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誰の笑顔を見たいのか

2015年2月
ともかくnutteは リリースされた。

nutteは 職人であったわたしが欲しいから
立ち上げたサービスだ。

あくまでも、いついかなる時も、
事業は職人のためにありたい。


縫製職人の側からは
受け入れられそうな気がしている。

実際、サービスを立ち上げる前に
縫製職人の事前登録を受け付けてみると
わずか数日で、100人近くの応募があった。

おかげで、100人の職人がいる状態で
サービスをリリースできた。


しかし 依頼者側に
需要があるかどうかは分からない。

個人の職人に 縫製の仕事を頼みたい人が
果たしてどれだけ いるのだろう。

これから
存在意義を 社会に問う。


実際のところ、リリース直後から
nutteは利用されていった。

オンラインでのマッチングはもちろん
いろんな職種の 見知らぬ方々に
メールでお声がけして
ユーザーヒヤリングに回ってみたところ
すぐに依頼をあげてもらえた。

まずは、手ごたえあり といった感触だ。


次にやるべきことは、
ファイナンス、つまり資金調達だ。

ものすごく かいつまんで、ざっくり言うと
自社の株式と引き換えに
投資をしてもらうのだ。

投資家のリターンは、キャピタルゲイン、
つまり、将来の株式市場への上場か
または別の会社への売却益によって
達成される。

まあこのあたりは いろいろ省いて、
要するに、こんな感じだ。

将来上場して、
高い株価で売れるようにするから
いま安い株価で
ウチの株を買ってくれませんかと
言ってまわる。

まあ こういうことだろう。


なんで そんなことをするのかというと
わたしにおカネがないからだ。

おカネがない。
まったくない。

今日はスーパーで 半額の弁当を買えるけど
明日は 食パンの耳でもかじるか。
タバコはだいたい シケモクだ。

起業したのに
日雇いでバイトしなきゃならない有り様で、
まあ 個人事業のころから
そんなものだから 違和感は別にない。

そもそも普通、
そんなヤツは 起業なんかしないのだ。

本来なら ちゃんと働いて貯金して
それを元手に、
あるいは足りない分を銀行から借りて
起業するのだろう。

しかしわたしは
生きるためのおカネがなさすぎて
貯金どころではない。

だから誰が何と言おうとも
株式で資金調達する以外に
道はないのだ。

ほかの会社が どうかは知らないが
わたしは貧乏だから そうするのだ。


服飾学校を出てから十数年
貧しい思いしか していない。

たいていシケモクを吸っていた。
1本を最低2回に 分けて吸う。

糸にまみれて ゼニをうらやむのは
いつものことだ。


今になって、よく分かる。

わたしが貧しいのは
人の役に立ってないからだ。

誰かの役に立っていたなら
わたしはきっと
相応の見返りを もらえていただろう。

いつもわたしが貧乏なのは
誰の役にも立っていないからだ。


いつもと違うのは nutteができたこと。

いま わたしには 何もなくても
nutteがある。

nutteは 人の役に立てる事業だ。

縫製業を アパレルの下請けから脱却させて
世の中の役に立つ職業にするための事業だ。


縫製業が貧しいなら、
それは人の役に立っていないから なのだろう。

たしかに、もしかすると縫製業は、
アパレルの役には立っているのかもしれない。

アパレルの役に立っているのに、
縫製業が貧しいなら、
それはきっと、
アパレルが人の役に立っていないのだ。

アパレルが、人の役に立ってない。

そのせいで、縫製業は結果として、
人の役に立っていないことに
されてしまっているのだ。

アパレルが、人の役に立ってないから、
縫製業は貧しいのだ。

今になってようやっと、この理不尽を理解した。

だから 縫製業を
アパレルの下請けから脱却させる。

値下げしても誰も買ってくれないような、
どこでも売ってそうな商品を企画して、
売れない責任を生産者に押し付ける、
アパレル業界の狭い業界を捨てて、
外の大地に 種をまくのだ。

アパレル業界。
干ばつに侵された この砂漠地帯。

汗水流して耕す者を軽んじたこの地に、
ふたたび生命が宿ることは、
向こう数十年にわたり、たぶんない。

地を耕す者たちと往く、
新しい実りの大地を探す航海。

アパレルではない市場を求めて。


誰の笑顔を見たいのか。

技術を込めて縫った服を着て、
幸せになってくれる人。

その技術を受け継いで、
きっと次の世代に伝えてくれる弟子。

彼らを育てて行くために十分な
仕事と所得。

自分の仕事が、
人の役に立つことを知っている職人の、
自信に満ちあふれた笑顔。

彼らともし、そこにたどり着けたなら、
nutteは 職人の役に立てたことになる。

もしnutteが 職人の役に立てたなら
次は職人が、誰かの役に立ってくれればいい。

誰かの役に立つことが、
次の誰かの役に立つことにつながる。
次の誰かは、その次の誰かのために。

その繰り返しで、人がつながって、
目の前の仕事が、必ず社会の未来につながっている、
その手応えを得ること。

誰かの役に立つこと。
役割。

あるいは使命。

何もなくなった わたしに与えられた、
これほどの使命。

人のいのちは
使命を果たすためにあるのだ。

今日 パンの耳をかじっても
果たさなければならない使命があるから
明日が来ることに耐えられる。

与えられた責任を全うするために
明日は来るのだ。


会社の名前は ステイト・オブ・マインド。
心のあり方を、己に問う。


(つづく)

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