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心が喜ぶ暮らし方を見つける

出産を控えて

いよいよ3人目の出産を間近に控え、久しぶりにnoteを更新。

今回は、上の子達が小学生なので、2人目の時のような慌ただしくパワフルなマタニティ期間な訳ではないけれど、別の意味で、精神的にタフにならざるを得ないマタニティ期間。

その話もできれば備忘録として、また、誰かの役に立てば、という想いからnoteに綴りたいと思っているけれど、
なかなかSNS系を更新するのがおっくうで。

今ようやく、アウトプットしようと思って書き込んでいます。

暮らし方は生き方

妊娠後期に入り、外での仕事と在宅での仕事をお休みしてから、暮らしに集中するようになりました。

巣作り本能というのがあるらしく、やたらと、家の中を整理整頓したくなるという衝動もあり。

いろんなものを断捨離したり、逆に新しいアイテムをお迎えしたり、家事のやり方を見直したりする中で、
「やっぱり暮らし方は生き方そのものなんだな」と感じています。

私のコーチングの師匠である堀江小綾ちゃんも、出会った当初から「シンプルライフ」を勧めていました。

それは、必ずしも物が少ないミニマリストな暮らしではなくても良くって、
ひとつひとつのアイテムや暮らしとの向き合い方において、
自分の心が喜ぶ、自分にフィットしたものを選ぶということ。

そうじゃないものを、「あると便利だから」「捨てるにはもったいないから」などと、
あまり使わずにとっておいたり、
実は結構不便なのに惰性で使っていたりすることってよくある。

そんなことに気づいてしまってから、次々と家の中での改善できる箇所が見つかって、暮らし方を整えていく楽しさにハマっている今日このごろ。

暮らしというのは、毎日すること、目にするもの、触れるものだから、そこで心の喜びや心地良さを感じることができれば、生きることそのものが満たされることにもつながる。

メリハリをつけると楽しい

これは、赤ちゃんが産まれていない今の時期だから言えることでもあるのかもしれないけれど。

暮らしの中で、作業の量やスピードにメリハリ(緩急)をつけると何だかいい感じ♪という話。

コントロールできる部分とできない部分があるけれど、できない部分もひっくるめて、全体でバランスを取れれば良いと思う。

例えば、朝起きてから子どもたちが登校するまでは、どうしても我が家はバタバタ慌ただしくなる。

でも、登校後、ちょっとゆっくりのんびり朝ご飯を食べたりコーヒータイム(今はデカフェ)を取る。

そして、コーヒーを飲み終えたら、洗い物・洗濯物干し・掃除その他こまごまとした雑用をテキパキとこなしていく。

ちょっと身体がしんどいな、疲れたな、と感じたら、無理をせず座ったり横になったりして、休息をはさむ。

こんな感じで、働く時間と休む時間にメリハリをつける、というのがまずひとつ。

もう一つ、働く時間の中にもメリハリはつけられる。

例えば、庭仕事や、普段はあまりやらない箇所の掃除、おやつ作りなどは、私が比較的好きな作業なので、ゆっくり時間をかけて味わって取り組む。

丁寧にひとつの作業に集中することに、ぜいたくな心地良さや満足を感じるから。

一方で、毎日する同じような作業は、ぱぱっと済ませることに気持ち良さや爽快感を感じるので、できるだけスピーディーに済ませたり、一気に取り掛かったりする。

ずっとダラダラ過ごすのもたまには良いけれど、それが何日も続くとつまらなくなるし、逆に毎日が忙しすぎても廃人になる。

長い目で見て、子どもが小さいうちは慌ただしくも充実した暮らし、
少し自分の時間が持てるようになったら余暇を重視した暮らし… 
みたいなメリハリを楽しみたいと思う。

