プロフィール~これまでの歩み~
皆さん、初めまして。
スポーツトレーナーをしている【竹田祐平】です。
自身の生い立ちや、これまでの歩みを細かく語ることはあまりなかったので、noteでひととなりをまとめてみました。
経歴はもちろんのこと、竹田祐平という人間がどんな人物なのかが少しでも伝わると嬉しいです。
宜しくお願い致します。
〈幼少期~高校時代〉(野球少年からトレーナーへ)
・小学4年生から野球を始める
・報徳学園での高校野球を最後に競技人生を終える
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幼少期から、体操/サッカー/水泳など様々なスポーツを行っていたが、小学3年生頃から周りの友達が野球を始め放課後に遊ぶ相手が減ったことで、小学4年生から野球を始め、その後は野球に没頭し、野球少年として過ごしました。
高校進学の際は県内外の有名校から多数の推薦はあったが、唯一推薦はないものの、選抜高校野球大会で優勝し小学校からの憧れの先輩がいた、報徳学園に進学することになりました。
親元を離れ下宿生活をしながら必死にやったものの、高校時代は鳴かず飛ばずの成績で、これ以上のカテゴリーでは第一線で勝負出来ないと思い、プレーヤーとしての競技人生を終える決断をするも、野球やプロ野球への憧れは強く、スポーツに関われる仕事を模索していました。
そんな中、スポーツトレーナーへの興味が深いことに気づきました。
思えば高校時代は、野球技術では伸び悩みや上手くいかないことも多かったが、トレーニングはやればやるだけその分の効果が実感できるということが心の拠り所となり、それをきっかけに当時のトレーナーさんにも興味を抱き、積極的にコミュニケーションをとっていました。
そして、プロ野球のトレーナーになる為にスポーツトレーナーの道を志すことを決断しました。元プロ野球トレーナーの方に話を聞きに行ったとき、プロ野球のトレーナーは鍼治療が出来る人が多いとアドバイスを受け、鍼灸師の資格を取得できる大学への進学を決めました。
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〈関西医療大学〉2006年~2010年
・関西医療大学
・初めてのトレーナー活動開始
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プロ野球のトレーナーになる為に、関西鍼灸大学(現:関西医療大学)に入学し、バラ色の学生生活かと思いきや、朝から晩まで勉強の日々に愕然としました。
そんな時、母校の報徳学園高校硬式野球部のサポートをするチャンスを頂き、トレーナー活動を開始しました。これが、トレーナーとしての現場経験の始まりとなります。
当時監督だった永田裕治氏(現:日大三島高校監督)やコーチの大角健二氏(現:報徳学園高校監督)からは、来てもらうからにはOBとしてではなく、プロのトレーナーとして母校に携わって欲しいので、報酬を出すと言って頂きました。
資格もない専門分野を学ぶ学生トレーナーに報酬を払い、チームの成長の一端を託して頂けた事は、本当に感謝しかありません。
期待に応えようと、がむしゃらに過ごした学生時代の3年間の貴重な経験が今の私を支えているのは言うまでもありません。
在学中は卒業後に一刻も早くプロ野球のトレーナーになりたい一心で、自身で名刺を作成し、様々な現場に足を運び、現場経験のチャンスを探す日々を送り、数多くの現場経験を積みました。この現場経験で得たことは、現場では教科書や参考書で学ぶ最新の知識や技術ではなく、簡単なストレッチや体操などが必要とされていることなど、こういったリアルな現場の需要を肌で感じることが出来たことはとても貴重な気づきになりました。
また、在学2年次からはプロ野球選手を多くみている相澤慎太先生(関西医療大学)が赴任され、多くの時間を共にさせてもらいながら、現場のいろはを教わりました。その内容は、教科書には決して載っていない、プロアスリートとのコミュニケーション方法や、人としてどうあるべきかなど多くの超実践編の技術を教えて頂きました。
また、内田靖之先生(関西医療大学)や山口由美子先生(関西医療大学)には、トレーナーサークルの立ち上げにもご尽力いただき、研究や論文の読み漁りや現場での経験を惜しげもなく教えて頂きました。
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〈アメリカインターン〉2010年
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大学4年次にはアメリカ留学への未練もあり、なかなか就職活動が出来ずにいました。
そんな中、元MLBトレーナーの牛島詳力先生(当時:関西医療大学)から、1か月間のインターンを経験するチャンスを頂き、卒業後に即渡米しました。
小柳正信氏(当時:カンザスシティロイヤルズ)に同行し、寝食を共にし、1か月間のインターンを経験させて頂きました。
参加したのはルーキーリーグと言って、メジャーリーグではなくマイナーリーグの一番下のリーグに所属する「Idaho Falls Chukars(カンザスシティロイヤルズ傘下)」というチームでした。
