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<旅行記>熱海-伊東-真鶴一泊二日の旅

(注:少し長いですから、そのつもりでお読みください。)

 2024年の正月半ば。「今年の冬は暖かくて過ごしやすいね」などと話していたところ、妻が「株主割引を入手したので、伊東小涌園に行こう」というので、せっかくの機会でもあるから、不肖の夫としてご相伴に預かることにした。

 本当は、腰や血行不良そしてリューマチの治療のため毎週でも行きたいのだが、生憎と経済事情がそれを許してくれない。それで、自宅「温泉」で毎晩「治療」しているのだが、今回は昨年夏に行った道東の川湯温泉と知床以来となる。そして伊東なら、東京から近い場所なので、飛行機を使う北海道より交通費も抑えられる(間違っても、踊り子号なんて贅沢はしない)から、ちょうど良いものとなった。

 こうしたことに加えて、宿泊予約をしてみたら、宿泊費のみで夕食はなしにできるというので、せっかくなのでそうしてもらった。実は、日本のホテルや旅館でセットになっている夕食は、たしかに豪華で見た目にも素晴らしいのだが、どうも酒飲みとしては、品物(肴)を選べないことに加え、不要といっては失礼だが(また、苦労して調理されている方に申し訳ないが)、あまり興味がわかないメニューも中にはある。

 要するに、酒飲みの私としては、美味い酒と美味い肴があり、最後に〆として汁物(麺)があれば十分なのだ。しかも肴は、自分が年寄りのためもあるが、例えばステーキやトンカツといった「重いもの」ではなく、メザシとかカマボコとか、そういったどこにでもあるような馴染みのある「軽いもの」が良い。

 というわけで、夕食はネットの地図で検索した結果見つけた、近くにある居酒屋に行くことにした。だいたい、旅行先では宿で用意した夕食を食べるのが普通だから、敢えて選択したこの結果が、果たして吉と出るか凶と出るか?(たかだが夕食の話だが、旅行にいった際の夕食―特に酒の味―は、実は観光先よりもメーンイベントだったりするのですよ。)

 土日は混むし料金も高くなるので、時間に余裕のある私たちはいつも週の半ばに予約する。しかし、早い時間の移動だと通勤・通学のラッシュアワーにぶつかってしまうため、これが終わった頃を見計らって出かけることにしている。

 そして、当日の朝の遅い時間帯に、私たちは最寄りの地下鉄の駅に向かい、東京駅に着いた。そこでしばらくの時間ベンチに座って、東海道線各駅停車熱海行きを待つ。私が若い頃は、東海道線と言ったら東京駅始発だったのだが、今は北や西に延伸していて、始発になっていない。そのため、始発列車がホームに入ってくるのを待って乗り込むことはできなくなっている。そのため、北から次々と到着する電車が想定外に混んでいるのを見て、「熱海行も満員だったら嫌だな。そうなら横浜を過ぎてから座れるかな?」と心配していた。しかし、熱海に昼頃着く電車だったので、ラッシュアワーを過ぎた時間に当たったようで、ちょうど人が少なくなっていた。これで、熱海までのんびりと旅行気分に浸りつつ、座って行かれることになった。

 既に旅モードになった私は、東海道線の車窓風景を見ている。これが日常の通勤電車なら見慣れた光景なので、見たいという気持ちはわかず、かといってスマホを眺めるのも嫌なので、私は読書などをし始める。しかし、東海道線はこうした旅行の際にしか乗らないので、特に品川を過ぎたあたりからの景色は、それなりに面白い。

 しばらくは、東京と変わらない無機質なビルとマンション、そして統一感のない広告という景色が続くが、いくつかの河を鉄橋で渡っていくと、そのうちに都会の風景は消えていき、ときおり大きな工場やマンションが見える以外は、田園と独立家屋の続く風景となる。こうした日本の田舎を見ていても、コンクリートジャングル育ちの私は見飽きない。

