少なくとも

『短編小説』第14回 少なくとも俺はそのとき /全17回

 既に夜は更けている。飲み屋街に入っても、いくつかの店は既に閉まっていたし、人もまばらだ。既に出来上がった人間が路上に横たわり、甲高い声を上げ次の居どころを探す輩もいた。いつも若い女の子と仕事をしているが、こうして若い女の子と街中を歩くのは随分と久し振りだったせいか、どこに視線をやったらいいのかよく分からない。いやそれだけじゃない、こうして飲み屋のひしめく夜の街を歩くの自体が久し振りだった。こんな時間の、こんな日に、それでもどこを見たって人がいるこの状況はやはり日本の中心であるこの場所特有だと思える。
「どこでもいいですか?」
彼女は俺の顔を一度見てから、そう聞いた。
「え?ああ、はい。どこでも」
そう言いながら彼女が入った店は、赤提灯を下げた寂れている飲み屋だった。こういう店は割と早くに閉まってしまうんじゃないかと思っていたが、どうやらこの店は頑張っているようだ。
「こんばんは、おじさん」
入ってすぐに彼女は店主にそう告げ、店主も「ああ、華湖(かこ)ちゃん」と優しげな口調で言った。
 こんな時間だってのに、狭い店内はそれなりに賑わっていた。カウンターに五席に、奥に四人掛けのテーブル席が二組。空いていたのは入り口側手前のカウンター二席だけだった。
「ごめん。どこでもいい?」
店主は彼女にそう言うと、「大丈夫。どこでもいいから」と言って彼女はカウンターの椅子に腰を下ろした。促されて俺もようやく腰を下ろす。角張った木製の椅子に、薄めの座布団が座面に敷いてある。それでもほんのりと尻に硬さを感じる。……そうそう、俺はこういう店が好きだったな、なんて今更ながらに思い出す。会社員の頃は、付き合いでたくさんの店に行ったが、どこも気取っていて、それでいて特色のないようなつまらない店ばかりだった。大っぴらじゃない、洒落てもいない、こじんまりと飲みたいじゃないか酒くらいは。
「どうしますか?……って言ってもそんなにメニューないんだけどね」
壁に貼り付けてあるメニューを見た。
「おじさん、板わさってまだあるの?」
「ごめん、終わっちゃった」
「じゃあ、メザシは?」
「それも終わっちゃった」
「モツ煮なんてないよね」
「ああ~……、ないねぇ」
「じゃあ何があるの?」
「えっと……、タコわさと、厚揚げくらいかな」
「じゃあそれちょうだい。あとビール。……佐伯さんは?」
「あ、じゃあ同じので」
「おじさん今の二セットで」
手慣れた様子で彼女は注文を済ませ、手慣れた手つきで手拭き用のタオルを厨房から取ってきて、俺に渡した。

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