少なくとも

『短編小説』第10回 少なくとも俺はそのとき /全17回

「そうか、お前が父親か……」
と頭の中に浮かんだフレーズをそのまま口に出して言うと、
「なんだよ。悔しいってか」
と彼は言った。
「別に悔しいって訳じゃないけどさ、なんかな、もやもやすんだよ、この辺が」
そう言いながら胸のあたりで右手をぐるぐると回す。
「俺だってな、努力したよ。そう簡単に出来るもんじゃなかったな、結婚は。ましてや子供まで」
彼がどんな努力をしたのか、もちろん俺には知る由もなかったが、別に知りたいとも思わなかった。その努力を知ったとしたら、俺はその差に悲しくなり、そして自分の尊厳をより失ってしまいそうだったから。
「俺今風俗で働いてるだろ?」
「ああ」
「だからな、毎日見るんだ。女の裸」
「天国じゃんか」
「まあまじまじと見る訳じゃない。店内は暗いしな、ぼんやりと見えるだけだけど」
「だからいいじゃんか」
「でもな、ずっと見てると嫌気がさすんだよ。……気付いたら、俺は女に興奮しなくなってた」
「は?」
「興奮しないんだよ。女の体に」
「いや、実際するだろ?もっと近くで見たり、触ったり、……それかタイプの女であれば」
「そう簡単なものじゃない。俺だって試したさ。……まあ相手は風俗嬢だけど。ただどうしても昔感じてたみたいな性的興奮を感じなくなっちまった。……悲しいよな。俺はもう生身の女に興奮出来ないんだから」
そう言うと、彼は黙って何かを考えているような素振りを見せた。
「なんだよ?」
と、その間に耐えかねて聞くと「いや、別になんでも」と答えるだけだった。言おうか言うまいか迷ったが、なぜか俺は彼にそれを言っていたのだった。
「アニメだけだ、俺を興奮させるのは」

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