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直径3cmの中に広がる美意識の宇宙

「今日は"拝見"をしてみようかね」

お稽古を始めて1ヶ月が過ぎた頃、先生が言った。私がお稽古でやることといえば、まだまだお菓子を食べてお茶をいただくだけ。そこに加えて、「拝見」という新たな作法を学ぶことになった。

拝見とは文字通り、掛け軸や器などの亭主が準備したものを見させてもらうこと。結論から言おう。拝見するのは大変なのだ。

例えば、床の間の諸飾り(掛け軸、生花、お香の3点セット)を拝見する際には、正座をし両手の平を畳に添え、掛け軸、生花、お香の順に見るというルールがあるし、抹茶の粉末が入った棗(なつめ)とそれをすくう茶杓(ちゃしゃく)を拝見する時は、もっと複雑だ。まずは畳をにじって(正座をしたまま両手を使ってスライドする動き)亭主のところへ近づいて、その2つを手に取り、元いた位置までにじりながら持ち帰ってきて、初めてそれを拝見できる。

拝見した後は、同じようににじって亭主のところまで行きそれらを返却する。アイテムを取り動かすのは、基本右手のみ。にじるときは両手だ。だから、アイテムを一つずつ右手で移動させ、にじって、また移動させ、を繰り返し行う。日によっては棗を入れる布袋が加わることもあるから、その場合は運ぶアイテムも3つとなり時間もかかる。拝見する時のアイテムの並び順や間の間隔も基準があるみたいで、少しでも間隔が違えば、「あと2センチ右に」などとすかさず先生の指摘が入る。

ようやく拝見できることになっても、アイテムごとに扱い方の作法がある。例えば棗なら、左手で棗の本体を押さえて右手でそっと蓋をとり蓋を畳の上に置いて、本体上部の蓋と重なる立ち上がりの部分も忘れずに見て(ここに模様がついていることもあるため)といった具合だ。そしてビックリすることに、棗は中を覗いて内部の抹茶の残り具合も見るのだという。

え、どういうこと?

初めは耳を疑ってしまった。なんでも、きれいな抹茶のすくい方(すくい跡とでも言うのかな?)というのがあって、その亭主がどんな風にすくったのかを見るのもひとつの醍醐味なのだとか。棗はコップよりも小さいお猪口くらいのサイズ感。その直径3センチほどの淵から、暗い容器の中を必死に覗き込まなければならない。それも、大事な抹茶の山なりが崩れないように、そおおっっっと。

抹茶のすくい方というミクロな世界にまで?(こそ?)美的センスが求められるなんて……。茶道の美意識の宇宙を見た気がして、ちょっとクラクラした。

果たして自分もこのすくい跡を見て「なんと美しい!」とか「これはイマイチだな」などと感じる日がくるかどうかは分からないが……

恐れ入りました。。

と、今はただただひれ伏したい気分。

🍵私は茶道の初心者です。ここでは茶道の作法やハウツーではなく、私が日々のお稽古で感じたことを綴っていきます。自分の備忘録として、また茶道に興味のある人やこれから茶道を心得てみたい人の少しの参考になればと思います。もしも情報部分での誤りがあれば教えてください。みなさんと一緒に学びを深めていけたらと思います🙇‍♀️

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