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《考察》 才能(センス)と努力 9/12

僕が他人からセンスがあると言われたのは2回ある。
それは兄に付いていって行っていた、硬式テニス。
この時は素直にコーチに「イイね!」と言われたらしい(母親談)

もう一つは大学時の合唱サークル時のこと

「ゆうご、喉ちんこあげるのセンスあるね!!!」

もう二度と言われないであろうこの言葉。
綺麗で合唱も上手かった女性の先輩に言われたという事実も嬉しかったが、
センスあると言われたことが何より嬉しかったのだろう。それかワードがワードだけによるものかはわからない。笑

話は長くなったが、センスがなかったからこそ、
僕は才能(センス)というものを考えてきた。
これもある程度答えは出ていて、才能(センス)というものは実質無いに等しいということだ。

「いやいや、負け惜しみ言っているんじゃないよ!」
「その分その人たちが努力してる!みたいなありきたりなこと言うんでしょ!」と思ったそこのあなた!!!!
半分正解で半分不正解です!(私の考えの中では)

僕が現状たどり着いた結論は・・・
【触れている時間の差】ここに尽きると思います!

合唱が上手かった彼らだって、何かしらの音楽経験がある人だったし、
素人だとしてもカラオケにめちゃくちゃ行っていたり、純粋に音楽を聴いている回数が多かったりなど・・・
漫画みたいに何にもしたことなかったけど、初めてみたら凄い才能が・・!
なんてものは意外とみたことはない。
みんな何かしらの経験があっての今がある。

僕も他の人よりはある程度のレベルでスポーツができる。
もちろん変に誤解されたくないので伝えるが、あくまでも全体の平均値の中での少しできるぐらいなので、部活レベルでは太刀打ちできない。
でも、できるようになったキッカケというのは、駅伝の練習で体力がついたからだ。
どんな競技も基本走るし、体力は使う。
下手でも走れれば戦力になるスポーツは多いので、僕は他の人よりもある程度はスポーツができるようになったと思う。

だから多分ですが、合唱上手い人とお互い何も知らないスポーツ勝負をした時には勝てる!と思います笑

だから現時点で負けている時は変に落ち込まず、
「触れている時間=努力している時間」が足りていないんだと思うことにしている。
あとは触れるだけなので、そのことだけに注力することを考えなくきゃな!

改めてこのタイミングでも振り返れてよかったかも。
最近ダラダラしているので。努力と思わず、触れる時間を増やすことから頑張ります!





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