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Stephan Keppel, Flat Finish(2017, Fw:Books)【写真集レビュー】

Stephan Keppel(ステファン・ケッペル)『Flat Finish』は、2017年にオランダの Fw:Booksから出版された。オランダのビジュアルアーティスト、ケッペルは『Reprinting the City(2012年)』『Entre Entree(2014年)』をやはりFw:Booksから出版しており、ハンス・グレメン(出版社の主催者でデザイナー)とのコラボレーションで生まれた3冊の写真集は、一連のコンセプトで作られている。『Reprinting the City』ではオランダの港町デン・ヘルダー、『Entre Entree』ではパリ、そして『Flat Finish』ではニューヨークに焦点を当てている。ケッペルは都市の公共空間、表層、構造に興味を持ち、イメージの再利用、複製、印刷とその反復という一貫したコンセプトで、都市として造られた世界を、いかに印刷物のかたちで表現できるかを試みてきた。

では『Flat Finish』を構成しているイメージはどのようなものだろうか。まずはケッペルがニューヨークの街路や倉庫を歩き回って撮ったもの、それらは都市の構造が一目で把握できるような写真ではなく、建築物・構造物のディテールや表層のパターンをスキャンするように撮影されている。それに加えて、カナダ建築センターに保管されている19世紀ニューヨークの写真。ゴードン・マッタ=クラークのアーカイブ。ロサンゼルスにあるパラマウント・スタジオのニューヨークのセットを撮影した写真。インスタレーションを撮影した写真。石、金属、木のカタログ。古典建築のオーダーの説明図。都市を構成する色のサンプルとしてのパントーン。都市のメタファーとしての印刷物の構成要素として網点やラインのサンプル。このようにニューヨークについて現在だけでなく過去からも、様々な構成要素を引用、分解し再構成している。

シークエンスはこのように始まる。建築ファサード写真の上に白いペンキが塗り重ねられている(タイトルのFlat Finishはペイント缶に印刷されていた名称から来ている)。スタジオセットの裏側の構造。使い古された建付家具、木製の板、建具が無造作に並べられている。2枚のビニールシート片が木製の手摺に吊り下げられている。色鮮やかなオレンジ色をした地下鉄のプラスティック製ベンチ。古いレンガ造建築のファサードには目地から白化したモルタルが滲み出て不規則なパターンを作り出されている。木製家具の古典的装飾。建付家具の表面にある直線のパターンだけが抜き出される。そのパターンに類似する高層建築物のファサード。その直線パターンは分解複製されレイヤーとして木製家具の装飾と類似する様式建築のファサードと重ね合わされる。スタジオセットのために作られた装飾的な柱。都市の表層から裏面へ、建築物のディテールに現れた形象からその複製物へ、構造物の表面に現れたパターンから異なる構造物の近似するパターンへ、あたかもイメージを使って韻を踏むように並べられ、ときに形象は分解され再利用されレイヤーとして重ね合わされる。

この写真集を読み込むうちに、イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』との類似性について考えを巡らせた。この小説は1972年に発表された「ヴェネツィア生まれの商人の子マルコ・ポーロがフビライ汗の寵臣となって、さまざまな空想都市の奇妙で不思議な報告を行なう」という設定の幻想小説だ。

「その河の瀬を渡り、峠を越えると、突然モリアーナの都城の前に参ります。日の光を浴びて透明に輝く雪花石膏の城門、蛇紋岩の上張りをした破風を支える珊瑚樹の列柱、水槽さながらガラスずくめの邸宅とその水母型なすシャンデリアのもとを舞い泳ぐ銀鱗の踊子たちの影。初めての旅でなければ、このような都市には必ずその裏側があることを人は心得ているものでございます。すなわち、半円を通り抜けてゆくだけで、はやくもモリアーナの隠された姿を目にすることでございましょう。錆びたトタン板とズックのキャンヴァス、釘だらけの木板と煤けた真っ黒な鉄パイプ、空罐の山、何やら書かれた文字の消えかけている石壁、枠だけになった椅子の残骸、腐った梁桁で首くくることにしか役立ちそうもない紐、といった具合でございます。その一方から他方へと、都市はそのイメージの貯えを増してゆきながらもその眺望は連続しているかのように思われます。ところが、そこには厚みがなく、ただ表と裏とがあるばかりです、ちょうど一枚の紙のようで、こちら側とむこうとにそれぞれ絵姿があり、それはたがいに離れることも、顔を見合わせることもできないのでございます。」
「フビライ汗はすでに気がついていたが、マルコ・ポーロの都市はいずれも似通っており、その間の移行にはあえて旅の労苦すら必要ではなく、要素の入れ替えでこと足りるというふうでもあった。今では、マルコが都市を語るごとに、偉大なる汗の心はかえって気ままに旅立ってゆき、その都市をばらばらに分解しては、まったく違ったふうに組み立てなおすのだった ー 材料を取り替え、置き替え、並び替えしながら。」
(イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』河出文庫、米川良夫=訳)

この小説の主人公はあくまで「55の見えない都市」だ。その架空都市の存在の仕方、在り様についてマルコ・ポーロを報告者としてフビライ汗との対話を通して語られてゆく。マルコ・ポーロの語りは、一見ランダムに見えるが55の架空都市は、タイトルと番号が付けられ、規則性を持ちながら、同じようなリズムで反復される。『Flat Finish』では写真家が報告者であり、デザイナーが、あるいは写真家自身が受け手となり「その都市をばらばらに分解しては、まったく違ったふうに組み立てなおす」。都市(ニューヨーク)を構成するイメージ(構造、表面、パターン、リズム)を視覚的な「韻を踏み」ながら複製、移行、循環していく。これは都市の構成要素が本来持っていた機能的な意味を剥ぎ取り、新しい意味を与える行為と言えるだろう。400ページにも及ぶこの分厚い本は、写真家が都市の意味を求め隠された法則と秩序を探し求める長い旅の記録ようなものかもしれない。


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