まだまだ若手の選手たちでしたが、チューブやダンベルを使った肩肘のトレーニングを当たり前のようにやる光景には驚きました。また、上手くなってメジャーリーガーになりたいというハングリーさは今でも鮮明に覚えています。
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〈報徳学園硬式野球部〉2010年〜
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大学を卒業してもなお、報徳学園のトレーナーを継続していました。
チームトレーナーとしては、限られた時間の中で100人を超す部員を偏りなくみることも大切な仕事でした。しかし、ケガに苦しむ選手や志の高い選手へ時間をかけることが出来ないジレンマもあり、もっと近くで日常から選手をサポートしたいと思い、報徳学園近くの鍼灸接骨院に就職しました。
院長も母校のOBであることからチームサポートへの理解もあり、土曜の午後や平日の夜には高校に行って指導したり、閉店後の院を借りて術後の選手のリハビリなどより近い距離感で選手をサポートできたことは良かったです。
この頃から、〝一対複数をみるチームトレーナー〟と〝一対一で対応するパーソナルトレーナーや治療院にいる治療家〟との違いについて考えるようになりました。
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〈タチリュウジム〉2011年~2016年
・タチリュウコンディショニングジム/鍼灸整骨院
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鍼灸接骨院での治療だけでなく、より現場に軸足を置くために、トレーニングやコンディショニングの知識や技術を深めたいと思い「タチリュウコンディショニングジム」へ入社しました。
タチリュウコンディショニングジムは、S&Cコーチのパイオニアである立花龍司氏がオーナーを務めるジムで、コンディショニングジムと鍼灸整骨院を併設した新たなスタイルで、地域に根付いたコンディショニングセンターを目指して動き始めたばかりでした。
当初は、間借りされた3Kの部屋に男3人で暮らし、早朝は駅でティッシュを配り、昼間は白衣で鍼治療、夜はチラシのポスティングを行い、朝から晩までがむしゃらに動き回っていました。
その後、大阪で新店舗の立ち上げに関わるチャンスが巡ってきました。
住む家も決めず、最初は施設に寝泊まりし、ここでも朝は駅に立ちティッシュを配り、昼間は白衣に着替え鍼治療、その合間ではジャージに着替えてトレーニング指導、夜中にはチラシのポスティングを行う超濃密な日々をがむしゃらに送っていました。
夜中に数時間かけて行うポスティングで来院される割合は1%ほどでした。この経験から患者さんやクライアントに対する考えや気持ちの持ち方は更に大きくなりました。
タチリュウジム在籍の数年で現場でのトレーナー経験を含むたくさんの事を学ぶことが出来ました。
地元小学生の軟式野球チームから始まり、中学軟式、中学硬式、高校野球、大学野球、そして社会人野球まで、アマチュアすべてのカテゴリーで現場トレーナーとしての経験を積むことが出来ました。
また、弘田雄士氏、三浦佳祐氏、寺岡祐助氏、寺田京太氏など名前を挙げればキリがないですが、気の狂ったトレーナーが多く在籍しここで働く仲間はみんな志が高く、時を一緒に過ごすだけで価値のある集団でした。
そこにいる全員がギラギラした目をしており、ちょっとでも立ち止まるとあっという間に置いてきぼりになるようなスピード感と根性でした。
そんな集団の中で、たくさんの知識・技術・考え方・想いなどを習得することが出来ました。
そして、タチリュウではトレーナーとしてはもちろん成長させて頂きましたが、それ以上に大きな意味があったのは、藤田文武氏や中島規貴氏に〝原大本徹〟や〝明元素〟など自分自身のあるべき姿や人としての立ち居振る舞い、考え方や在り方など本当に大切な事を教えて頂きました。
もちろんその多くが学校では決して学ぶことが出来ない事ばかりで、その経験は今の私の血となっています。
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〈日立製作所野球部〉2014年~2017年
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アマチュア野球最高峰の社会人野球チームの専属トレーナーも務めました。
業務内容は主に体のケアを担当し、その傍らストレングスのサポートも行い、チーム全体のコンディショニングを担っていました。
社会人野球は、世間の認知も薄く、仕事の傍らにやっている野球ぐらいかと思っていましたが、高校野球やプロ野球よりも一生懸命に野球に取り組む姿に驚かされました。
社会人野球というのは、野球人にとっては墓場になりうる場所だと思います。アマチュア最高峰のカテゴリーとはいえ、プロにはなれなかった選手や、あと一歩でプロになれる選手ばかり。そんな選手が集結している場所で、ここで野球人生に幕を下ろす選手も少なくないです。
その反面、結果を残しプロへの扉を開く選手も多くいる。そんな、様々な感情が交差し、常に熱い戦いを繰り広げているのが社会人野球だと思います。
