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洞窟 : short story



裕也は、玄関前で待っていて、俺の車を見つけると車の前に駆け出して来た。

「轢かれるから玄関に戻って。」

裕也は自分で安全確保するのがちょっと危うい。

車を車止めに停めて、玄関先に移動した裕也と、ハイタッチ、ロウタッチ、グータッチした。

僅かだけどビリビリとした感じ。

「裕也くんこんにちは。」

「うふふ。」

裕也が玄関を開け、リビングまで入って行く。

リビングにいた母親と、兄の蓮くんにも
挨拶する。
それには答えず、
「裕也、先生来たんだからちゃんとしろ!」
と、蓮はいきなり裕也に掴み掛かりキッチン手前の壁にパンチしながら裕也を追い込むと、そのまま殴り続けた。

今日は一体なんなんだ…。
と、慌てながらバックを置くと二人を抑えにかかった。

裕也は小学1年だが、知能は3歳くらいで、何かしらに拘りを持つ。拘りはその時その時で違う。
兄は小学3年生で普通の小学校に通っていた。

瞬間の出来事だったが、裕也の頬は赤く腫れ、殴られ続けたTシャツから覗く胸も赤くはれ出していた。

「殴ったらダメだ。人を殴っては行けない。」
間に割り込もうとする俺を阻止しながら蓮は裕也を力一杯掴み離れない。
「裕也が言うこと聞かないから悪いんだ。」
「裕也は何もしてないだろう。」
「裕也が悪いんだ。」
奇声を上げるように返事しながら裕也を殴り続け、目はいってしまっている。

小学3年生だから、力で引き離すのは簡単だ。
でも、それが出来なかったのは、いつもスマホを見て無関心の母親が凝視していたからだ。

蓮に殴るのはよくないと、引き剥がすと、母親がそれ以上に裕也を責め始めるからだ。
蓮と裕也がお互いに殴り合っていると言う程で対処しないと、母親とのバランスが取れない。

「蓮くん、蓮くんが見たいと言っていた本を持って来てるんだ。本を見よう。」
これでは、殴るのが良くないとは伝わらない。伝えても今はまだ伝わらない。とにかく今は、殴るのを止めさせたい。
それでも、蓮に言葉は全く入らず、俺はふっと理解した。

「裕也、テーブルにつこう。」

裕也がテーブルにつかないから悪い…そう言う事にすれば、蓮は納得する。

ようやく蓮は納得して裕也から手を離した。

そう言う事か…。

裕也をテーブルに付かせると、
「今日はクレヨンで絵を描いてみよう。」
と、画用紙とクレヨンを並べた。
裕也は落ち込んだ様子もなく、俺と目が合うと微笑んだ。
普通の子として生きる蓮。知的障害として生きる裕也。…どちらも同じ人間としか、俺には思えない。違いを作っているのは周りの大人たちでしかない。その違いを作る基準は、大人の都合通りに生きられるか、生きられないか…。

「せんせ、先生は、何色がいい?」

「ピンクかな。」

「じゃあ、ピンクで描くね。」

そう言うと、紙の角からピンクに画用紙を塗り始めた。隙間なくピンクに染めて行く。

「裕也! 絵を描くんだよ!」

と、蓮が裕也の向かいの椅子に座った。

「ん? 何を描いてもいいんだよ。」

静かなトーンでそう言うと蓮は、黙った。
でも、次の瞬間、クレヨンが画用紙からはみ出しテーブルに線が引かれると、蓮は裕也にパンチを繰り出そうとした。
そのパンチを手の平で受け止め、

「後で拭けばいいじゃないか。」

と、蓮を止めた。

「今日は荒れてるね。昼間何かあったのかな?」

そう言った途端、

「あったよね。裕也が悪いの。」

と、いつも話などしない母親が、強い口調で返事をした。

『代償行為』

と言う言葉が、俺の頭に浮かんだ。
蓮の暴力は母親の代償行為なのかもしれない。
蓮にいくら説明をしようと、治ることはないだろう。


家の中には、家族によって作られた強力な電気を発生させるコイルがある。
暗い洞窟の中で、コイルから作られた電気がチラチラと火花を散らしている。

今日はコイルの放電の日なんだろう。

銅線を何月と共にグルグル巻きにし、大きく育ったコイル。
俺は、裕也に関わり2ヶ月目だが、俺以前に沢山の大人が関わっている。今でも色んな社会支援が関わっている。でも、この現状なのは、このコイルに触れて火傷したくないのと、面倒臭さだ。
誰だって痛いのは嫌だろう。