計画的もほどほどに

私の場合、計画や予定があると、それに縛られがちなので、できるだけ自分でコントロールする時間があるという意味で自由でありたい。

「今日はこれとこれをしよう」と考えたりはするけれど、できないとストレスを感じるので、その量はあまりボリューミーにならないように気をつけています。

それでも、欲張って詰め込んでしまうので、なるべく優先順位を決めて、後回しにできることは後回しにする^^

あと、「遊び」とか「余白」みたいなものが私には必要なので、それこそ計画の中に組み込むというのは、妊娠前から意識しているところ。

じゃないと、ついないがしろにしてしまいがちだから。

でも実際、余白がないと計画が狂った時に調整ができないし、新しいものは余白に入ると言うし。

私達は幼い頃から、学校教育の中などで、「計画的に勉強に取り組みましょう」と教えられたり、計画的にできると褒められたりしてきました。

実際は、計画を立てる方が良い場合と、立てない方がうまくいく場合とあるのだけれど。

性格などにもよるだろうし、仕事かプライベートかなどの場面にもよって違うだろうし。

でも、日々の暮らしという面では、あまり計画的であることに囚われすぎなくても良いと思うのです。


見栄えも大事だけど

これは、洗濯物を干していて気がついたこと。

ハンガーではなく、ピンチが沢山ついたやつ、ありますよね。

あれに私はタオルや靴下なんかを干すのだけれど、左右のバランスがなるべく取れるように、干すものの大きさや重さを調整する人は多いと思う。

私の母は特にバランス重視というか、バランスを取ったり美しく干すのが上手。

我が家の洗濯物干しを母がしてくれる時には、夫に任せた時なんかより、かなり見栄えがいい。

私も、バランスがうまく取れた時には嬉しくなるのだけれど、それにこだわり始めると、干す作業に時間がかかってしまいがち。

干す前に考える時間があったり、干してから「こっちが重すぎるから移動しよう」などとやり直したり。

でも、取り込んで畳んだりしまう時にラクであることも、私は結構重視したいポイント。

例えば靴下。

バランスや見栄え重視なら、左右対称もしくは点対称になるよう干すのが良いだろうけど、
取り込んで片付ける時のラクさ重視なら、ペアをすぐひとつにまとめられるように隣同士などに干すのが良い。

だから、バランスの良さや、それによる見栄えの良さはほどほどに、多少傾いていたりしても、取り込んで片付ける時にラクなら良し、とする考え方もアリという話。

収納に関しても、モデルルームのように綺麗にしまったり陳列したりしていると見栄えが良くて素敵だとは思うけれど、実際の使い勝手が悪いのは遠慮したい。

どちらを取るかは人の好みだけれど、暮らしを整え始めって、SNSなどで見かける誰かの理想に自分の暮らしを当てはめてしまいがち

ホントは、人には人の、自分には自分の暮らしのフィット感や向き不向きがあって、それは違っても良いのだから、自分の心が喜ぶ暮らしを追い求めたい。

効率・時短の先は

効率の良さ、時短が求められる昨今。
その先には何があるんだろう?
なぜ、私達は効率の良さを求めるのか?

「そりゃあ、効率が悪いより良い方がいい」のかもしれないけれど、時に、効率重視が行き過ぎているように感じることもある。

無駄な時間、無駄な手間をカットする、といえば聞こえがいいけれど、
何となく、その省かれていく時間や手間の中に、何か大切なものが含まれているような感覚もある。

仕事に家事、育児、趣味…
あらゆる「 やるべきこと」「やりたいこと」がある現代人。

それらをできるだけ沢山こなすために、時間や手間を省いているのかな?

その先に残るものは何だろう?

「あぁ、今日はこんなに沢山のことができた!」という達成感?

「スマートに作業を片付けている自分てすごい」という自己満足感または爽快感?

そういう感覚は味わえそうだけど、毎日とか、長期間続くものではないような気がする。

それは、上の子達がまだ小さい時、毎日必死に過ごしていた時期を振り返ると分かる。

確かに毎日沢山の事をこなしているのだけど、やるべきことや時間に追われている感覚が強くて。

たまにふと客観的に自分を見つめて「頑張ってるなぁ」と思うようにはしてたけれど、満足感より疲弊感が強かった。

あの頃は、ただただ目の前の事に対処するのに精一杯で、効率や時短を求めるとしたら、単に「少しでもラクをするため」だったと思う。

もちろん、効率や時短を求めることが悪いことではない。

ただ、やっぱり、何のためにそれを求めているのか?が大事だと思う。

例えば、忙しない日々の中で、まったりひとり時間を確保するため、好まなかったり苦手な作業は効率や時短を優先する。

やるべき事だけで疲弊しきらないために、やりたい事をやるエネルギーを残すために、効率や時短を取り入れる。

この目的の部分を自分の中でハッキリさせておいた方が良いと思う。

便利で効率が良くて時短が叶う、流行りの家電やアイテムに安易に手を出すと、それが実は自分の暮らしには合っていなかった…
なんてことになったらもったいない。

アイテムや方法が先なのではなく、それを使って何を得たいのか?

を先に整理しておくと、それこそ無駄な買い物や無駄な空間占領も減るだろう。

まとめ

心が喜ぶ暮らし方は、心が喜ぶ生き方。

それを見つけるには、自ずと自分と向き合うことになる

何をするのが心地良いと感じるのか?
何のためにそれをするのか?

試行錯誤を重ねて、導き出した答えは、他人と違っても良いし、時間が経ってから変化しても良い。

ライフステージの変化によって、暮らし方は変わり続けるから、その時々で自分を見つめてあげられるといいな。

なんかやっぱりセルフコーチングに繋がったなぁ。

あとがき

つらつらと書いてみたけれど、久しぶりに書いたし、いつも通り時間がかかってしまいました。

思い浮かぶことや感じることは次々と溢れ出てくる。

でもそれらを書き出していくうちに、なるべく正確に表現したくなるし、誰かに伝わってほしいと思うので、言葉のチョイスや文章の組み立て方など推敲しだす^^;

それでも読み直すと満足することができないので、完璧主義より達成主義でいくけれど。

悩みながら時間をかけて文章を書ける機会も、産後は減るでしょう。

産後は…というか、これからは、もっともっと軽やかに自由に、良くも悪くも自分らしく、肩肘張らずに書きたいな。

読んでくれた方、ありがとう。

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