 そして、どこを見ても探しても、人の姿が見えないことに新鮮さを感じる。移動する車も見えないくらいに、閑散とした時間が流れている。昼少し前のこの時間、子供は学校に行き、勤め人は会社に行っているのだろう。家庭にいる人は、たぶん昼飯の準備をしているから、余程のことがない限り外に出ることはないのだろう。私は、そうしたことを考えながら、ずっと車窓を眺めているが、前の席に座った妻は、スマホを見るのに忙しそうだ。たぶん、熱海のレストランでも調べているのだろう。

 そうした中で、田園の向こうに屹立する丹沢山系をぼおーと眺めていたら、遠くに笠雲のかかった富士山が見えてきた。日本に帰ってきてすぐに山陰と隠岐の島へ旅をしたが、その際の新幹線から見て以来の近くで見る富士山だった。そして、富士山の姿はいつ見ても存在感がある。雄大とか崇高とか、そんな月並みな言葉では表せない存在感だと、改めて思った。もちろん、富士山は火山の造山運動(地殻変動)でできた単なる山とはわかっていても、平野の中にあの巨大さで屹立していることに、何か神が故意に配置した駒(道具?)のように思えてくる。そして、東海道線の車内からも、何か強力なオーラを富士山から感じたのは、私の錯覚だったのだろうか。

 やがて、電車は熱海に着いた。沿線風景は、潮の香がする昔の東海道の雰囲気に染まっている。有名で手頃な観光地でもあるため、まるで都会の駅のように多くの老若男女が下車する人並みに混じって、私たちは改札を通る。ちょっとした都会の通勤通学風景のようだが、最も違いを感じるのは、荷物の大きさだろうか。そして、私たちのような老夫婦のほか、若者のカップル、家族連れ、さらに外国人旅行者が沢山いる。週の半ばであっても、十分に観光日和なのだ。

 地方の駅らしくない立派な自動改札を出ると、そこには昔ながらのホテルや旅館の送迎車が待機していて、幟をはためかせながら、お客を集めている。「やっぱり、温泉観光地だ」と私は思った。「(自動改札のように)熱海も変わったな」という哀しみと同時に、「(送迎の人たちの姿に)やっぱり変わらないな」という安心を私は複雑に感じていた。

熱海駅前

 私たちは当初の予定どおり、熱海駅近くの商店街に入って、適当なランチの店を探した。妻がスマホで検索していたが、店を決めかねていたらしい。そして、私が長距離を歩けないので、妻が「ここでいいよね?」と幾分諦めたような口調で言いつつ、商店街に入ってすぐの年季の入った蕎麦屋に決めた。

 ちなみに、何事もこだわり(プライド)のない私は、こうした店の選択は妻に一任することにしている。たまに、「私にばかり決めさせて、無責任!」とお叱りを受けるが、仮に私が「ここにしよう!」と決めたりすると、そうした店は私好みの古びた庶民的で廉価な店(つまり『孤独のグルメ』に出てきそうな店)なので、グルメ志向の妻の好みに合わない。だから、私は常に「強いものに巻かれている」。しかし、この熱海の店は、たぶん妻のグルメ志向には合っていないと思うが、ご満足いただけるか心配になった。(注:残念ながら、この店の画像はありません。)

 引き戸を開けて店に入ると、老婦人のグループ、家族連れが先客でいた。店内は斜めの立地のために狭いが、うまく座敷と椅子とを配置している。先人の知恵は凄い。私たちは、調理場に近い、二段ほど階段を上ったテーブル席に案内された。近くの壁には、芸能人の黄ばんだ色紙が沢山掲げてある。きちんと見れば、懐かしい芸能人の名前が出てくるのだろうが、そこまで芸能人好きというわけではないので、眺めるだけで終わった。

