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「新しいことには賛否両論ある」という罪深き妄言

新しいことを始めると、必ず否定される。

新しいことをやれば、絶対誰かに足を引っ張られる。

この手の主張…
聞いたことある人も多いのではないでしょうか。

挙句の果てには
夢を追っている人を叩かせない世界にしたい… 

それを聞いて
人並みの感性が備わっている大人は
あまりのアホらしさに白目をむいて気絶する。

さらには、そんなアホらしいやり口にコロッと騙される人々を見て、絶望的な気持ちになる。
白目むいて気絶した後に待っているのは絶望…

これは
あらゆる意味で手の込んだやり口であり、この主張で逃げようとするのは想像以上に罪深い。

新しいから否定されるという言い訳…

そんな稚拙な子供騙しな妄言で逃げられるのはなぜか?

その根源にあるのはSNSやネット社会。
スマホの普及が騙す側と騙される側をマッチングさせやすくした。

簡単に言えば
口先の上手い人と
口先の上手さに乗せられてしまう人々が
お手軽にガチッと噛み合う仕組みが出来上がった。

見る目のない人だけを信者にできる都合の良さがネット社会における大きな弊害である。

信者=理解者であり、一度騙してしまえばバレない限りは安泰。

さらに、騙されるのは信者のみなので、信者以外には迷惑をかけていないという言い分もまかり通る。

ある意味では最強のお膳立て環境が整っている。
それゆえに、「新しいことには賛否両論ある」といった、それっぽい雰囲気のある妄言までもがOKとされてしまう。

しかし、この手のやり口は
信者以外にも迷惑をかけることになる。

真っ直ぐ誠実に戦っている人間を邪魔することになるからだ。
これに関して説明し始めればキリがないので割愛しますが

とにかく

騙されて生きようが、騙されずに生きようが
それぞれの人生。
しかし、騙されずに生きていけるほうが
絶対に人生は豊かになります。
人それぞれ価値観は違っても、それだけは断言できる。

基本的に騙されて嬉しい人はいない。
途中からでも騙されていることに気がつけば
人はそこから離れることができる。

新しいことには賛否両論つきまとう…という言い訳…
これは絶対に間違っていると断言できます。
絶対に許してはいけない言い訳だとも断言できます。

ここからは
今を生きる上で
かなり大切なことを書き記しておこうと思います。

〜〜〜

「新しい」には本当に賛否両論巻き起こるのか?

具体的に例をたどって解明するしか方法がありませんので、きっちりと綴っていきます。

まず、私の生業とも言えるお笑いの世界や放送業界にまつわる新しさの歴史。
この数年で時代は急速に変化したので、近年新しい挑戦は増加している。

例えば、新しいお笑い芸人像としてパッと思いつくのが渡辺直美がアメリカを拠点として活動を始めたことだ。

日本のお笑い芸人がアメリカを拠点に活動するという挑戦。
新しさとしてはこの上ないほど、とんでもないチャレンジであることは間違いない。
言うまでもない話だが、言語や文化の壁があるなか、日本のお笑い芸人が世界照準で戦うことの過酷さは並大抵のことではない。

この渡辺直美の新たな挑戦に対して、、、
批判的な意見を聞いたことがありますか?

新しいことを始めると必ず否定されるというならば…渡辺直美は否定されないとおかしい。

同じような繋がりで言えば、その前にはピースの綾部さんが渡米している。

突然、日本での活動を休止してのアメリカ移住。
新しさで言えば、新しすぎた動きだと思われるが、この新しさに否定的な意見はありましたか?
聞いたことがありませんし、むしろ応援されているような気がする。

やっぱり面白い人なんやなあ…という評価をされている感じがするし、私自身も綾部さんに対して、めっちゃおもろい人なんやなあ…と率直に思いました。

ちなみに、綾部さんの相方の又吉さんは、純文学として「火花」という本を書きました。

結果、この本は芥川賞に輝きますが、お笑い芸人が純文学を書くということ自体は新しかったはず。
その新しさに対しての否定意見は一度も聞いたことがありません。

たとえ、本の内容自体に好みかどうかの賛否はあったとしても、新しさに対して叩く人は皆無。
いかなる場合でも何かしら作品を出せば、内容を巡っての賛否両論つきまとうものであり、それは新しいとか古いの話とは全く関係ない。

ちなみに、私は又吉さんの才能に対しての賞賛意見しか聞いたことありません。

お笑い芸人が別の分野に手を出したり、他とは違うことをやる新しさに対しての批判意見がないことは分かったと思いますが、

では、芸事の中身そのもの
例えば、漫才における新しさについてはどうだろうか。

3年ほど前になるが、ぺこぱのツッコむと見せかけて受け入れる漫才の形がM-1の決勝で披露された。
新しさという一点においては間違いなく新しかったはず。

ツッコミを入れないなどの形式は過去にあったにせよ、ぺこぱのあのスタイル自体は新しい。
どうでしょうか。新しい形の漫才に対しての批判意見はあったのでしょうか?

漫才なんだからツッこめよ!
今まであった漫才の形式どおりやれよ!

といった、批判や中傷はあったのでしょうか?

私は一度も見たことありません。正直、新しさに対して何か文句を言われたことはなかったと思います。

これも世に出す表現である以上、好みの話はあります。
それぞれの感覚が千差万別である以上、面白いと思わない人はいて当然ですが、新しさについての否定ではない。

のちにマヂカルラブリーのM-1優勝からの「漫才か漫才じゃないか論争」みたいなこともありましたが
あれも新しさへの否定ではない。

あれは、「面白さが分からない」という感覚が漫才じゃないという言い方にすり替わっただけであり、新しい古いではなく、単純な好みの話。
レベルなどの優劣ではなく、人それぞれにある好みの話なのだ。

好みか好みじゃないか論争などは、着地点がないので永遠に終わらない。

ここまで新しさは否定されないという根拠を書き続けてきましたが、
では、テレビやお笑いの企画という意味ではどうだろうか?

