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【本】リフレクション入門-なぜリフレクションが重要なのか?-

リフレクション…ときいて何を思い浮かべますか?多くの人は「振り返り」という単語が脳裏に浮かぶのではないかと思います。ですが、リフレクションと振り返りは実は別物だといわれています。

昨年4月から立教大学大学院リーダーシップ開発コースに通っていますが、とにかく日常において、リフレクションをこれでもかというくらいしています。授業やグループワークがある毎にリフレクション。

リフレクションは、「反映する」「反射する」が第一義的な訳です。ただ、人の在り方に関わる場合には「熟考する」「省察する」という訳が当てられます。

そして、リフレクションには欠かせない人物。それは、フレット・コルトハーヘンです。

フレット・コルトハーヘン
ユトレヒト大学及びアムステルダム自由大学教授(教育学)。数学教師、教師教育者。関心領域は、教師は教師教育者の専門性の開発及び教師教育学。2000年と2006年に、アメリカ教育研究学会「教授及び教師教育部門」の「教授及び教師教育における模範研究賞」受賞。2009年に、アメリカ教師教育学会優秀研究賞を受賞。オランダ国内はもとより、アイスランド、ベルギー、ドイツ、スロベニア、オーストラリア、イスラエル、アメリカなどに招聘されて、多くの学校や教師教育機関で上級トレーナーあるいはコンサルタントとして活動している。

教師教育学 理論と実践をつなぐリアリスティック・アプローチ』より

コルトハーヘンは、自身の論文において教師自身の「ひととなり」のあり方が、今後の教育にとってより重要な要素になっていくだろうという趣旨の内容を述べています。

では、なぜこんなにもリフレクションが重要なのか?についてリフレクション入門を読みながら進めていきます。


リフレクションとは何か

そもそもリフレクションとは何か。様々な文献で定義をされていますが、今回は(DEWEY 1910)の定義を紹介します。

リフレクションとは、「個人の内部に見出された課題に対して連続的に思考し、課題の解決に向かおうとする思考」

(DEWEY 1910)

具体的には、人は自らの経験を思考し、課題に対する解決策を見出し、次の経験へと活かすことで熟達していきます。これは、行為から知を形成するプロセスともいわれます。

今からざっくりの説明をしますが、例えば、研修に参加して、「新しい発見があって楽しかった!」というような結果(自分の行動や言動、内面などに)対して『主観的』に判断してしまっている状態は感想です。

一方で、研修に参加して「自分の中でこれが課題だと気づき、こんな学びがあったので仕事でこういう活かし方をしよう!」というような自身の経験を客観的に振り返り、新たな気づきを得て改善へつなげられている状態はリフレクションです。

リフレクションのゴールは、その状況で何が本質的であるかをわかるようになることで、そのさきの行動がより効果的になるよう経験から学ぶことを言います。

実践のリフレクションを通して熟達していく専門家のことを省察的実践家といいます。省察的実践については、ドナルド・ショーンが有名です。


リフレクションのプロセスモデル

では、理想的なリフレクションはどのようなプロセスを辿るのでしょうか?

コルトハーヘンは「ALACTモデル」というモデルを開発しています。

ALACTモデル『リフレクション入門』より

コルトハーヘンは、ALACTモデルのステップ、「③本質的な諸相への気づき」を飛ばしてしまっていることがあまりにも多い、と指摘しています。

例えば、とあるプレゼンで失敗して(①行為)その原因を考察するためにその場面を振り返ったとしても(②行為の振り返り)、引っ掛かりを感じた本質的な要因への気づきがないままに、「自分の力不足だった」など曖昧な要因を推測し(③本質的な諸相への気づきを飛ばす)、「この失敗を糧に次はもっと頑張る!」といった、改善策として具体的な行動が何も示されていない結論で満足してリフレクションを終えてしまう人が少なくないのです。

つまり、肝となるのは、「③本質的な諸相への気づき」をいかに深められるか。そのためには「②行為のふり返り」でしっかり行為の背景にある気持ちや感情を表出させておく必要があります。

気づきを生み出す鍵は「感情」と「望み」

「③本質的な諸相への気づき」をより確実に達成するためにコルトハーヘンは、「②行為の振り返り」の段階において用いるべき仕掛けとして以下の8つの問いを開発しました。

8つの問い『リフレクション入門』より

1つの事象を振り返る上で8つも質問をするってなかなかなないですよね。

これらの8つの問いを通して自分や相手の感情や望みに向き合うことで無意識のうちに持っているリフレクションの癖に気づきやすくなります。

しっかりこれらの問いをこぼすことなく答えようとすることで、自分が特に答えづらい問いは何なのか、がわかるようになります。そこで引っかかった問いが自分のリフレクションの癖でもあります。

例えば自分の感情ばかり振り返りしているけど、自分の思考、相手の感情や思考には着目していない、など。

コルトハーヘンは、「行動」や「思考」など目に見えるものだけではなく、「感情」や「望み」という本来ならば無視されがちで目に見えにくい要因にも目を向けて言語化することで、無意識を意識化させることを大切にしていることが読み取れます。

リフレクションをやる意義

最後に。リフレクションをやる意義について私の考えを述べて締めくくりたいと思います。

リフレクションって学べば学ぶほど、とても時間がかかるものだなあと思います。特に、胸がちくりと痛くなるような失敗などは思い出すのもしんどい、なんてこともあります。でも、リフレクションがあったからこそ次に繋がった、という経験もあります。

振り返ると私は、リフレクションを通して自分の在り方をいつも確認できている感覚があります。

「なぜ私はこの時こういうことを言ったのだろう」
「私はどういう感情が湧いていたのだろう」
「相手は本当はどうして欲しかったんだろう」
「AでもなくBでもなくCにしたのはどんな価値観からきているのだろう」

こんなことを考えながら出来事を振り返っていると、「私はこれを大事にしたかったんだな」ということが見えてきます。

この繰り返しが、「自分の根っこ」をつくってくれている気がします。かつその根っこを太くするための次の具体的な行動が、リフレクションをすることで見えてくるなと思います。

リフレクションをやることはある意味、よりよく生きようとすることなんじゃないか、というのが私の今のところの結論です。


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