 席についてすぐに、瓶ビール中瓶(私は、ランチタイムの生ビールは頼まない。なぜなら、昔その日最初の生ビールを頼んで、洗浄不足の注ぎ口に溜まった雑菌をビールと一緒に飲んでえらい目にあったことがある)を頼み、肴に板わさ(小田原のカマボコ)を頼む。メインは、私は山菜蕎麦、妻は天丼。妻は蕎麦屋に入っても、蕎麦やうどんを頼まないで、カツ丼や天丼を頼む。ちなみに、しゃぶしゃぶの店に入った場合も、しゃぶしゃぶを頼まずにすき焼きを頼む。本人は「だって、好きなんだから」と言うが、いつも私は「不思議だ」と思っている。(注:「それで長年よく夫婦をやっているな?」と思ったあなた、だからこそ夫婦が続くのですよ。)

 ところで、その店でウェイトレスやレジをやっている店員は、皆高齢の女性で、確実に私より年上だし、もしかすると私の母(86歳)よりも高齢かも知れない。「良く仕事をしているなあ」と私は感心していたが、仕事ぶりを見ていると、客が注文しても気づかない、レジは計算を間違うなど、いろいろなトラブルが見えてきた。まあ、これも「老舗の味」なのかも知れないと、私は(店員には悪いが)楽しんでいる。

 ところで、私はクレジットカード払いをしたいのだが、この店はキャッシュ払いのみだった。これでは、外にたむろしている大勢の外国人客には、ちょっと使い辛いだろうなと思ったが、いまさら電子マネー対応にする必要はないのだろうし、またそれで良い。だって、大勢の外国人客が来たら、店はお手上げだろうから。

 ランチを終えて、熱海駅に戻る途中、近くにあるコンビニで缶ビールとつまみを購入した。こういう点で、日本の観光地は実に便利だ。そしてこれは、宿に着いて温泉に入った後、夕食まで時間があるので、湯上りのビールを楽しむための買い物だ。もちろん、宿で購入すると高くなるから経費節約のためでもあるが、さらに自分の好きなビールとつまみを買うためでもある。そして、ちょうど初場所がやっているので、私は相撲観戦しながらビールを飲もうと思っていた(つまり、相撲が終わる18時に夕食とするつもりだった)。

 駅の改札を通った後、熱海から伊東へ向かうため、そそくさとホームへの階段を上り、そこにいた電車に乗り込んだ。発車までは少し時間があるので、車掌が何やらアナウンスで注意している。私はきちんと聞いているつもりが、実は聞いていなかった。そして、私たちの後に来て向かいの座席に座った老夫婦が、アナウンスを聞いてから慌てて電車から降り、違うホームに向かって行った。私は妻に「大丈夫だよね?」と確認したら、「大丈夫」というので、全幅の信頼を置いた。そして、まもなく電車は出発した。車掌が次の駅をアナウンスするのを聞くと「函南」だと言う。「あれっ?」と思って、妻が車内にちょうどきた車掌に確認すると、完全に方向違いで、伊東へ行く伊東線ではなく、東海道線の下りに乗っていたことがわかった。

東海道線下り車内

 そうだと知っては、早く熱海に戻って乗り換えたいが、都会と違って次の駅といっても距離が遠い。さらに熱海から函南に行く路線は、90%長いトンネル(約8kmある丹那トンネル)を通過するので、窓外の景色を楽しむ余裕もない。一刻も早く函南に着いて熱海に引き返そうとしても、なかなか駅に着かないという忍耐の時間が過ぎていく。妻が「こういうときこそ、瞑想すれば」と頓珍漢なことを言う。私は「瞑想は時間潰しの道具ではない」と思いながら、暗い車窓を眺めていた。

 長く暗いトンネルを過ぎた後、待望の函南駅に着き、私たちは誰もいないホームに降りた。函南には悪いけど、そこは本当になにもないところだった。乗降客もいないし、ホームも小さい。駅からの景色にも特別なものはない。もしあるとすれば、さっきまで通っていた丹那トンネルが遠望できるくらいだ(でも、丹那トンネルって、小学生の頃社会の授業で「日本の素晴らしい土木技術の成果!」って教わった記憶がある)。しかし、なぜか貨物列車が止まっているのが見えた。貨物列車には当然人はいないけど、なにか寂しい気持ちを和らげてくれるように感じた。その貨物列車は、私たちが上り線の電車を待つ間、大きな連結器の音を響かせながら、ゆっくりと下っていった。貨物の中身はなんだろう?電気製品とかだろうか?

