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捨てるマニア

わたしは捨てるマニアだ。
少しでも、捨ててもいいかも?と感じる余地があれば、捨てたい。
迷うなら捨てたい。
整理整頓オタクみたいなところもあるが、そこまで根っから几帳面なわけではない。
モノが多いのはだめだ。
ただ、だめなのである。

昔、わたしは汚部屋の住人だった。
心の状態は部屋にあらわれる、とよく言われるが、否定できない。というか、肯定しかない。
わたしは完全なる病気だった。
執着や拘りにがんじがらめになり、すべてを目の前にならべ、自暴自棄と自殺願望を膨らませた。
破壊と自傷と嘔吐を繰り返した。

わたしはモノを持っていることが怖い。
モノが乱れはじめたら、また心が乱れてしまいそうだ。
持つことは損失だと思っている。いやそうではないとわかっているのだが、資産価値があるほとのモノでなければ、持つほどにリスクだと思っている。
モノは保管する場所が必要なので、すなわちわたしの不動産を消耗させ、清掃や整頓の労力と作業時間を強いてくる。
わたしはずぼらな性格で、掃除も整頓もできないと、いつも叱られていた。
寛解してみると、わたしはどちらかと言うときれい好きで、性格はやや神経質だった。

子煩悩の母となった今は、ひとり娘のモノを増やしたいので、せっせと自分のモノを捨てるに励んでいる。
中年のわたしが着飾ることよりも、5歳の女の子の洋服は可愛いし、わたしが読み終えた本よりも、むすめが繰り返し読む絵本を増やしたい。
大切にとっておくなら、わたしの若かりし日の思い出の品物なんかより、むすめの成長著しい作品など。

そんなわけで、最近のわたしはそれなりにすっきりとした部屋に住んでおり、なんなら夫とむすめのおかげで花なども飾らせてもらっているのだが、捨てるマニアの生活がそんなに豊かだとは思わない。
好きなモノがたくさんあって、それをきれいに整えて、幸せに暮らす。こんな能力とメンタルのある人は素敵で最強だ。
わたしは整理能力も低く、視界に情報量が多いと頭が混乱し、心が乱れてくる。
むすめの絵と、花を飾る生活、褒められることすらあるが、そのくらい飾らないとやっていられない。

捨てて捨てて捨てて、その空虚に素敵な未来が収まるからとそう信じて、空虚を作り続けるしかない。
せっせと整えるわたしの動機は、希望と不安だ。

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