俺は以前、こう言うコイルを素手で何度か取り除いていた。

それが正し事だと思っていた。

正しいかもしれない。
だけどその度、大火傷し、周囲からの援護もなく、人間不信に陥ることもあった。
「人間は自分の事だけなんだ。」
なんて、天に唾を吐いたりもした。
だけど、俺のスゴイところは、再生能力と無毒化遺伝子を持っている事だ。
そのお陰で毎回、再生復活している。
バカだけど、復活出来るって神様がくれた能力だろう。

無理やり取り除いたコイルは再び作られ、俺は非難されるだけで、何も正しくなんかなかった。

家族で作られたコイルは、家族で取り除かなければ意味などないのだ。
…そう気付くのに何年かかったか。
そう思うと笑えてしまう。
そう気付けたのは、再生能力と無毒化遺伝子をくれた神様のおかげだ。

代償行為をさせていると母親は自分で気付き、兄は代償行為をしていると自分で気付き、母を許し、弟に許しを請わなければ何も変わることはない。
それを俺がどんな風に説明しようと理解はされない。
俺がする事は、彼らに楔を打つ事なのだ。
自分でコイルを分解出来るように。

人は自分が見たいものを見ると言われるけれど、見えるべきものは、見る覚悟を持たなければ見る事は出来ない。
見ることが出来る時期が来なければ、見る事は出来ない。


裕也は隅から隅までピンクで埋めようと、必死でクレヨンを塗って行く。


また、テーブルにクレヨンがはみ出すと、

「またテーブルに描いてる!
お前なんか生まれて来なければ良かったんだ。
いっつもトラブルメーカー。
どっか行っちゃえばいいんだ。
早く消えちゃえばいいんだ。」

と、蓮が奇声をあげた。
それはとても苦しい奇声に聞こえる。
この奇声の本当の意味を、俺はまだ知らない。
「蓮、苦しいんだな」…と、心の中でつぶやいた。

奇声の後、裕也がクレヨンを擦る音だけが響いた。

「どこで、そんな言葉、覚えたの?」

「YouTube。」
と、明るい声で裕也が答える。

何故か分からないけど、
「嘘だ」と言う声が頭の中でした。

そこは深い深い洞窟なのだ。
暗くて見えない物が多すぎる。
「嘘だ」と言う声の検証はできない。
普通、人は、そんな面倒な洞窟を覗こうとはしないだろう。
それで、普通だ。


裕也が、画用紙一面をピンクに染めると時間になった。

「時間になったから、今日はおしまい。」

「明日も来る?」

「明日は来ないよ。来週だ。」

「また来てね。」

「また来るよ。」
と、俺は笑う。

「来週は、お散歩がしたい。」

「分かった。じゃあ、来週はお散歩だね。」


荷物をバックにしまい、キッチンを見ると母親はいなかった。

母親がいないのを確認して、
「裕也。
喧嘩しちゃダメだよ。」
と、頭をくしゃくしゃに撫でた。
本当は
「裕也。お前はいい子だよ。」
と、言いたかったのだが、蓮が見ていた。
そう言ってしまえば、裕也に嫉妬する。
本当は、蓮も
「蓮はいい子だよ。」
と、撫でられたいのだ。
でも、裕也の赤くなった頬を見ていると、蓮にはどうしても言えなかった。
愛情が欲しいのは、蓮も裕也も同じなのだが。
そうは考えても、もし蓮を撫でたとしたら、俺は俺に嘘をつく事になる。
そんなものには、何の意味もない。

二人の、
「また来てね。」
と言う声に送られながら、玄関のドアを閉めた。
こんな時は仲良しじゃないか…。




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