函南駅
函南駅ホームから丹那トンネルを見る
貨物列車

 貨物列車を見送った後、しばらくホームのベンチで座っていたら、思っていたよりも早く上り電車が来た。しかし、さすがに観光客の姿は見かけず、乗客は沿線住民ばかりだ。ローカル感のあるこんな雰囲気は好きだ。そして、来た時と同じに長い、長い丹那トンネルを過ぎると、来宮神社で有名な来宮に着いた。ホームから来宮神社が見える。2015年に伊豆の河津へ向かう途中に立ち寄り、有名な神木を礼拝し、評判のかき揚げうどんを食べたのを思い出した。なぜか、またそのうちに行ってみたい気持ちになった。路線を間違うのもたまには良いかもしれない。

来宮神社2015年

 熱海へ戻り、急いで本来の伊東線に乗り返る。既に伊豆急行の車両が到着していたが、JRに比べて派手な塗装をしている。今はこういうのが流行なのだろう。しかし、この車両の派手さから、今度は間違いなく伊東線で目的地の伊東へ向かうことを確信できた。そして、さすがに車内は、中国人や韓国人を含む大勢の観光客が乗っている。さっきまでの函南-熱海間とは違う。

伊東線車両

 予定よりチェックイン時間が遅れたことを心配する、妻の愚痴を聞き流しながら、私は沿線から見える山や海の風景に、旅行気分を刺激されながら乗っていると、まもなく伊東駅に着いた。トラブルがあったためか、意外と近く感じる。そして伊東駅の外には、熱海駅と同じに、幟を持った大勢のホテル・旅館の人が待機していた。そうした人たちとは別に、妻がホテルに電話する。10分程で送迎車が来るというので、私はそれまでの待ち時間を使って伊東駅の風景を撮影した。どこか熱海に似ている雰囲気を持っているなと、改めて思った。

伊東駅前

 送迎車に乗り込み、10分程でホテルに着いた。車から降りた宿泊客は、私たちのような老夫婦と老女たちのグループがいて、車から降りると我先にとチェックインカウンターに蝟集した。想定外の成り行きに出遅れた私たちは、フロントの女性がゆっくりと繰り返し宿泊客に説明する大きな声を聞きながら、ロビー周辺で待っていた。幸いに無料のコーヒーメーカーがあり、コーヒーをゆっくりと飲むことができた。もちろん、こちらも我先に蝟集した人たちが次々とコーヒーを取っていたが、さすがにフロントのように長時間かかるわけではなかった。いかにも観光地仕様のホテルで、建築は昭和40年代のデザイン(その後一部改装)だと思った。

ホテル概観

 フロントが空くまで待っている間に次の送迎車が着いてしまった。さらにフロントが混み合いそうだ。そして、家族客が大きなスーツケースをガラガラと押しながらロビーに入ってきた。話している言葉を聞くと、韓国人旅行客のようだ。熱海は多くの欧米人観光客を見かけたが、伊東まで来ると欧米人は見かけず、韓国人や中国人だけになるようだ。路線を乗り換えることや英語対応などの面で、欧米人には伊豆半島は少し遠い世界なのかも知れない(とはいえ、昨年行った最果ての知床には多くの欧米人が来ていたが)。

ロビー風景

 フロントがようやく空いたので、妻がチェックイン手続きをする。夕食は外で食べるので時間を決める必要はないが、朝食は決めなければならないので、7時に決めた。後は、温泉に浸かるだけだ。これで、今回の旅の前半は終了した。

