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無職のおっさん、起業直前の1日

2015年。雨がしんしんと、
雪になりそうな、1月の寒い日。

嫁に捨てられた。


衣装をつくることを仕事にしてきた。
元嫁と、ふたりで。

その嫁が、
わたしを捨てて、出て行った。
ミシンと仕事を、ぜんぶ持って。


渋谷と恵比寿の中間地点。
住宅街にあって
静けさを保たれたマンションの一室。

2面から光が射し込む10坪のアトリエ。
工業用のミシンが何台も並んで
手狭だった仕事場。

それがぜんぶなくなると、ずいぶん広い。

フロアタイルの空き部屋は、
足首が冷える。

たまらなく冷たい。


仕事場と別に、上の階に住居がある。
アトリエの真上の、1LDKの角部屋。

住居といっても、
家財道具と言えるものは、何も残ってない。
テレビも、冷蔵庫も、洗濯機も。

電気はつく。お湯も出る。
とりあえず、お風呂には入れる。

ベッドはない。布団もない。
少しほこりっぽい、毛布が一枚。

リビングの隅に、デスクがひとつ。
iMacのモーター音がかすかに聞こえる。
耳について、気になってくる。


渋谷の喧騒を遮断する、
冷たい鉄の空洞に、
今日、わたしは捨てられた。

捨てられるものは、
邪魔だから捨てられる。

37歳。
人生の選択と、その結果の繰り返し。
邪魔になったのは、わたしのせいだ。

捨てられたことへの文句は、毛頭ない。


そして今日、
わたしには本当に何もなくなった。

家族、家具、
仕事、商売道具、
仕事にひも付く、人のつながり。

お金は、そもそも始めからない。
友だちもいない。
子どももいない。

要するに、
ひとりぼっちで、無職だ。
裸一貫とは、
きっとこのことを言うのだろう。


仕事はぜんぶ、元嫁に渡した。
もともと彼女の仕事なのだから、
それでいい。

残ったものは、住居と仕事場。
わたしには、収入のメドはない。
家賃なんて払えない。
個人事業主は、失業保険も出ない。

まともな職歴のない37歳。

身の振り方。


その前に、ごはんを食べるための
とりあえずのお金もない。

日雇いの、即日お金をもらえる
アルバイトでもして食いつなぐか?

生きるために食べるのか。
食べるために生きるのか。

何のために生きるのか。

食いつないでいたら、
その先に目的を見つけられるのか。


詰み。

金もない。仕事もない。
会話する相手もいない。

ただ時間が過ぎるだけの空洞に、
ひとりぼっちで突っ立っているだけ。

突っ立ってると疲れるから、
とりあえず座って、
座っててもしょうがないから、また立って。

いずれにせよ、ぼーっと虚空を眺めている。

空洞だと思っていたら、いつの間にか、
ドス黒い汁で満たされていた。

あふれそうだ。

このままひとりぼっちの夜がくる。
夜になって、真っ暗になる。
不安な気持ちが、油みたいにドス黒く
粘りつく。

あふれ出た真っ黒な油が
床一面に塗りたくられて
沼みたいになって、引きずり込まれる。

一度 沼に足を取られたら
もう二度と出られない。

きっとそうに違いない。

怖い。
ひとりでは耐えられない。

誰かに電話したい。
誰でもいいから話したい。
話す中身も、どうだっていい。

どうでもいい話でもして、
途中で今日のできごとを、
そう言えば、とか言って織り込んで
でもぜんぜん大丈夫、とか言っときたい。

もしできたら、そんな
どうでもよさげにしてるのを
マジかよ、とか言って突っ込んでくれて、
時間をかけて掘り下げて、
引き出してくれるとありがたい。

なんならいよいよ心配そうに
とりあえず行くわ、なんつって駆けつけて
大丈夫?とか
夜通しつきあってくれたりなんかすると
ますますもって助かります。

そしたらやっと、
ぜんぜん大丈夫じゃない この有り様を
この期に及んで ようやっと、
さらけ出して、話せそう。


スマホで連絡先をめくってみる。
113件。
そんな感じになってくれそうな連絡先は
わたしには、ひとつもない。

誰か知らない人と
いきなりチャットするサービスでも
ないものか。

…あった。あるんだな。

つないでみる。

問答無用と言わんばかりで、
知らない人と1対1のチャットが始まった。
すごいサービスもあるものだ。
お金もかからないらしい。

つながった人に、軽く状況を伝えると、
すぐに相手が離脱した。

あきらめずに数人続けてみた。
男性も女性もいた。年齢もさまざま。
みんな同じく数往復の短い会話で、
相手から会話を終わられた。

それでも、少しだけ救われた。

誰でもいいからとにかく話したいような
さみしい夜を送る人が
わたしだけじゃないことに
少しだけ安心した。

引き続き何人かとつないでみたが、
長い会話につながりそうな
見込みを感じられなくて、やめた。


ドラクエ3をダウンロードした。

1と2はここ数日で消化した。
次は3を消化する。順番通りだ。

10年暮らした家族に捨てられた今日。
ひとりだと、何かしてないと耐えられない。
何だって構わない。

小学生以来のドラクエ3は、
なんだか画面がかっこよくて、
現実逃避にちょうどいい。

毛布にくるまって
夜通しひたすらいじくり回して、
不安がベタベタ絡みついても、
気づかず寝落ちしてるとありがたい。


できれば明日は、こないでほしい。



わたしは、伊藤悠平といいます。

【nutte】という
縫製のwebサービスを運営する、
株式会社ステイト・オブ・マインドの
社長です。

このnoteは、
嫁に捨てられたこの日を迎えるまでの、
負け犬みたいな、わたしの人生。

そして、そこからはい上がろうと
この日の翌月 会社を立ち上げた話。

起業してから今までの、
もがき続ける再チャレンジの話と、
やっと少しずつ見えてきた
未来の話をできたらと思っています。

(つづく)

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