせずずっと本棚にしまっていた。わからないのが悔しかったんだと思うし、わからなければいかんという小さくて妙な焦りもあったんじゃないかと思う。

アロマンティックであるのは変わらないので今読んでも作者がおそらく狙っているだろうシチュでの共感は難しいかもしれないけど、この数年で私は知恵を得たのだ。想像力も増して、他のものに「あてる」ことを覚えた。全く大した話ではないが、要は他にきゅんとしたシチュにあてはめる、いわゆる推しや擬人で想像するだけ。結構よい。いや多分これ普通にみんなやってることだけど私は知らなかったしできなかった。想像力云々というよりおそらく自分と他人への興味が当時は極、端、に、薄かった。し、それをカバーする知恵も演技力もなかった。

この詩集の発売はなんと2016年だそうで、もうあれから8年経っている。今はなきあの職場が懐かしい。今までで一番好きな仕事だったと思う。(給料だけ不満。。どうにか書籍関連の人たちが、あの人たちこそが限界まで表現を気兼ねなく追求できる文化的な生活が叶うよう底上げをたのむ。)

8年経った今こうして久しぶりに手に取ってどんなふうに消化できるか、今までにない楽しみができた。少しずつ大切に読もう。

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