ロビーの売店、左に浴衣とコーヒーメーカー

 部屋に入ってすぐに浴衣に着替えた。予めロビーで自分のサイズの浴衣を取ってくるのだが、「M」という表示の下を取ったら、実は「L」だった。しかし、サイズはぴったりだ。(海外では「M」を選択するが)やはり日本のサイズだと私は「L」なのだろう。この違いが意外と難しかったりする。和風の部屋の畳には低いベッドがあった。これは欧米人向けにしたというよりは、人件費削減の一環だと思った。布団の上げ下ろしは疲れるし、時間も要するからだ。でも、こんな和洋折衷の部屋でも使い勝手は良い。

 部屋に戻ると、すでに妻が温泉から上がっていて、窓際にある小さなテーブルに、ビールとつまみを用意して飲んでいた。私も良く冷えたビールをグラスに注いで一気に飲んだ。お温泉の後のビールは旨い。リモコンでTVを付けたら、ちょうど相撲中継が始まっていた。私は、自宅にいるときと同じように相撲を見ながらビールを飲み、つまみを食べる。その間、妻が夕食を食べる予定の居酒屋へ電話していた。17時から空いているので、その時間に二人で予約した。心配性の私は、店に着いてから「満席です」と言われそうな予感がしたので、予約してもらった。本当は相撲が終わる18時にしたかったのだが、「強いものに巻かれる」私は、敢えて反論(訂正)しなかった。別に相撲を最後まで見なくてもよい、なにしろ旅行に来たのだから。

缶ビール(空)

 そういうわけで、17時になるまでに、缶ビールのロング缶二本、普通の缶ビール二本が、あっというまに空になった。その間に相撲の取り組みは進み、中入り後の好取組の時間になった。しかし、もうすぐ17時になるので、潔くTVを消す。今は、相撲よりも酒飲みの方がはるかに重要だ。

 目指す店はホテルから近い場所にある。妻と私は浴衣から着替えて、予定通りにホテルを出た。冬至は過ぎたので、外はまだ明るかったが、徐々に冬の夕闇が迫ってくるのを背中越しに感じる。そして、信号を待っている間に、空はどんどんと暗くなっていった。酒飲みに最適の時間が近づいている。

 その店はすぐにわかった。この周辺で外食できるところは、ラーメン屋とこの居酒屋しかない。ラーメン屋は赤い暖簾でいかにもという店構えだったが、居酒屋は日本料理店のような立派な作りだった。もしかすると、ラーメン屋の方が入りやすい感じがあるので、ラーメン屋は満席になっても、こちらのちょっと豪華な感じがする居酒屋は、案外客が少ないのかも知れない。

 そう思って暖簾をくぐったら、室内は東京の下町にあるような庶民的な店だった。外観の立派さからは意外だったが、店主やその奥さんらしい人も感じがよく、私の心配は一気に吹き飛んでいた。ここにして正解だと思った。

店のカウンター

 ビールはすでにホテルの部屋飲み(一次会)で飲んでいるので、ここでは好きなものを注文することにした。まず地酒(純米酒あらしばり)の冷酒を頼んだ。私は次に泡盛の残波を水割りで頼み、続けてあらしばりの熱燗を頼んだ。その間に、地魚の刺身盛り合わせ、同じく地魚の握り寿司、川海老の唐揚げ、イカの一夜干しをつまみに頼む。どれも旨い肴だ。酒も進む。それでさらに梅サワーを頼んだ後、〆に焼きおにぎりとみそ汁を頼んだ。焼きおにぎりは洒落た竹の器に盛られていて、またみそ汁には魚のアラが入っていた。意外と洒落ている。そして、アラの入ったみそ汁が実に旨い。これですよ、酔客に相応しいのは。

みそ汁と焼きおにぎり

 私たちがいる間に、常連らしい客4人が来た以外、誰も来なかった。時間が早いせいもあったのだろう(宿の夕飯が住んでから飲みに来る客が多いと思う)が、予想外に少ないと思った。そして、支払いはクレジットカードが使えずキャッシュのみ。やはり、めんどうでも支払いはキャッシュレスにして欲しい。最大の理由は、キャッシュを沢山持ち歩くのは不便で物騒であるのに対し、クレジットカードなら軽いし、盗まれても対応できる(そして、少々酔っていても、間違うことがない)。金に名前はついていないが、カードには名前がついているのは、存外便利なものだ。