テレビやお笑いにおいては様々新しいものが生まれていきますが
メジャー度も含めての新しさの代表格と言えば
ダウンタウン松本さんの生み出した企画の数々。

例えば、人志松本のすべらない話という番組がありますが、すべらない=絶対笑えるということであり、このフォーマットは当時相当新しかった。

エピソードトークを披露する番組は数多くあれど、絶対に笑えることを頭から掲げてのエピソードトークの連打は新しい。
基本的に笑える話をお笑い芸人がすることは織り込み済みだったからである。

すべらないことを前に押し出してからのエピソードトーク連発は新しさへの挑戦だったのだが、結果的に大人気番組となり、企画の新しさに対する批判は聞いたことがない。

好みの話は人それぞれあっても、新しさに対しては誰も何も言っていない。

それと、松本さんと言えば年末の恒例になっていた「笑ってはいけないシリーズ」である。
笑ったら罰を受けるという新しさがあったが、この企画に関しても新しさに対する批判意見は聞かない。

近年特有のコンプラの諸々はあったかもしれませんが、これも、「新しいものはけしからん!」と言われているわけじゃありません。

松本さんの相方、浜田さんに関しても随分昔に小室哲哉さんプロデュースで歌を出しております。
それまで歌を出してきたお笑い芸人はたくさんいたかもしれませんが、時のヒットメーカーとタッグを組んで本格的に歌を出して紅白まで行ったのはお笑い界としては新しかったかもしれない。

その新しさに関しての批判意見も聞いたことがありません。

バカリズムさんがドラマの脚本を書いたり、劇団ひとりさんがNetflix映画で監督したり…
様々な意味で新しさの極みではありますが、新しいことに対する否定意見を聞いたことがありません。

お笑いの世界、放送業界において
新しさに対しての批判意見は皆無だということです。

では、スポーツの世界においてはどうか?

私が小学生の時にJリーグのヴェルディ川崎にいた、三浦知良選手が日本人初のセリエAのチームへと移籍する挑戦をしました。
イタリアのプロリーグで日本人選手がプレイする新たな挑戦として当時かなり話題になりました。

通用するかどうか?などの野次馬意見はあったかもしれませんが、新しいことへの挑戦に対して批判意見は全くありませんでした。

昨今の格闘技においても
那須川天心選手がキックボクシングもやる、総合格闘技で寝技もやる、そしてこれからはボクシングの世界へと挑戦します。

3つのワラジで戦える格闘家がこれまでいたかどうか私は知りませんが、これも私から見れば新しく見えます。
この新しさに対しても、批判意見どころか、那須川天心選手のとてつもない才能と努力しか際立たない。

フィギュアスケートの羽生結弦選手がYouTubeチャンネルを開設して話題になりましたけど、これもどう考えても新しい。
今まではなかったものなので必然的に新しくなるのですが、この新しさに対しての批判ってあるんですか?
私は一度も聞いたことがありません。

では、「新しいことには賛否両論ある」

なぜ、この言葉を公言してしまう人が存在するのか?

なぜ、嘘をついてまでこんなことを言わなければいけないのか?

答えは明確に一つだけ。

自分が否定されてきた理由を世間から目眩しするためである。

簡単に言えば
感性の乏しい人たちにベットし
ターゲットを絞って騙しにかかっているのだ。

実際は別の理由で批判されていることを分かっているがゆえに思いつく方法なので、
裏で画策したり計算できる賢さがあることだけは間違いない。

その戦略も普通の大人たちからは見破られているが
普通の大人たちのことは最初から相手せず、フルで無視する方向に舵を切っている。

その思い切りの良さが功を奏し、騙されやすい人たちが大勢釣れていく仕組みである。

だからこそ、罪深い。そう私は思っている。

釣られている人たちは感性こそ乏しいかもしれないが、人の裏をかかずストレートに言葉を受け取ってくれる優しい心の持ち主だったりもする。

この世は
いろんな悪人を見てきて、いろんな薄汚れた世界を通ってきて、いろんな裏側を知っている人ばかりではない。

何も知らずに真っ白な気持ちのままで人生を過ごしてきた人たちだって存在する。
そんな無垢な人たちを相手に騙すなよ!と言いたくもなるのだ。

どうせ騙しに来るなら、何もかもを分かっている百戦錬磨相手に騙しに来るべきだ。
もし、その人たちを騙せたならば、たいしたものだと思います。

戦略家たちに騙されている人たちに向けて
目を覚ましてほしいという思いで、この文章は書きました。

新しいことは否定されません。
新しい挑戦をしても誰にも足を引っ張られません。
夢を追っている人のことを誰も叩きません。

だから、何も心配ありません。
新しい挑戦をしてください。

人間として品性に欠けたり
これまで築き上げてきた文化を壊したり
やりかたが汚かったり
打算が透けて見えたり
バズれば何をしてもいいと腹を括ったり
誰かに迷惑をかけたり
言ってることが矛盾してたり
強いものに媚びたり風見鶏になったり
ブラ下がれそうな影響力ある人を天秤にかけたり
「尊敬」「恩人」などをあちこちで軽く言ったり
嘘をついたり、論点をズラして反論したり

そうなった場合は、その理由で否定されます。
正当な理由があって否定されるのは当たり前です。

新しさではなく、否定される理由が別にあることを
冷静に見極められる審美眼。

これだけは最低限持っておかないと、これからも騙され続ける人生が待っています。

これを読んだ人は
今よりも真実に近づいてきてくれたら嬉しいです。

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