私は誰かという問いに誰も答えることはできない。
あなたは誰ですか?という問いに
多くの人は、名前や職業、趣味や性格なんかを答える。
二児の母です。一児の父です。主婦です。◯◯会社に勤めています。◯◯会社の代表です。ダイビングが好きです。周りからは明るい人だと言われます。なんて具合に。
もちろんそれはひとりひとりのアイデンティティで、それはその人の特徴なので、間違いはないけれど
=自分自身かと言われたら、それは違う。
肩書きも役割も趣味も性格もその人の一部ではあるが、その人ではない。
じゃあ私とは誰なのか。
頭で考えていることが、私なのか。
感じている感情が私なのか。
でも考え方なんて、ちょっとしたことがきっかけで変わったりするし、感情だって一定じゃない。
じゃあ、明るい私が私なのか。
いや違う。信じられないくらいに落ち込んでいる自分だっている。
じゃあ落ち込む私は私ではないのか。
いや、どれも私。全部私なんだ。
肩書きも、役割も、好きなものも、感じていることも、考えていることも
変わらないものは何一つないなかで
ずっと中心にいるもの、これが私なんだ。
何があってもなくても、何ができてもできなくても、ここに存在しているこの存在こそが私なんだ。
それは私であり、あなたであり、世界の全てなんだ。
認めたくない醜さも、受け入れたくない性格の悪さも、むしろそこだけが自分であってほしいと思う素敵な部分も
どんな光もどんな闇も
全部私なんだ。
私は誰かという問いに、誰も答えることはできない。それは、私たちが、たった一言で表せるようなそんなちっぽけな存在ではないからだ。
醜さも美しさも闇も光も全てが内包された存在。私たちが想像するよりはるかにもっともっと大きな存在。
そしてみんな、いつか元の場所に戻っていく。
私もあなたも、あの人もこの人も、私が見ていた世界は全て私だったんだねと言いながら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?