 ホテルへ帰る途中に立派なイオンがあったので、買い物好きな妻につきあって寄ってみた。店内は夜という時間帯も関係しているのだろうか、閑散としている。しかし、品揃えは豊富で、さらに飾りつけも東京で見るのと変わりない。違うのは人がいるかいないかだけだ。妻が、実母への土産物にする菓子類を買ったついでに、私の目に入った珍しいきつね蕎麦のカップ麺を買ってしまった。さすがにここではクレジットカードが使えた。レジのインド人(妻はフィリピン人だと言うが)も対応しやすかったと思う。

 既に真っ暗となった道を歩いてホテルに着いたら、フロアーが閑散としていた。老人たちは夕食を済ませたら、部屋から出歩くこともしないのだろう。良いチャンスと思い、窓際のソファーに座ってコーヒーを飲んだ。窓の外には夜の白梅が咲いていて、なかなか風情があった。

夜の白梅

 部屋に戻り浴衣に着替える。さっき買ったキツネ蕎麦を〆の二次会として食べた(そして、ビールも飲んだ。食べすぎ、飲みすぎか?)。一休みしてから温泉に行き、いい気持ちで露天風呂に入った。貸し切り状態だった。冷たい夜風に当たって、顔から酔いが冷めていくが、首から下は熱い湯に浸かって、新陳代謝が更新しているのを感じる。こうやっていれば、二日酔いも食べすぎも出ないだろう。そういえば、浴場の外に温泉水を飲ませるものがあった。私は、毎回湯に入る前と入った後に、ここで紙コップ半分程度の温泉水を飲んでいた。たぶん、胃腸に良い働きをしていると思う。

カップ麺(パンフレットは無関係)

 翌朝5時には目が覚めた。暖房が聞いているので、一晩中暖かかった。洗面してから、「たぶん貸し切りだろう」と期待して、朝風呂に向かった。この時間帯に入る人はいないと思っていたのだが、エレベーターのところに韓国人のグループが大声で話しているのが見えた。「これはだめだ・・・」と思い、エレベーターを諦めて逆方向の階段へ向かった。部屋のある三階から風呂のある地下一階までは少し遠いが、良い運動だと思って階段を下りる。さすがに、この時間帯に階段を下りる人は見かけなかった。

 早朝の貸し切り状態を期待していた風呂は、数人の韓国人に占拠されていたが、幸いに露天風呂は無人だったので、こちらにゆっくりと浸かった。朝の空気が清々しい。そして、ホテル備え付けの剃刀で髭を剃った後の痛みが、温泉で緩和されるのを感じる。温泉は昔から刀傷に効くとされているのを、こんなことで実感する。

 部屋に戻った後、TVでニュースを見てから、朝食会場に向かう。ブッフェかと思っていたら、これも人件費削減の関係だろうか、箱に入ったもので出てきた。しかし、箱に入っていることもあり、希望すれば部屋にも運んでくれるそうだ。つまり部屋食の簡易版だ。箱の中身は、豪華とは言えなかったし、定番の納豆も豆腐も温泉卵もなかったが、箱以外のものとして(これは部屋食に着くのだろうか?)、テーブルの上に魚のしゃぶしゃぶとアジの干物があった。そして、香の物、アジの干物、ごはんだけはブッフェ形式で取れるようになっている。いろいろなやり方があるものだ。

 ちょっと意外だったのは、しゃぶしゃぶ鍋で魚や野菜を食べた後、小鉢に入ってる味噌を入れてみそ汁にするように説明されたことだった。ふーん、みそ汁がないと思ったら、こういうやり方にしたのか。たしかに、ブッフェ会場にある煮詰まった上に具の少ないみそ汁は、あまり美味くない。そんなことを考えながら、とりあえず作ってみたが、もともとしゃぶしゃぶ用の陶器に汁を入れたので、手に持つと器が熱く、口まで持って行くのが辛い。そして食べづらい。やはりみそ汁は木の器で食べたいものだ。

