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漫才における『上手さ』と『人間味』とは?

「漫才が上手いってどういうこと?」

ふいに聞かれたのだが、きちんと答えられなかった。

たしかに…ちゃんと考えたことはない。

でも、実際に漫才を観て「上手いなあ…」と思うことはある。

これは決して雰囲気で言ってるのではなく、本当に上手いのだ。上手さを感じる漫才は確かにある。

噛み砕いて細かく考えたことはなかったのだが
どこに上手さを感じているのか?
何を持って上手いと表現しているのか?

さらには、漫才における"人間味"という表現。
たまにネタの寸評などで、「人間味が足りない」といったコメントがありますが、これも実際はどういう意味なのか?

考えるキッカケを頂いたので

持論ではありますが、漫才における『上手さ』と『人間味』に関して迫っていこうと思います。

まず、上手さに関して。

そもそもの大前提として
上手さで漫才を見る人はほとんどいません。

おもしろいかおもしろくないか。
笑えるか笑えないか。
漫才に限らず、お笑いは基本的にそれだけ。

それゆえ
「上手い漫才じゃなくて面白い漫才が観たいんやけど…」
時折そういった、苦情にも近い意見を聞く場面があります。

言ってることは間違っていないのですが
1つ訂正があるとすれば…

漫才の上手さが面白さに繋がるということ。

上手さは面白さと直結します。
おもしろくないけど、上手いから最高!
なんてことはありえない。

結果として笑える芸の裏側に上手さが存在する。

そこだけは踏まえた上で…

漫才における上手さに関しては3つのポイントがあります。
順を追って、1つずつ説明していきますと

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