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Rein Jelle Terpstra『Robert F. Kennedy Funeral Train, The People’s View』(2018, Fw:books) 【写真集レビュー】

ポール・フスコ(Paul Fusco)の『RFK Funeral Train』は、アメリカ人ではなく、ロバート・F・ケネディの信奉者でもなく、当時をリアルタイムで経験したわけでもない私から見ても、不思議なぐらい胸が熱くなる写真集だ。1968年6月5日、ロバート・F・ケネディ上院議員は大統領予備選の選挙活動中に暗殺され、葬儀はニューヨークで行われた。その後、棺を乗せた列車はワシントンDCまで8時間かけて移動した。『ルック』マガジンの専属カメラマンとして、この葬儀列車に乗っていたフスコが撮影したのは、沿線でロバート・F・ケネディを見送る多くの人々の姿。

今回取り上げるオランダ人写真家で映像作家のレイン・ジェル・テルプストラ(Rein Jelle Terpstra)の写真集『 Robert F. Kennedy Funeral Train, The People’s View 』は、「フスコの撮った写真の視点を逆転させる」という発想から始まった。オランダ人でありながら、父親がアメリカとその文化すべてを気に入り、ケネディの大ファンであったため、テルプストラは子供の頃、ケネディ家の話をよく聞かされていた。このプロジェクトを始める数年前に、フスコの『RFK Funeral Train』をプレゼントされた彼は、何度も見ているうちに、そこにカメラを手に持っている人が数多く写っていることに気がつき、彼らの視点からRFKの葬儀列車の旅を再現することを思いついた。

RFKを見送る人々が撮った写真を収集するために、テルプストラは4年間かけている。求めていた写真のまとまったアーカイブが現地の歴史協会、公文書館や図書館などに存在しないことを知ったテルプストラは、地元の新聞やソーシャルメディアで呼びかけ、現地の駅の周りを歩き回り多くの人に声をかけるなどし、個人の家庭の中に眠っていた写真やホームムービーを数多く収集した。それと同時に、彼らにインタビューを行いイメージや思い出を共有した。

『 The People’s View 』の編集・デザイン構成は、とても秀逸だ。時系列で並べられた写真は、ページの様々な部分に配置され、大きさも変えられている。このことにより、異なる撮影者による視点の集合体であることが、鑑賞者は自然に理解できるだろう。また、1人が撮影した連続イメージが、直線的にページをまたぎ並べられることは、そのまま列車の移動や時間の流れを感じさせる。それに加えて、当時を経験した人々の語った言葉も、写真と同じように扱われ、配置されている。あいだに挿入された黒いページには、ムービーから切り出された連続するコマ(カラー画像)がグリッド状に並べられている。写真、ムービーの画像、テキストがミックスされ生み出される視覚的体験は、立体的かつ重層的であり、映像的なものになっている。この視覚的体験の立体感は、フスコの写真集も合わせて見ることで、より増幅されるだろう。(この写真集には、フスコが撮った未発表写真のごく一部をまとめた小冊子も付属している。)

テルプストラは、時間の経過とともに、徐々に消えていくであろうアメリカの「集合的記憶」を掘り起こし、再構築し視覚化させた。大まかな定義として、集合的記憶とは、個人やコミュニティが実際に経験したものとしてアイデンティティを確保するものであり、客観的でアイデンティティに対して中立的である歴史とは異なる。ところで、1968年における集合的記憶と現代のそれとでは、形成のされ方がかなり異なるのではないだろうか? たとえば、分かりやすい例では、東日本大震災において、現地で実際に津波を体験した人たちの視点で撮られた動画がインターネット上の共有サイトに、少しの時間差で数多くアップされ、その動画を見ることで多くの人がその視点を共有することになった。おそらく、あの時を生きた多くの日本人には、現場の視点から撮られた動画が、集合的記憶として残り続けるだろう。これは、1968年当時には報道カメラなどの限定された形で、テレビや新聞などのメディアを通して、つまりは客観的な視点で撮影されたものとして受け取ったものとは、大きく異なるはずだ。

繰り返しになるが、この本には、写真家本人が撮影した写真は全く掲載されておらず、RFKの葬儀列車を見送った人々が撮影した個人的なアーカイブのみが使われている。そのことが、写真集のコンセプトをより明快にしている。近年、アーカイブを使った写真集は数多く出版されており、すでに出尽くした感がある。しかしながら、50年前の歴史的出来事の、一度も共有されることのなかった、そのままでは消えていったであろう個人的記憶(=写真)を、1つにまとめたこの写真集は、その物理的な労力に見合う独創性を持つとともに、新たな集合的記憶を生み出した重要な作品となった。その視覚的体験は、とても現代的で、今の時代だからこそ生まれたデザイン構成と言えるのではないか。伝統的なドキュメンタリー映像を見るのとは少し異なる、インターネットの動画共有サイトで、1つのトピックの関連動画をまとめて見通した時と同じような読後感があった。

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