 少しばかり不完全燃焼を感じた朝食会場の外には、ホテルの池が見えて。そこに泳ぐ色とりどりの鯉が美しい。考えてみれば、これが「最上の朝ごはん」かも知れない。その池の上に、昨晩上から見た白梅がかかっている。こういうあたりに、改修したもののきちんと日本的センスを残しているようだ。

白梅と池の鯉

 朝食の後、ホテル内を少し散策してから部屋に戻り、8時からTVで朝ドラを見る。私は毎朝見ているが、たまにしか見ない妻がいろいろとドラマの内容を質問してくる。それに答えていると、ドラマのセリフが耳に入ってこない。でも、どうでも良いことだ。朝ドラを真剣に見ているわけではないのだから。そうして、時間が過ぎた。

 10時前にホテルでチェックアウトして、送迎車に乗って伊東駅に向かった。チェックアウトの時のカウンターは空いていた。うまく時間がずれたのだろう。そして電車は。今度は熱海行きしかないから、行きのときみたいに乗り間違える心配はない。もちろん熱海に着いた後も、また間違える心配のない東海道線の上りに乗って、真鶴へ向かう。

 どうも旅の帰りは、高揚感が失せてしまう。窓外の風景にも無感動になる。熱海からすぐに真鶴に着いた。さすがに函南に比べれば発展しているが、やはり馴染みのない駅という雰囲気があるのは仕方ない。ここには、行きの熱海同様に、ランチのためだけに降りた。

真鶴駅

 駅を出てから、以前妻が友達と行ったという寿司屋へ向かう。距離は近いのだが、なぜか駅前の道から地下道をくぐって行く。別に地下道をくぐらなくても行けるとは思うが、どうやら道路の信号などの関係で地下道があるらしい。地下道を出るとその先に店はあった。しかし、この地下道を「異世界への近道」と考えれば、すぐそこに見えている真鶴駅とこの寿司屋との間には、一種の異次元空間の境界(バリアー)があって、私たちは異次元トリップをしたと思えなくもないから、存外面白いかも知れない。

真鶴の寿司店

 旅の仕上げに瓶ビール、冷酒、熱燗と飲んでいく。旅の始まりも終わりも、私たちは酒なのだ。きっと、死ぬとき(つまり、長い人生という旅の終わり)にも、酒を飲むことだろう。そうだ、私の「死に水」は酒にしてくれと、妻には言ってある。種類については決めていないが、たぶんウィスキーになる予感がしている。ところで、真鶴の店だ。酒だけではさすがにランチにはならないので、寿司、刺身を注文した。妻が気に入っているだけあって、地元の肴を調理して、なかなか良いランチだった。しかし、ここも支払いはキャッシュだけだった。そして、ランチタイムであるためか、たぶん地元の家族客が数人食べていた。きっと地元でも評判の店なのだろう。

 店を出て駅に向かう(元の次元に戻るために)地下道に向かう途中、何を売っているかよくわからない店とその前にある不思議な自動販売機を見つけた。なんと考えれば良いかと思っているうちに、既に妻は駅に向かっていたので、私も慌てて後を追った。しかし、あの自販機で購入する人はどんな人なのだろう、という疑問がずっと残っている。もしかしたら、あの自販機で、異次元トリップを自由に使える秘密の道具を買えるのかも知れない。

真鶴の地下道
謎の自販機

 まるで、通勤電車のような気分で東海道線に乗り東京に向かう。旅はもう終わっている。目新しい発見はもうない。車窓の風景も、行きに見たのと当然変わらない。酒を飲んでいることもあり、私は寝た。その後妻は、実家のある平塚で途中下車したが、私は自宅に帰るべく新橋で降りた。新橋のホームから見えるSLは健在だ。ここには異次元トリップもなにもない、日常そのものが厳然とある。その証拠に、新橋の金曜の午後のSL広場は、いつもどおりに賑わっていた。

新橋駅前のSL広場


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