少なくとも

『短編小説』第9回 少なくとも俺はそのとき /全17回

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 こんな話を元同僚であるやつにするつもりはない。それでもやつは俺にやたらと聞いてきた。きっとやつが聞きたいのはその彼女とどうして別れたのかではなく、俺が会社を辞めたことと何か関係があるんじゃないかと思っているからなのだろう。やつは、俺が何の相談もなしに会社を辞めたことを相当根に持っているように見えた。もちろん相談する義務なんてなかったが、同僚として、それなりに仲は良かったんじゃないかと思う。……というより、やはりやつも、俺以外に友達がいなかったのかもしれない。
「……で?何で別れたんだよ?」
「だからさ、それは俺も知らないんだって。急に別れてくれって言われたんだから」
「それで素直に納得して別れたってのか?」
「うん、……そう」
彼はふーっと大きな溜息を吐いてから、俺を見た。俺を見ながらも、何も話さないでただ見ているだけだった。
「まあ別にどうだっていい。どうせ昔の話なんだから。……それで今は?」
今?そりゃもちろん彼女なんていない。好きな人だっていない。何より女の体に興味を持てなくなってしまったのだ。こんな俺にどう女を好きになれというのだろう。
「しつこいな。いないよ。その気配だってない」
「全くか?」
「ないね」
やつは大して驚きもしないまま「ああ、そう」と言った。続けて、
「ああ、そうそう。俺な、今度子供産まれんだよ」
「は?」
思わず大きな声が出てしまう。そしてそれと同時に、結婚していたことくらい言えよ、と彼と同じようなことを思ってしまう。
「え?ってか、結婚してたの?」
「まあ、な。ちょうど一年くらいになるか?ほら?」
そう言いながら彼は左手の甲を俺に向ける。薬指には程よく光を反射した指輪が光っていた。
「知らなかったよ」
「ああ、言ってなかったからな。……大体、そっちがそのタイミングを与えなかったんだろ」
まあ確かにそうだ。俺が彼を避けてなければ、きっとどこかのタイミングで俺はその話を聞いていたのかもしれない。……そうか、こいつも父親になる年齢なのか、それは俺だって変わらない。人それぞれあるし、今は結婚しない人だって増えてる訳で、さほど気になりはしないのだけど、……それでも、なんだか自分が取り残されてしまったような気持ちに苛まれる。

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