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生徒を数字で見ていたあの人はいま

偏差値が全て

その人は、生徒を頭に思い浮かべる時、基本的に数字でした。と言っても身長とか体重ではありません。偏差値です。常に自分のクラスと、同じ学年の偏差値を把握し、次の模試の過去問の出来から逆算して模擬試験の自己採点の結果から平均点と標準偏差を当てることが得意でした。それに、楽しんでいたようでした。

面談は、ほぼほぼ偏差値の話です。次の模試で数値を上げるには何時間何をすればいいか答えさせました。模試は年がら年中あります。だから、朝礼ではほとんどの日に「次の模試は大事だから」という話をしていました。なんて変わりばえのないことでしょう。もっと他にすることがあったはずです。

でも、成績を上げることが教師の役目だから。当然教師が声を荒げて、宿題をしない生徒を脅せば嫌われます。先輩からは「情が湧くのはいけないことだ。嫌われてナンボやで。」と常々言われていたので、学校ってそんなものかなと思っていました。見せしめのように叱ることにもなれました。生徒の成績は上位層だけ張り出しました。

美しい日本式ヒエラルキー

恐怖政治の裏側で、「リーダー・パートナー制度」を敷きました。これは、ある中学校の先生の実践を真似たものです。
1)生徒にリーダーにふさわしい人アンケートをとる
2)クラスの半分をリーダー認定
3)パートナーに誰とペアになりたいか尋ねるアンケートをとる
4)リーダーを呼び出し、どのパートナーと一緒になるか伝えてし、恭しく委嘱状を渡す
5)隣同士にして座らせる

他己採点などをさせるととてつもなく楽です。そしてリーダーはなんとなく常にパートナーに目を配っていますし、パートナーも自分が選んだ相手なので大きなトラブルも起きにくいのです。かくして、教室内に美しいヒエラルキーができました。冷徹に見えますか?でも、日本でいい学級、いうことをよく聞く学級というのはえてしてこういうパターンが多い印象です。

生徒が1割減った

クラスでは、特に大きなトラブルもなく、生徒はその先生によく従いました。特に学級委員はくるくると生徒と先生のために働きました。毎週の単語テストでは、できない人は「右手破壊プリント」(生徒がつけた愛称です)を書いて出して帰りました。なぜなら、その先生は小さな子供がいて定時に帰っていたからです。この提出物が曲者で、提出すれば5ポイント、しなければマイナス100ポイントという制度でした。そうして33人いた生徒のうち1人が留年、1人が他のコースへ変更、1人が転学していきました。

その先生は保護者や生徒をうまく洗脳していましたから、揉め事になることもなく、すんなりとクラスから生徒がいなくなりました。その後もそのうち二人とはやりとりがあり、一方は今でもSNSで繋がっているそうです。

最高のクラスの裏側で

そのクラスの授業も、高度にシステム化されていました。1年生から3年生まで、将来国公立クラスに合格させるためにきっちりと計算して進めていたのです。平均で言うと偏差値は下がることなく大学入試まで持ち堪えました。右を向けと言えば右を向くような「良い」クラスです。他の先生たちにもたくさん褒めてもらいました。

その裏側で、その先生は実は悪夢に悩まされていました。学級崩壊の夢をしばしば見るのです。順風満帆の学級経営なのに、何が不満だと言うのでしょうか。うなされて目を覚まし、学校へ行くと生徒はいつも通り言うことを聞いてくれました。少なくとも、その先生の目の前では。

この先生は今

これはわたしの14年前の姿です。何もかもをシステム化し、恐怖政治を敷いていた頃です。言い訳をすれば、当時産後すぐ戻ったけれど時短はなし、部活の顧問、営業、全て他の先生と同じ。もう断捨離しまくってギリギリ両立していたのです。そして持たされたクラスは学校の偏差値トップのいわば看板クラス。授業は3クラス全て。でも、誰にも負けたくなくて必死でした。悪夢を見ていたのは多分、成績を落とすことの恐怖と、自分の本来の姿と違うことをやっていたことの板挟み感です。

生徒とあまり人間らしい関係を築くことができなかったような気もしますが、文化祭も他のクラスと比べて頑張っていましたしなんの遜色もありませんでした。ただ、今これをやるかと言うと絶対にやりません。

そのクラスは今までになく「実績」を上げました。国公立大学にたくさん合格者を出したと言う意味です。それで、一目おかれるようになったのでもう二度と同じやり方はしないようにしようと思いました。

その後、恐怖政治でなくても生徒は言うことを聞くことがわかったし、対話を重視し、アウトプットを多くとった授業や、洋書の多読、ICTの活用、プロジェクトベースなどを通して結果的に偏差値が下がらないことがわかったのです。授業の腕をあげればいいだけの話だったのです。

さいごに

当時のわたしを苦にしているかと言えば、そう言うことはありません。その時はそれが自分の技術の精一杯だったからです。ただの通過点です。Teal組織ので言う、オレンジとアンバーの間くらいでしょうか。

この記事にもあるように、アンバーは軍隊や学校にまだ残っている古い組織形態です。ここでのやり方は今や通用しないと思った方がよさそうです。会社でも怒鳴る上司は過去の遺物ですしね。この時代によかったことは、自分の文法授業を体系化できたこと。生徒は苦しんだけど、結果的に無駄なく学べた側面はあったかもしれません。

さっき、組織形態グリーンのあたりにシフトした頃の自分のブログを見つけました。7年前か。変われてよかったな。笑

日々学び続け、あの時代の自分に「未来の自分はもううなされてないよ」と伝えてあげたい。自分の核心を隠して表面だけ取り繕ってもダメなんだな。ベストのベストを退職までの後10年、考え続けていきたいものです。



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