そんな環境で、勝利への執念とプレッシャーの中、選手と共に人生をかけて戦えた日々は今でも鮮明に覚えていて、トレーナーとしてのやりがいを教えて頂きました。
当時、一緒に働かせて頂いていたトレーナーの小川 浩氏や理学療法士の荒木 和樹氏には勝たなければいけない世界でのトレーナーの在り方から、競技スキルや動作の考え方まで多くの事を学ばせて頂きました。
日本野球におけるカテゴリーは残すところプロ野球だけとなり、一度はプロ野球という世界を見てみたいという思いが現実的になってきた頃、いつでもチャンスがあれば直ぐに動けるように準備を始めました。
そんな思いで社会人野球とは一区切りしとうと心に決めて過ごしている4年目のシーズン後半に、縁がありプロ野球トレーナーへのチャンスを頂きました。
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〈北海道日本ハムファイターズ〉2018年~2021年
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憧れだったプロ野球のトレーナーを4シーズン経験することが出来ました。
4年間で、1軍2年、2軍2年と経験できたことは本当に良かったです。
1軍では、計り知れないプレッシャーの中、心身ともに万全ではない時も、勝利の為に試合に出続け、結果を残し続けるトップアスリートの思考や体の強さには驚かされました。
また2軍では、チームの根幹を担う育成と手術などからの復帰を目指す選手たちと共に過ごせた期間はトレーナーとしても様々な気づきを頂きました。
コロナ渦ということもあり、スポーツが持つ力の偉大さにも気づくことができました。
一投一打で何万人の方々に勇気や希望を与えることが出来る野球の力、選手の力、スポーツの力には驚きました。
そして何より、超一流アスリートと同じフィールドで過ごせた日々は貴重な財産です。
西川遥輝選手をはじめ数々の一流選手のルーティンや拘り、練習量、忍耐力、体への理解など本当にたくさんのことを学ばせて頂きました。
その中でも、金子千尋選手とは自主トレ帯同など多くの時間を共有させていただき、トップアスリートとしての振る舞いや取り組み、心構えなどを教えて頂きました。
また、当時トレーナーチームだった和田照茂氏や高橋知幹氏には、
戦術戦略を含む競技をしっかりと理解分析しトレーニングに繋げることや、積み上げ式ではなくゴールからの逆算型リハビリ設計など、挙げればきりがないですが、今までの私にはない沢山のことを学ばせて頂きました
ここまで読んで頂いた方にはご理解してもらえると思いますが、私の人生は野球と共に歩んできたと言っても過言ではありません。
そんな私は、野球界に貢献し、恩返ししたい思いがあります。
そんな思いを持ちながらトレーナーとして野球に関わり続けて15年以上が経ちました。
野球界の素晴らしいところ、野球界の残念なところ、良い文化や悪い文化を肌で感じてきました。
しかし、野球界のド真ん中にいては、本当に野球界の進むスピードが速いのか遅いのかわからないという思いも同時にありました。
そんなこんなを肌で感じる為に、15年以上お世話になった野球界から身を引き、外から野球界を見てみたいと思うようになり、退団を決めました。
もちろんファイターズが嫌いになったわけではないし、ファイターズをいち野球ファンとして応援したいと思っています。
ファイターズで学んだ事は沢山あるし、間違いなく4年前の自分より成長出来ました。
ファイターズの一員として戦えた4年間は素晴らしい思い出です。
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〈京都ハンナリーズ〉2021年〜現在
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これまでも沢山の方々に支えられてやってこれましたが、京都ハンナリーズへの移籍も人との縁が繋いでくれました。
これまで野球を中心にその他のスポーツでもトレーナーとして経験を積んできましたが、バスケットは競技としてはもちろんトレーナーとしても関わったことはなく、右も左もわからないためルールや競技特性を1から勉強することから始まりました。
最初は、野球との文化や習慣の違いに驚くことが多くありました。
しかしその反面、トレーナーとして貢献できることも多くあることに気づくことが出来ました。
シーズン途中からの加入となった一年目は、選手・スタッフ・フロントの方々の支えがあり、なんとか乗り切ることが出来ました。
2年目はS&Cとしてチームをサポートすることになり、スキルスポーツの野球とは違う、フィジカルスポーツのストレングスに試行錯誤しながら、より良いものを提供出来るように努めています。
野球界ではそれほど感じることはなかったヘルシー(健康)でいることの大切さはバスケ界にきて感じた大きな気づきです。
ようやくバスケ界に来て1年が経ちましたが、まだまだ勉強の日々です。
選手やチームはもちろん、バスケ界に少しでも貢献できるように努めていきたいと思います。
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