落としたのはある風景の中で

『短編連載』そのソファ 第1回/全10回

 だから僕は「いらない」って言ったんだ。それなのにカナはどうしてもそれを欲しがった。
 焦げ茶色をした革張りのソファ。十万円と言う大金を二人で分け合ってようやく買うことができたソファだ。
 これを最初に欲しいと言い出したのはカナで、今となってはあの日なんで僕はカナとあのお店に行ってしまったのか、と後悔するくらいなのだけれど、まあ、でもいい。あの店に行く前に偶然入った洋食屋のハヤシライスは実に美味しかった。
 ……いや、そんなことじゃないんだ。

 まず物事を整理したい。僕たちはあの日ダイニングテーブルを買いに行ったはずだ。それは同棲を始めて一週間が経った頃にようやくうちにダイニングテーブルがないことに気付いたからであって、別にずっと前から計画していた訳じゃない。とにかく、僕たちはあの日ダイニングテーブルを買いにあまり値の張らない家具屋に行こうとしていたのだ。
 それで日曜日。僕たちは揃って家を出て、そこで僕は起きてからまだ何も口にしていないことに気付いた。
「何か食べていこうか?」
そう言ったのは僕だ。これは間違いなく僕であって、もしそのまま家具屋に直行していたなら、僕たちはあのソファを買わずに済んだのかもしれない。
 ……まあ後悔してもしょうがないのだ。今目の前で革張りのソファが部屋を陣取っていることは紛れもない事実。
「じゃあ、あそこの家具屋に行こうか?」
お互いにこの街に越してきたばかりで、全く土地勘がなかった。たまたま目に入ったその古びた洋食屋の古びた扉を開けて僕たちは昼食を食べることにした。


※短編集『落としたのはある風景の中で』より
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