見出し画像

長編小説『because』 67

「よくそんな昔の事を憶えてるな」
「記憶力だけはいいんだな、昔から」
「そういえばそうだったよな。昔から記憶力だけはよかった」
「そうそう。記憶力だけな」

二人の会話は心地よく流れた。既にお互いが言う言葉を、それよりも先に知っているかのように、変に考えたり、間が空いたりする事がない。でもそれはある意味隙がなく、その二人の隣にいる私は酷い孤独感さえ感じてしまうくらいだった。それでも、居心地がいいこの場所を離れる事ができないのも事実だったりする。

 ずっと前に夜の海に行った事があって、真っ黒な海は静かに波音をたて、私の心を随分と落ち着かせてくれた気がする。いつまでもここで、こうやって波音を聴いていられたらいい、ずっとこの場所にいられたらいい、その時確かにそう思ったのだけれど、それと同時に、夜の海は私の事なんて全然相手にしていないという事を感じ取った。

 海は別に私のために波音をたてている訳ではなく、ただ自分達のために、自分達のする事をしていただけなのだ。誰のためでもなく、自分自身のために。誰かが幸せになろうが、不幸になろうが、笑おうが、泣こうがそんな事は関係のない事だとでもいうように、海はただひたすらに、静かに波音をたて続けていた。今、この二人の会話を聞いている私は、どうしたってあの時の静かな海のささやきを思い出してしまうのだ。とても優しい音なのに、どうしてこうも胸に突き刺さるように痛むのだろうか。

***アマゾンkIndle unlimitedなら読み放題!***
読み放題はこちらのページ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?