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マンガみたいなカラフルな青春は、 わたしには来なかった

早稲田大学に通っていた。

高田馬場の校舎ではなく
埼玉にある人間科学部。
所沢から2駅先の小手指駅から、
バスだ。


1年生の夏休みにはインドに行った。
ひとりで1ヶ月間だ。
大雨でガンジス川があふれて
ヴァーラーナシーから逃げ出した。

インドに行くため、前期から
運送会社で仕分けのバイトで稼いだ。

2年生には小手指までたどり着けず
高田馬場で麻雀に明け暮れた。

おかげで2年の前期で
留年が確定した。
後期は行くだけ無駄だった。


もう大学は辞めて
服飾専門学校に行きたかったが、
親に必死で止められた。

大学をサボってバイトして
ヨウジヤマモトとか
イッセイミヤケを着ていた。

ミニマルなデザインがトレンドの時代に
無駄にデカい長い服が
たまらなく美しく見えた。

3年生から洋裁教室に通い始めた。
近所のおばちゃんに混じって。
4年生には自分で縫った
デニムのカバーオールを着て通学した。


要するに、なんかちょっと
こじらしたヤツなんだと思う。

コレクションブランドの服を着て
服飾学んでぷらっとインドに行って
雀荘に入り浸って留年するヤツだ。

友だちは少ない。

昼メシは、ひとりでカップ麺をすするために、
空いてる教室を探した。


2000年ちょうど。
週5でフル単。5年生のくせに。
就職活動はロクにできない。

小さな広告デザイン会社に就職できた。
下請けの孫請けみたいな零細だ。
それでも、拾ってもらえたようなものだ。

紙のデザインなんてやったことはない。
応募書類には大学のMacで描いた
「草原と豚」というイラストを送った。

緑のベタの背景に青空。
肌色で小さく豚の絵を描いた。
文字通り、草原と豚だ。

DTPの黎明期、
Illustrater5.5とPhotoshop4.0と
QuarkXpress3.3がトロトロ動く、
ベージュのPower Macintosh 8100が
カリカリ鳴ってた漢字Talkの時代。

CTPが主流ではなく
写植やアナログ製版も多い時代に身につけた
DTPの技術には、今も助けられる。


就職して専門学校の学費を貯めた。
2年勤めても、
ファッションデザイナーへの憧れは
枯れていなかった。

26歳の春、
1年制の服飾専門学校に入学した。

ファッションデザイナーとして
自分でブランドをやりたかった。
ヨウジヤマモトみたいなブランドを
つくりたかった。

静謐で清潔で、清貧な世界が美しく見えた。
女の人が歩いた時に裾が流れて
足もとに余韻が残る服を
とにかく自分の手でつくりたかった。

理由なんかないのだ。

どこをどう間違えたら、
こんなことになるのか知らないけれど、
これ以外に道はない、そんな思いが
呪文みたいにべっとり貼り付いて
耳もとでわたしを煽り立てるのだ。

そんな、よくわからない
思い込みに突き動かされて、
自分で選んだのかどうかも怪しいものを、
目標っぽく言い回したら、
それっぽく「夢」ができあがる。

そんな、どこか受動的で、
非論理的で強情な、夢のスタートラインに、
残念なことに、立ってしまった。

わざわざ遠回りしてまで。


そして、どれだけ無意識だったとしても
選択にはいつだって責任が伴う。

時には思いもよらない暗さで、
後の人生に影を落とすことも。

わたしはその選択のために、
これから向こう10数年に渡って、
日陰を選んで下を向いて、
地べたを這いずり回るような人生を
送ることになる。

ああ、やらなければよかった。

(つづく)

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